旅をする木

生きるという旅をすることは、人と人という繋がりの橋を渡り続けること。 そしてたまに眠りもう会わない人の夢をみて休むの。 ケララ州トリバンドラムの小さな田舎に7年住み、 南インド伝統医学、外国人女性初のシッダドクター(首席卒業) 2016年8月〜 現在ブラウン公衆衛生大学院修士課程在学中。 このブログは10年前から続けてる日記みたいなもので いわば個人記録みたいなものです。わたしが忘れないための。 三聖病院での森田療法体験記、 彼が死んだときに旅をした話 アメリカのときの話 インドの話 シッダの話 ほかにもいろいろと ずっと書いてます。 きてくれて、ありがとう。

2011年08月

家 & 周辺


ほんとは色々載せたいけど スピード遅すぎて無理なのでこのあたりで。


IMG_0433


木々の合間からみえる家はこんな感じ★ ひろーい★ かわいい★
・・・日本よりいい環境?すみませんみなさん・・・。


家から学校への道はこんな風になってます。森の道です。
 ここを散歩していきます。または自転車で強行突破。












ちなみに、日々ケーララ人化してる私は、
記事に誤字脱字を発見しましたが、このネット重いから編集できませんー。
改行もできませぬ。すまぬー。






グローバルな人というのは、スキルよりもピュアな眼を持っている。

私はここに来たとき「これがほんとの人類学だよ」と思っていた。




外人が一人もいない、自分の育ってきた環境とは遥かに違い、
国際的なものにはあまり触れる機会がない現地人の人たちだけと、
昔から一緒に暮らしてみたかったって夢があったから。


本当の理想は、森とか山の部族たちでしたが…。







それが遥かに難しいことだということが分かったのは、3年後のことでした。
この3年間必死だった気がする…。



この間に「国際人」とか「コミュニケーション」とか
ちょっと前まではさかんに取り上げられてた言葉について思わされることがあるので書いてみようかな。



(なんだか、偉そうに語ってますが
でも一応純日本人で、自分の意思での海外在住経験がもう9年近いし話してもいいよねぶっちゃけ。
人類学やってたし、1カ月しか居られなかったけどグローバル目指した世界の学生集めた船上大学にも行って国際コミュニケーション専門のカリキュラムに触れたし・・・ )








「ケーララ人」で書いたけど・・・

これだけ文化の違いがあるんだから、






ぶっちゃけ、全員英語が話せれば・・とか、
ちょっとした文化学習とか・・・
コミュニケーションスキル教育とか・・・カルチャーショックとか・・

・・・っていうのは
もちろん今自分が育ってる環境が「絶対のものではない」ことを知ることができて
起こりえる予想外のことに予想がつくことは生き延びる上でとても重要なんだけど…





でも、最近感じることは、


そういういわゆる「知識」や「スキル」よりも

もっと大事なのは、



ここまで感覚が違っても、
個人の人間として分かりあえるその人間的魅力であり

文化の壁を越えてどれだけ
人間として
平等に関われるか



じゃないのかなあ

ということ。



異文化コミュニケーションで一番大切なのは、
異文化を知っていることよりも、
異文化すらも越えることができる心なんじゃ?




ちょっとぐらい、自分たちの文化から外れていても「あ、でもこの人ならいっか」と思うようなかわいさがあれば
現地でちょっとぐらい、外人として現地人の常識で考えられないことをやってしまったとしても、何とか許してもらえるんじゃないでしょうか。

私は最近これを痛感しています。

「アユミだからいいや」って許されている部分がかなりでかいからです。


現地の人に嫌われないレベルではなく、むしろ好かれなければ、
異文化の中で一人では絶対に生きていけないのです。




常識が全く違う訳で、生きる上で大切にしている前提や倫理、価値観、良識とかも全然反対な訳だから、
もうここで分かり合うのは、それを超越した、個人の人間としてのレベルの方が大きいのではないでしょうか。

