旅をする木

生きるという旅をすることは、人と人という繋がりの橋を渡り続けること。 そしてたまに眠りもう会わない人の夢をみて休むの。 ケララ州トリバンドラムの小さな田舎に7年住み、 南インド伝統医学、外国人女性初のシッダドクター(首席卒業) 2016年8月〜 現在ブラウン公衆衛生大学院修士課程在学中。 このブログは10年前から続けてる日記みたいなもので いわば個人記録みたいなものです。わたしが忘れないための。 三聖病院での森田療法体験記、 彼が死んだときに旅をした話 アメリカのときの話 インドの話 シッダの話 ほかにもいろいろと ずっと書いてます。 きてくれて、ありがとう。

2008年07月

蜜さんへ★ふつうってなに

私信となってしまうかもしれないし、
もうみてないかもしれない。

いっぱい長いコメントありがとうございました。
ずっと答えられなくてごめんなさい。
「普通」って何?ってことについて。

私も、わかんない。

世の中死んだ方がいいじゃんって人がいっぱい気もするけど
子供が生まれたり、結婚したり、失恋したり、卒業したり、
いろんなことで、歓び、悲しんでいるひとたちが私は大好き。
そしてそんな人たちを守りたい。

社会情勢とかも大切かもしれないけど
(元/現ジャーナリスト志望ですしねw)
一番大切なのは、ひとりひとりが幸せであることで、
その幸せは、恋したりとか、おいしいものを食べたりとか、
そういう小さな小さなコトでかたちづくられてることもある。

でもホントの幸せはもっと違うところにあると思う。
たとえば、健康であるってコトとか
自分の意味に気づくとか

でも、すごく小さな小さな日常が、たんたんとすぎてゆく日常が
いちばんたいせつだとおもう。


わたしがあのときに意味で「ふつう」って言ったのは
「その他大勢」という肩書きのくくりだったのかな。

でも私もふつうだし、みんなもふつう。

だけどやっぱり比べたときに、人と比べて、
自分は他の人みたいに我慢することができないなあって
いい意味でも嫌な意味でも思うかな。

なんだか分からなくなってきたけど
「一般大衆」っていうのは、あるようでないのかもしれないですね


一人一人に命の炎があるし、魂があることは事実ですから。
でも、それに気づいていない人が、いわゆる「普通/一般大衆」なのかも。

でも私はそんな衆生がだいすきでたまりませんが。

なんかまとまってないですけどそんな感じです。

いまはわたしはほんとうに当たり前の生活をしているひとたちに
幸せになってほしいという想いでいっぱいです。
そのために自己犠牲、ではなくって、それなりに努力したいな。
いっぱい人に優しくされてきたので。

普通ってなんでしょ?話ずれたけど
あのときは世間一般の肩書きのくくりのつもりだと思いマス。

もう1つの

インド医学のブログ
かみのすむくにのくすり
再開しました。

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とりあえず初心は

わたしは昔から

先住民のこころを現代文明に取り戻す

ってことをやりたかった。

どうやって、先住民の智慧を現代に還元できるんだろう?
そうしたら、もっと世界はよくなるのに。

そして、どうやったら、カルマとか前世とか、精霊の存在を
分かってもらえるんだろう?科学的に証明できるのだろう?

そんなことを悶々と考えるのがアメリカの日々だった。

だって私には聞こえるのだから、樹が言ってくれることが。
そして、先住民たちの文化が私には理解できるのだから。
私はこの特技とも幸運とも言える状況をつかって何ができる?

そして昔から興味があった代替医療。
中でもインドの医学。なぜかは分からない。そしてインド哲学。
何かを思い起こされるような気が、してた。

それから、なんか共鳴することが多い自分。
隣に座ってる人の考えてることが分かってしまったりする。
この特技はどうやったら活かされるのだろうか?

だからわたしは、これら全てを還元できることを学びたいと思った。
迷いに迷ったけど、やっぱり”今”はこれが正しいと思う。

病気を通じ、そして病気を治すことを通じ
自分は自然と宇宙と繋がっていて、人生そのものが魂の旅なのだと
気づいてほしい。それを証明したい。
キモチが動かなきゃヒトは動かないし世界は変わらない。

統合医療に貢献して、ヒトの魂を取り戻していきたい。

そんなキモチでいってくる。

きっと自分の弱さに耐えられなくて駄目になるかもしんないけど。
むっちゃ全然駄目で戻ってくるかもしんないけど。

出会いと迷い

出会いとか巡り合わせってあるもんね。

青山圭秀さんの本「理性のゆらぎ」で
科学をずっと探求してきて東大で博士号を2つも取って
世界の真理に科学でいきつこうとしてた青山さんが
初めてインドにいったときのことが書いてある。

インドで、
日本の頭脳を担う科学者であった彼は
サティア サイババに出会い、
インド哲学であるヴェーダに出会い、
アーユルヴェーダに出会った。

そしてそれに惚れ込んだ。
そして迷った。

「へたをすれば、私が今迄に築いてきた学問並びに人間的信用を、
全て失うことになるのかも知れない。」

私も、まよった。

まあまあ名前が知られてるアリゾナ大学での
奨学生としてしかも首席で卒業するのか。。。。
そしてアリゾナ大で頑張ってみたボランティアワークや、太極拳や
知り合いのひとびととの色んなネットワーク。
レジュメには非常に良いことは確実である”ステイタス”



