旅をする木

生きるという旅をすることは、人と人という繋がりの橋を渡り続けること。 そしてたまに眠りもう会わない人の夢をみて休むの。 ケララ州トリバンドラムの小さな田舎に7年住み、 南インド伝統医学、外国人女性初のシッダドクター(首席卒業) 2016年8月〜 現在ブラウン公衆衛生大学院修士課程在学中。 このブログは10年前から続けてる日記みたいなもので いわば個人記録みたいなものです。わたしが忘れないための。 三聖病院での森田療法体験記、 彼が死んだときに旅をした話 アメリカのときの話 インドの話 シッダの話 ほかにもいろいろと ずっと書いてます。 きてくれて、ありがとう。

2008年06月

シッダ医学が意味するもの

最近青山圭秀さんの本を立て続けに読み洗脳されまくってます。
しかしこの本と私の出会いが今起きたことには何か意味がありすぎる気がする!
彼のアーユルヴェーダの説明が、

ただの「魂、肉体、精神の調和した健康を目指す医学」ではなく
それ自体が、不幸、欲、物質主義、病気にのたうちまわる病んだ社会に
幸福をもたらすため神々が伝授した生命の神髄を探る科学である

というのを読んで
かなり衝撃だった最近の数日。

まさに私がやりたいのこれで
シッダ医学じゃないかもしれない
って思った矢先に
大使館から奨学金がおりるという連絡をもらい
さらに決まってしまった自分の道にかなり悩んでた。

めちゃめちゃ凹んでいた数日間、睡眠薬をやたらめったら飲んで
友達に記憶ないメールしたりとか、してたけど、

青山さんのさらなる本「サンカルパ(サンスクリット語で意思という意味)」を
読んで、今、分かった。

私がなんでシッダと巡り会ったのか。っていうと大げさだけど。

すごく迷ってた。
世界中で注目されているアーユルヴェーダを学べば、将来仕事先は確実にあるだろう。
しかも青山さんの解釈するアーユルヴェーダとは、まさに私が人生を通してやり遂げたいもの。。
でっかい夢だけど、

先住民、古代の智慧(人類学で探ってた)を、現代に取り戻し、現代社会に還元し、
医療の世界では統合医療、西洋と東洋両方の良さを取り入れた医学
(私の通ってたアリゾナ大学は統合医療プログラムを全米で最初にはじめたところ)
の実現に貢献し、
現代の医療が抱えている問題である「コスト」のかからない医療、
公衆衛生の発展に何らかの形で貢献したい。。

そんな想いを実現させられるのが、すべてを統合できるのが、
もしかしたら、アーユルヴェーダであってシッダではないんじゃないのか?て
考えて続けていた。
しかもアーユルヴェーダなら確実に世界に広まってるしさ。。

しかも、アーユルヴェーダが「生命の科学」という意味に対して
シッダは「perfection(完璧さ)」という意味。とっつきにくいよ。。。

さらに、アーユルヴェーダが魂心体すべて調和した
本当の幸福をもたらすことを目指すのに対し、
シッダは、「不老不死」という訳わからんものを目指してる。

伝説?によれば、とあるシッダマスターはシッダ医学によって
2000年も生きたそう。。。
っていうかそんなに生きなくていいよ。。。
っていうかその2000年後に何が起きたんだ?なぜ彼は死んだのだ?
そして結局、不老不死目指してるけど不老不死になった人居ないじゃん。
とか思ってたんだけど、

ようやく、この「不老不死」「完璧」が意味するものが
なんとなく私なりに理解できた気がする。

青山さんは著書の中で何度も問いかける。
人間には、本当に「自由意志」というものが存在するのだろうか?
すべては定められている運命なのではないのだろうか?
我々が「自由」と思い、選択していることすらも、本当は
遥か自然の宇宙のチカラによって、動かされているのではないのだろうか?

そして、人は、身体をもつ、という事実によって
束縛されている。

ある哲学者が言ったことを覚えてる。
人間が本当に自由になれるのは死んだときだ、
そのときにはじめて生きるという束縛から解放される、と。

病気になることって身体を持つからこその苦しみだ。
愛する誰かを失い悲しみにくれること
人生に絶望すること。。

肉体を持つからこその「苦しみ」って、ある。

もしかして、シッダ医学っていうのは、
人が生きたまま、肉体を持ったままの状態で
この肉体を持っていることの「苦しみ」や「束縛」から
人を解放しようとしてたんじゃないのだろうか?