異文化に住む人たちと関わりあうときに一番助けになるのは、文化の理解を通して、
その個人の本当の姿を知ろうとする力だと思うのです。

「フィルター」に覆い尽くされている世界や個人の行動の本当の姿を知ろうとする心というか、
その覆いに惑わされない眼だと思うんです。


だから、国際教育はもっと、
普遍的になってみたらどうだろう。。。



文化の違いに圧倒されて閉ざされてしまわない、”ハート”を。
見える存在である文化や振る舞いなどの覆いにおおわれて
ふだん見えなくなってしまっている真実を見ようとする、”澄んだ眼”を。
文化、常識、価値観、道徳観、…それらを、自分のものさしにより思いこみだけでなく、
他者の環境を考えた上で判断ができる”想像力”を。
自分とまったむ違う環境に生きている人へ共感できるような”やさしさ”を。




それの方を育てていく方が、将来ためになると思います。


全然立ち振る舞いが違う外人が来たときも
「この人は一体どういう背景でこういう態度に出ているんだろう?
この態度を通じてこの人は何をしたいんだろう?」と
考える”ゆとり”を、心の中に、
「こうじゃなきゃいけない」っていう常識とは離して、存在させれば、
これはきっと、個人としての繋がりではなくて、もっと大きな理解に繋がっていくはずなんじゃ?




今の環境で作り上げられ、教え込まれている価値観や道徳を越えて
お互いが繋がっていくしか最終的にないのではないのか?と最近何の気なしに感じており、
そのためには個人個人の心が必要不可欠なんじゃないのか?って思うわけです。


しかし、マナーはマナー。
文化の違いを知ることは、そういう澄んだ目やハートを
一体どうやって持ち続けていられるかという手助けになり、誤解も減るしやっぱり大切ですので
そういった知識ももちろん持っているべきだとは思います。



しかもじぶんは今日もめちゃヘマした。

生意気に先生に対して「これこうした方がいいんじゃないですか?」って言いました。
ここでは先生は絶対神のような存在なのに!!!!!くそ生意気です。
これはでも文化の差っていうより私が生意気なだけだが。。。はあ。

ケーララ人。


これであなたもケーララ人???


なんだか某アフリカで勉強してる方のサイトの真似ですが(笑)
もっとポイント的なものを集めてみました。


あなたはいくつ当てはまりましたか? もし8個以上ならきっとケーララ人と結婚できます(ww

ちなみに私は・・・・ 

日に日に言葉は話せないくせに人格だけがケーララ人化しているのがすごく嫌なんですが。





これができれば、
あなたもケーララ人★★





なんか改めてみてみると、日本人としてはかなり間違っている、迷惑な人間たちですね…。
でも普通なんですがね。


もちろん、全てのこの文化的行為には社会的背景があります。
こういう環境では、こう振舞わないと生きられないのですが。





1)嘘を平気でつける。

「嘘も方便」!都合が悪いことは、てきとうにごまかしておきます。
金払いたくないときは「今お金持ってないから」とか、そういうのから始まりでっかい嘘まで・・・多様です。

私はバカ正直な人間なので、ぶっちゃけこれを身につけるには苦労しました。

嘘は生きるときに人間関係を円滑にするためにある程度必要だということを
身をもって知らされました。




2)試験中、先生が目を離したら即「この問題の答えって何だっけ」と隣の人に聞く。

カンニングは当然!!
知識というものは、私たちのものであり聖なるものであり
個人のものではないのです。
それを分かち合わずどうするよ?当然でしょう!

・・・というのは建前で、単に答えが分からなければみんなで喋くって教えあいっこします。
たまに、紙に答えを書いてきて試験中写してる奴も居ます。







3)他人のモノを自分のように使う。

消しゴム、ペン、鉛筆、定規… 
自分の手元になければ、他人の筆箱を探します。
もちろん、「借りていい?」って聞くこともあるけど、半々ぐらいで、勝手に使います。


なんか、2005年ぐらいに会った日本人大学生に、インド人が寮に住んでるんだけど
そいつにパソコン貸したら自分の物のように平然と使ってて、
お気に入りとか勝手にリンク貼ってた~って言われたが

・・・・それって、普通、じゃない・・・の?