意味分からん、コンピュター2台しかない
設備は日本の幼稚園レベルの”大学”。
しかも、娯楽も何にもない世界。外人も居ない。最悪の環境だと思った。
え、トイレ、やっぱ手でケツ拭くんすよね。
サリーですか?着れませんよ毎日。

でも
青山さんは書いてた。
「だが仮に、すでに私が持っているとしても、
それらを全て合わせたものと今回私が手にしたものと、
どちらが本当の真実に近いのであろうか。
そう考えると妙におかしさがこみ上げてきて、
私は一人でクスクス笑ってしまった。」

今迄の自分の努力と、アメリカでのステイタスと、今迄自分が全て得てきたものと

私があのインドで得られるもの。。。
シッダ医学という、人類の英知が結集した最高峰と感じられた
あの知識を目の前にしては、
どんなものも捨てられる気がして、どんなものも色あせてしまった。

そして、そんなとき、「トカゲ」のアニマルトーテムの説明を読んだ。

「トカゲがアニマルトーテムの人は、
誰の何を言っていることよりも、自分の直感を大切にしなければならない。
トカゲは1度だけ、しっぽを切って逃げ出すことができる。
その人は、自分の半身を残し、一度だけ違う世界に入ることができる。
人生では、全てを投げ出して新しい世界に行かなければならない
そういうときがある。」

そして、さらに、捨てようとして気づいた。投げ出そうとして気づいた。
私には捨てるものなんて特になかったんだ。
むしろ、捨てようとしたら得たものが大きかった。

「本当に君がその道を選んでくれて嬉しい!素晴らしい生徒だ!!
将来、絶対に一緒に研究とかしようね!!」
って本当に喜んでくれた、アメリカ代替医療のクラスを苦労して作り上げた教授。

「将来、統合医療のクリニック作ってコラボしようぜ」
って言ってくれてる、アメリカで出会った中国医学の先生。

そしてちょうどこっちの考えと向こうの考えがかみ合ったアーユルヴェーダツアー。

なんだわたし、いっぱい繋がってるじゃん。
既にコネクションがあるんだね。
いっぱい既に繋がってたじゃん。
そして捨てたものなんて何もないし、得たものの方が大きいじゃん。

アメリカの荷物を片付けてくれた友達。
地球の裏側から本当に喜んでくれる色んな国の友達。
日本でいっぱい送り出してくれた友達。
私のアイディアをいいね、って言ってくれる友達しか
私は結局持ってなかった。馬鹿にされることもなかった。

この出会いと巡り合わせと、迷ったけど大丈夫だと思える状況に
感謝して、負けないでおれないようにがんばろ。

魂は知ってる。
ほんとのことを。
心が迷っても、魂は分かってる。ほんとのことを

もう1度

ほんとうに、
ひとつでも、
欠けていれば、
日本でのわたしと、
アメリカのわたしが
居なければ、

今のわたしは此処に居ない。

あのとき彼が死ななかったら
インドに行ってなかったら
あのときあのバイト先に居なかったら
あのときあのインド人たちに出会わなかったら

あのときあの教授と出会ってなかったら
あのとき単独断食を山で3日間やってなかったら
あのとき突然偶然に代替医療のクラスを発見してなかったら
あのときあの教授が偶然にネイティブアメリカンの儀式に招待してくれなかったら
あのときあの人と付き合って、あのカップルに出会ってなかったら
あのときあのヒトがブログを見て私に会いに来なかったら
あのときあの彼氏と付き合ってなかったら、
そしてその親友と出会ってなかったら
あのとき突然思い立ったように編入決めてなかったら
あのとき肩が痛くなってカイロ行って先生に紹介してもらったヒトが居なかったら
あのときあのヒトに廊下で話しかけてなかったら
あのとき太極拳をやってなかったら

あのときあの彼氏と一緒に人類学のデパートメントに行かなかったら
あのとき船の大学に応募するって決めなかったら
あのときギリシャに行かなかったら
あのときあの派遣の仕事をやって疲れきって不眠にならなかったら
あのとき日本に強制送還された上にフラれなかったら
あのときアーユルヴェーダを受けようと決めなかったら
あのときあのスタッフの人たちが施術してくれなかったら
あのときあの先生があそこまでわたしをインドの病院へ押さなかったら。。。。。。。。

ほんとうにすべてが、
いま思うとすべての流れがわたしをここに運んでくれた。
でも、まだまだまだまだまだまだまだまだまだ続くんだろう、道は。


すべてが、
ほんとうにすべてが繋がっている。


ひとつでも欠けていれば、
わたしが今これからシッダ医学の知識を学ぼうとしたという状況になったことは
絶対になかった。

すべてにありがとう。
わたしは恵まれていると知っている。

みんな、ありがとうね。

世界のため、誰かのために頑張りマス。
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