シッダ医学が目指す"perfection"(完璧)とは、
社会、魂、環境、身体、心すべてが「完璧」である状態。。
不老不死、というのも、肉体を持っているという束縛から
肉体を持ちつつ解放されるという状態を目指すなら
納得がいくこと。

苦しみとか束縛からの解放とかって書くとなんか宗教っぽいけど
とにかく、今生きていることを本当に歓びを持ってたのしめること
そういうことを、シッダーたちは目指しているんだろうと
いまわたしには分かった気がする!

シッダマスターはまた書く。
「魂と身体が出会ったときのみ、
人間は悲しみ、歓び、愛し、たのしむことができる」

シッダマスターたちって、
実は人間たちを深く深く愛してたんじゃないのだろうか?

今、やっとこさシッダの持つ意味が分かりかけてきたことによって
やっぱりシッダがやりたいな♪シッダにしかやれないことがあるよ!

そして、私はやっぱり人間が大好きだから、人間に幸せになって欲しい、
そんな私がこの医学と巡り会えた意味は、あるんじゃないのかな?
私にはたぶん素質があったから巡り会えたんだ!ラッキー♪

って、思い始めました。

よかったよかった。
面白そうだ!

単純だな私も。また凹むかも。

インド行き!!

政府の奨学金に応募してから約半年。
自力でインドまで行って出願してから約3ヶ月。

ついに、大使館から大学入学許可+奨学金支給の連絡が!!
メールで、普通に届きました。

もうめっちゃやきもきして、
去年までは面接選考のみだったが今年からはインドでの選考があるから
奨学金合否はまだ分からないだとか、大学自体からも音信不通なんですけどとか
色々困りまくっていた中、
大学から謎のレターが届き(出願書類と成績証明書を政府を通して送れ)
出願書類も出したし証明書も出したじゃん!!!と不明な内容に慌てていた
その2日後に、大使館から入学許可*奨学金の連絡が来た、
ってところも、流石インドですね。

でも、「希望通りの大学にならないどころか、学部まで違う場合がある」
とか、変な噂を聞いていたものの、無事に第一志望の大学に行けるようです♪
素晴らしい!!!インドはやっぱり私の味方なのね!
と意味の分からないスピリチュアルさを求めてしまいます。

しかし、
大学からの直レターでもスペルとコース名間違ってたんですが。。
大使館からのレターでもそれは直らず。。。
BSMSコース(Bachelor of Siddha Medicine and Surgery)のはずが、
アーユルヴェーダのBAMS(Bachelor of Ayurveda Medicine and Surgery)コース。
これは、ただのミススペルなのか、それとも、本気で間違っているのか。。
悩むところです。
つーか略さないで書けよ!!!
っていうか、シッダ学部でアーユルヴェーダやれないだろ!

だからなんかまだ油断はできなさそうですが(笑)
とりあえず天が助けてくれているらしく、
ICCR奨学金で政府に守られながらインド行けそうです◎やった!
でも、挫折したら、卒業できなかったら、自腹。。。。。。。。。。
卒業しなきゃ。。。。。。。

真の自己

青山圭秀「アガスティアの葉」を続けて読んでいるうちに
このひとがたどり着こうとしている何か純粋な真実というものに
涙が流れ続けるのをこらえられなかった。

なんだかこうしているうちにも、
わたしの奥の奥にうずくまっている本当の魂が
眠りから解き放されて揺さぶり起こされそうな気になる

この 私の人格も、名前も、性格もすべては
何か私に奥に眠っている胎児のような宇宙の存在みたいなものを
表現するための楽器にすぎないのでは?
そんな感覚にとらわれたまま抜け出せない。

何か私の奥底に本当の自己が眠っている
それは私という存在とは違うような気もするけれど
それが身体が覚えている魂の旅の記憶というものなのかもしれない
ある人は火の鳥と表現し、仏様と表現したものそのものが
私の身体の中に存在していることを
永い眠りから自然と目が覚めるように感じるような本だった

運命というのが決まっているのだとしたら
人間に真実の自由などあるのだろうか?
そして宿命というものは存在するのだろうか?
すべては本当に定められているのだろうか?
という人類の問いに
個人の人生がすべて刻まれているという葉との出会い
占星術師たちとの出会いを通じて著者自身が挑んだノンフィクション。
アオヤマさん、最近ダントツ最高の作家さんです。憧れだわ。。