みたいな感じになってきました(汗)

自分が持っていなくても、
人がもっているものを借りることで使うことができる。

一人で全てをもつことはできないから、
自分の持ち分と他人の持ち分を補って分けあう。当然のことです。

こういう当然のことが「ちょっとずうずうしい」と感じられる社会ってどうなの?
って私は逆に感じてきました。


相手がもってないなら、自分の分を分ける。
自分がもってないなら、分けてもらう。


今こそそれができるとき。


また、このことによって自分のものも守られます。
自分のものを失くしたときに
誰かが大切に預かっていてくれているのはよくあることなのです。





4)部屋が、死ぬほど汚い。


ベッドに、紙・ペン・かばん・化粧品・・・ETC何もかも置いている。

日本人では、生理整頓すべきじゃないでしょうか、と言うような状況も、こちらでは普通。
将来彼女たちはどんな奥さんになるのでしょうか…と思ったりしますが。。
何もかもがいっしょくたになっている机からものを引っ張り出すのはよくみます。


ちなみに私は、生理整頓できないことで小さい頃から有名でしたが(?)
ここに来てこの国の人は私と同じレベルかそれ以上に整理整頓ができないことが分かり
少し安心しました。




5)予定を立てることができない。

今日の予定が分からないし、誰も知らない。


今日は、午前中だけ実習試験かなって思ってたのに
試験終わったあとに「午後も来い」て言われたけど
何があるのか誰も知りませんでした。
さらに、午後には何も起きませんでした。
というのは日常茶飯事すぎることです。

今週末とかにすべきことの予定とかも
「あー前日に考えればいいや」ってなります。
それか、当日。


学校で言えば、

「明日実習の試験があるから」と通告されます。
あと、試験の前日にその範囲を知らされたりとかも普通です。


あと「○○時に」という約束も、よっぽど時間に精密でなければならない場合以外、不可能ですよね。
何が起きるか分からないからその時間通りになんてできません。


1カ月以上先の予定など、絶対に立てることができません… 
ので試験とかは本当に困ります。パスするのかな…まじで…。



だから、1年半のセメスターも始まった最初は「時間がいっぱいあるから」
ってのんびりして最終試験直前になっていきなりすごいスピードで詰め込みます。
今日も居残りでした!!!!
最初から、予定していればいいものを…と思いますがそれができないのです。

しかしこれは勉学をする環境として致命的だと思います。
既にシラバスが決まっていて教える内容もきまっているのに予定が立たないというのは学びになりません。
試験・授業も全てがこのノリなのは本当に迷惑なことです。





6)約束は破るものである。


「明日電話するね」とか「明日来るね」とか「明日持ってくるね」とか
そういう約束は8割がた信用できませんよね?

学校のみんなに「みんなで力合わせて効用別に分けた薬草のリストつくらない?」と持ちかけたとき
「いいよ!」とみんなやる気満々でしたが、




やってきたのは15人中一人もいませんでした。





・・・・・





学校レベルではなく学会レベルの、ケーララ州とタミル州両方の、とかそういうのでも、約束は破られます。
校長に名指しでプレゼンやってくれって言われたのに、校長が私の名前登録したっていったのに、



プレゼンのリストに私の名前なかった…


…それを先生が発見して入れてくれたけど…


とか、普通。







約束が破られたことは、何の連絡もなかったりすることで分かることができます。

もし、<自分が>その約束をどうしても守ってほしかったら、相手にうざがられるまでしつこく毎日聞き続けるしかありません。
何事も根気。ですね。

ちなみに、約束を破るのは、本人たちには破っているという意識は全くありません。
ただ、その場その場の出来ごとに流されて忘れただけなんです。悪気はありません。






7)諦めが肝心だと知っている。


○物ごとや他人に期待しなくなった
○周りの出来ごとなどに無関心になった
○努力をするのがおっくうになった
○何かしようとしても椅子から離れるのが面倒とか、かばんを開けるのが面倒とかいう理由でやめたことがある。

