旅をする木

生きるという旅をすることは、人と人という繋がりの橋を渡り続けること。 そしてたまに眠りもう会わない人の夢をみて休むの。 伝統医学を 西洋科学のメゾッドで ひとびとに ケララ州トリバンドラムの小さな田舎に7年住み、 南インド伝統医学、外国人女性初のシッダドクター(首席卒業) ブラウン大学公衆衛生大学院修士、 ワシントン大学疫学博士課程在学中・国際臨床研究センターにてPhylogeneticsによるHIV・コロナウイルス感染予防の研究助手 2019−2020年 WHO・インド伝統医学標準化のための国際会議にてのシッダ医学グループのWHO指定報告者(書記)担当 このブログは15年ぐらい前から続けてる日記みたいなもので いわば個人記録みたいなものです。わたしが忘れないための。 三聖病院での森田療法体験記、 彼が死んだときに旅をした話 アメリカのときの話 インドの話 シッダの話 ブラウンでの話 アメリカやインドの生き方 ほかにもいろいろと ずっと書いてます。 きてくれて、ありがとう。

2007年03月

Refugees

大丈夫だと笑った
母さんが聞いたから

「大丈夫さ
平気
こんなのやってみせる」

はじく
弦の音は
馬の足どりみたく
軽やかに、

広い空は雲ひとつなく
白い筋が飛行機の痕となり
泣きもせず広がっている

昔の人が崇めた山の近さを
感じさせぬこの街で
騒音と排気ガスに揉まれながら
コンピューターに今日も向かう

風に
流れる公園の芝生の音は
はじく弦よりも
子供の泣き声よりも
高く
緩やかに流れるのを
知ってる

現実×妄想=?

最近知り合ったメディアアーツ科の友達と
突然コラボ?企画発動中です。

私の書いた小説、まゆりとさりゅうを元に、

1)小さな砂の竜(最期は砂になって消える)
2)超老けててエグいくせに
性格はコミカルな小人(かなりキモい。
耳毛出てるよ・・・みたいな)
3)真悠梨(中学生の夢見がちな女の子)
4)喋って跳ねる上に映画マニアの石

をCGで描いてます(彼が)。

「砂の竜は砂で出来てるけど砂っぽくなくて色だけ砂で眼は超かわいくてでかくてしっぽがあって口がでかくて小さくって」
っていうのが実際に絵になってるとけっこう感激かも。
絵描けないし。普通に。

「足のポジションはもっとこうした方がいい」とか
「中学の制服はワンピースでネイビーブルーで」とか
話してるとめちゃその世界だけに浸っていたくなる。
だから私は物語を書いてたんだよな、そういえば。って思い出した。

ずっと物語のなかにいたい。感じたものだけを信じていくの。思い描く世界のなかに。
それがわたしに見えるこの世界のはずであって、眠る以外にそれを満たす方法があるのかってずっと探してる。

「だから絵を描いてる
特にファンタジーが好き
げんじつより現実的だから」って彼は言ってた。

異世界と三次元

かなりの宗教、民俗信仰はこの世界以外に3つぐらいあるって考えてる。
たとえば、チェロキー族(ネイティブアメリカン)は、
「上」「中」「下」の世界があり、
泉や川・森は現在の世界(中)を繋ぐものだと考えているそう。
これってなんか日本のおじぞうさまの居るスポットと似てる。
「となりのトトロ」みたいな感覚。木は別の世界と繋がる入り口。

同じく、世界に散らばってる伝統儀式たちも、
別の世界と繋がるものがたくさんある。
ネイティブアメリカンの儀式はもちろん、
日本に古く伝わっているお祭りも。

チェロキーの言い伝えでは、
とうもろこしはおばあちゃんの生まれ変わり。
そんなことを考えていたら遺伝子組み換えなんて発想は生まれなさそう。

何が関係してるのかって
そういうことを経験でも確かめてゆくうちに
このわたしが生きている三次元の世界は
何か別のもののメタファーである気がしてならない

たとえば
私たちの母親と父親の前にも母と父が居て、その前にも居たように・・・
私の存在という事実と私の命は
本当に鎖みたくつながっているわけだけれど
そういうことを頭にいれると

いのちはやっぱりほんとうはひとつであり
私という存在はそこから生まれた表面に過ぎない
そういう気がする

だからやっぱり

わたしがわたしと思っているものは
ほんとうはわたしのものではなく
わたしのすべての才能と境遇は
わたし以外の者のためにあるとしか思えない

専攻と科学と地震と健康

なんか最近投稿してないせいで、無理やりトピック繋げてます。

地震、またあったのですね。日本で。
被害に遭った方々の無事と、早くの復帰活動を祈っています。

ローリングサンダーっていうネイティブの文化を白人はじめ私たちに広めてくれたメディシンマンの方の言葉には、
自然は自浄作用がある。っていうものがあった。
身体が熱を出して病気を治すように、災害が引き続いているのは自然が自分自身を治そうとしているところっていうこと。
ヴィジョンクエストで木が私に教えてくれた、
「自然は人間に対して怒ってない、でも人間も自然も一部だから
自然を破壊するということは人間自身を破壊するということ」
という言葉を思い出した。

専攻を、Interdisciplinary Studiesっていう
3つの副専攻を組み合わせるってのに決めて、
Public Health(保健・公衆衛生)
Arts/Journalism/Communication
(写真とか。フォトジャーナリズム?)
Anthropology(人類学。Medical Anthropology?)
っていう3つの範囲を学ぶことに決めたんだけど、
やっぱりアメリカの大学は科学に頼ってるところが多くて
けっこうつらいと感じてるかも。
Public Health面白いんだろうけど生きていけるかな。

科学って、今の地震とかもそうだと思うんだけど、説明できないものが多すぎる。
実在している、目に見えるものを測っているっていうやり方なんだよね。
そのおかげで私も目が悪すぎるのにめがねとかで生きていけるし、
飛行機でアメリカにも来れたし、インターネットもできるし、
すごいパワーを持ってると思うんだけど、
でも、もっと哲学的に、東洋医学みたく考えてゆきたい。

だって、バランス
ってことを考えると、この世界は崩れてる。
物質の力っていうのは、三次元の世界ではすごい力だけれど、
他の世界ではどうなんだろう。
太極拳のマスターが
「最近は頭でっかちな人間、気が頭にしか行ってない人間が多い」
って言ってた。

五感を使って生きていきたいのに、
すべてを同時に同じように使うことができたことがない気がする
この生き方。
ずっと、素敵なものに浸っていたいのに。

ネイティブアメリカンの言葉には「芸術」っていう言葉がない。
芸術は生活の一部で、当たり前すぎるから。
そして、陶器を作る土は神聖なもの。大地から切り離せない。
とてもスピリチュアルなもの。

頭でっかちに、目に見えるものを測定していく生き方は
何を見えなくしているのだろう。

編集もしてないし!

カメラ壊れた?し。。
マニュアルで撮れません。
って、1年前までマニュアルでの撮り方知らなかったくせに。
さらに、このウェブサイトの使い方が分からないから縦写真が直せない!
さらに、写真編集してないから汚いのもたくさん!
それなら公開するんじゃねえ!って思ったりしない人だけ見て。
そのうち頑張って編集したいけど、時間あるかわかんないからとりあえずUPしたの!

そのうちグランドキャニオンとかもUp予定。

ノガレス・メヒコ

Iskash*Taa アフリカ難民たち☆
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