人生においてあらかじめ定められていることのほうが私は多いと思う。
病気になることも、特に。
自分が積み重ねてきた行為の結果起きた現象のほうが多いと思う。

それらはすべて、なにか決まっていて、個人の、私たちの人生は
その何か決まっている方向に突き動かされている気もする

私が今迄生きてきたことも、やってきたことも、
自分の意思というよりも何かに導かれているような気がしてならない、
むしろその導きに従うようにしてきたからそう思うのかもしれないけど

それと同時に、魂が人生という舞台を通じて何かを探し続ける旅
を無限に行ってきているのも事実だ。

その不思議な導きは今私に、何かとにかく
私の身体の中の奥底に眠っている遠い記憶とも言える不思議な存在
ーそれはアユミとも、私の人格とも違う、何か分からないもう1人の、
そして本当の私であり、魂であり、胎児であり、宇宙と繋がっている
その本当の自己というのを長い長い休息から目覚めさせてやりたい
と熱烈に感じさせている


瞬間に生きる

アーユルヴェーダの名医の先生に脈診で診てもらった。
なんで脈だけであんなに分かるの?何も言わなくてもすべて身体の症状をあてられた。

「今から3年か5年前に、トラウマになるようなことがありましたか?」

ずっと、分からなかったこと。
わたしは一体何故しょっちゅう発熱するのだろう。
一体私のトラウマは何?
何か物凄く深く傷ついた経験があるのかと聞かれたことはあったけど
それが何か思いつかなさすぎた。ずっとの間。
なぜ私は鬱っぽい状態が続くのだろう。発熱するのだろうか。
体質だと思ってた。

でも、今、
乗り越えたと思ってた。
彼が死んだこと。不登校。自傷。
とか、今となってはどうでもいいように感じることが
吹き出してきた。

アーユルヴェーダでは、アーマというものが蓄積すると病気になる。
それは消化しきれなかったものの存在という意味。

食べ物だけじゃなくって、たぶん、何か起きた悲しいこと、傷や怪我、
後悔、なども、アーマとなって蓄積されれば、きっと身体に出てくるのだろう
ストレスだって、アーマとして蓄積されれば、不眠症や鬱などの状態になって
あなたの環境と状況に警笛をならしてくれる。

涙を我慢すること、だってきっとそう。
だからホピ族のヒトたちは泣くんだって。

いっぱい我慢してきたこと。排泄しきれなかったもの。
納得できなかったもの。後悔していること。
発散しなかったストレス。心苦しかったもの。
泣けなかったこと。謝りきれない過ち。
心の消化がいかなかったもの。

とかは、きっと少しずつからだの中に蓄積されて、現れてゆくんだ。
こころを消化させること。感情の消化。
って、食べ物を消化するみたいにきっと大事、なんだろう。

そして、私はあのひとの死を3年経った今
たくさんの人とあれから付き合っていたものの
まだ消化しきれなかったことに最近気づいた。
そろそろ、許して、心の中で、手放して、あげなきゃ、
宿便みたくおなかのなかに溜まってしまうのかもね。

アーマは胃が消化しきれなかったものだけじゃない。
心が、皮膚が、目が、脳が、耳が。。。消化できなかったものでもあるはず。

瞬間に生きていこっかな。引きずらずに。
すべてのことに対応しきってその場で消化していって
明日の朝には残らないような、胃もたれにならないような
そんな軽いからだとこころを作りたい、かも

***
情報のあるアーユルヴェーダへの理解と関わりは少しずつ増えてってる、かも。
シッダ医学との関わりは自分ではじめからつくるしかないんだろうけど、やりたい。

理由

生まれた理由、
を、探してた
誰に聞かずとも、なぜだか探さずには居られない
立ちすくんでいられないの

ヒーローとも違い
愛する人を見つけるのでもなく
ただ、ふつうに、この世界に当てはまる方法を
探し始めていた

見えなくともよいの

それは よくいわれる
好きなこととも
自分らしく
とも

何かちがうもの。

つぼみは、たぶん綴じた目で咲く方法を必死に見つけている
さなぎも、たぶんその縫った箱の中、外に出る方法を探している

どうやって花開くのか
どうやって羽根を開くのか

たぶん自然界の個々の生命はひとつの存在として咲くための方法を探している

水は乾きを潤し、光は暖かさを与え、土は土台と栄養を与えるが
光が乾きを潤すことはできず、
土が水と光の助けなしに栄養とぬくもりを芽に与えることもできない
のだから、

私はその中の光なのか土なのか水なのかを
知りたい
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