などの症状がでてきたら、うつ病ではなく、ケーララ人化している可能性があります。

何だか、あまりにも環境が予想外のことが多すぎて酷いことも多いので、
ものごとにいちいち反応していたら身がもたないんですよね。


だから、無感情・無反応・びっくりしない方が生きやすい訳です。

こう思うと人間の環境へのアダプテーション(順応)っていうなかなかのものがありますね。
体の進化などではないので1世代・個人単位で可能で、これが実は人類にとって最大の武器だと痛感させられます。







8)仕事よりも私情が優先である。

「昨日洗濯しなきゃいけなかったからテストできません」っていう言い訳が通じます。



家を建てているときは、「めんどいから」って誰も働きに来なかったらしい…。

先生に質問にいっても、「今日は他の先生が会議に行くのについて待っているから」と言われる!!!!!!おい!!
←けっきょくそれにくっついて行きましたが、
しかしそのあと、他の先生に「もういいじゃん、早く寮に帰りましょう、教えるのやめてちょうだい」
って言われて教えてもらえなくなった…何なの!?

先生も、「家に帰るから」って教えてくれなかったりします。


半年ぐらい先生がいなくてその科目の授業がなかったという話はしょっちゅう聞きますよね。



何よりも、めんどくささとか、おしゃべりとか、眼先の愉しみが優先で、
肝心のすべきことというのはあまり大切ではありません。
目標というのを持つのがすごく難しいのです。

この家を建てているときも、常に監視していないと作業員が働いてくれなかったり、
家で休んでたいからって働きに来てくれなかったりしたそうでまったく進まず、
彼らの家に何度も直接押しかけて作業員を捕まえて働かせたということが何度もあったそうです。。。


こういうのを見ていると、突然話が飛ぶようですが、
昨今の社会の中、学歴が評価されてきた理由がよく分かります。
ほとんどの人が辛抱強く勉強というひとつの目標に向かって努力することができずすぐやめてしまう中、
じっと耐えてこれた人間というのが学歴が高い訳でしょう。
それはある意味、「他人より強い」ということで、今の競争的社会では評価される値であると感じます。

学歴の評価というのは、優秀というよりも先に、どれだけ我慢強く続けられるか、という面から始まっているのだと私は個人的に確信します。
学歴が高ければ勉強を根気よく続けて来れた分仕事も続くだろうという評価です。

(もちろん、”忍耐よく続ける”には「これしかない」という環境が一番効果的なので、
現在のほとんどの高学歴の人たちは「目標があるから忍耐よくできた」というよりも
人生においてその道しか選択肢がなかったのだろうな、という人の方を多く目にする気がしますが… )






9)何の前触れもなく突然物ごとは起きるものである。


数日、副校長見かけないなあ・・・って思ってたら、「辞めたらしい」…っておい。
前日に連絡して突然帰ったそう。

突然何かが起きることはしょっちゅうです。

でもたぶんみんな前日までそのことを誰にも話さないからこうなるんでしょう。
実際に「内緒だけど私博士課程いくつもりなのよ」と教えてくれた先生もいました。
周りから見たら先生は前兆もなく消えることになるのでしょうが・・・。
実は奥でみんな密かにプランを進めているとは・・・。





10)割り込みはするものである。


医者と話しているような場合でも!!割り込んで話してくる人と彼らは話し始めます。
どんなに人がたくさん群がって並んでいるようなときも!!
カウンターに先に言って係員と目があった人が勝ちです。
バスも同じです。

だから、ああ、今この人の仕事が終わるのを待ってから・・・・とか思ってると永遠に待たされます。

だから、割り込みます。
仕事してても、電話で話していても、誰かと話していても、会議の途中でも!
言いたいことがあるならその場で言うのが鉄則です。

割り込んできた内容が何か大切なことかもないじゃないか!というのが彼らの言い分です。
「これだから」と決めた予定よりももしかして急用ができるかもしれないということなのかなあ。






11)話の腰を折る。


口答試験の最中ですら!!!!!!!
「ご両親は?★」とかいって話がどんどんずれます。

一度始めた話を終わらせるというのは物凄く難しく、
大抵始めた話は他の話に切り変わったり邪魔が入ったりして
最初の議題を続けるということはほとんどできません。
続けたければかなりの体力が要ります。。。

私も最近はこの調子に慣れてきて、話が途中で遮られても気にならないし、
話を自分の気分で平気で切り替えるようになりました。


インド全体に通じると思いますが、


過去は忘れる!のです。

「さっきまで話してたじゃん!」といってもさっきはさっき。
今は違うのさ!っていう論理なのです。


もしこれを100%実行し、自分が抱えている問題や悩みなどに適応できたらすごく幸せな人生になるかもしれません。



「今、このときに大事なもの」に徹底した結果、
最初にしようとした話が途中で興味を失ったということなのです。。。。





12)人間は信用できないものである。


これは、インドに行く日本人に全員に言いたい。

「この人はいい人だ、と思うな絶対」

その人がいい人であってもいい人に振舞っているだけかもしれない。
「こいつはこうだから」という絶対的なものはありません!!

信用という内容が違うのかもしれない。


「どうして校長の言ってたこと本気にするの!?」と最近怒られました。
「なんでそんな校長が言ってたことなんか信じてる訳?」と。


北インド・デリーで出会ったインド人に
「だって、○○ルピーって、ホテルのボードに書いてあったよ!」と言ったら
「は、ボードはボードじゃん」

書いてあるものも、言われていることも、その目で本当に確かめるまでは本当には分かりません。





13)借りたものは、返さない。



図書館の延滞罰金: 1カ月75ルピー。
1カ月単位で本の延滞罰金をとっているところからして分かると思いますが、
長い期間ものをずっと借りているというのは普通です。

別に持っていたい訳ではなく、単に忘れるのです。
借りたものには限りませんが、とにかく

相手が聞いてくるまで動かない。


というのが普通なので、借りたものも、自分から返すということをあまりしないのです。

私もこうなってきて、先生が貸してくれた本すらも未だ借りてる途中・・・


私が貸したシャープペン、ボールペン、雑誌、ETCほとんど行方不明です。

モハン・ラド(ケーララの映画の大スター)のサインも!!!!!!!!!!!!!!!

**************






基本的な部分を小さくまとめてみました。



・・・・はぁ。なんか、日本だと人間としてまちがっていて究極のダメ人間である気がしますが、
ここだとこれが普通なのです。




こういう環境では、日本人的に過ごしても、嫌がられはしないでしょうが、生きにくくなるでしょうね。

特に、割り込みができないと、生きていけないし毎日のストレスがすごいと思います。



でもこれって、メキシコとか南米とかでも当てはまるし、ギリシャあたりでもこんな感じな雰囲気がするし、
万博で出会った中東の大使館も仲良くなったら売り物のコーヒーくれるぐらい私情優先だったし、

なんだか、世界の大半はこういう人たちなんじゃないかなあとなんとなく思います。



日本がなぜ、ここまで技術的にも経済的にも評価されるようになったか、

日本の中に居ると分かりませんが、
世界のほとんどの国が大雑把で、
自分の目の前のことが優先で、だらだらーと生きているのに、


日本人はどんな些細な点ももらさずに必死にやって、しかもそれが当たり前だと思うことができるのです。
一人一人の真面目さがこれだけの質を作り上げてきたことはもう間違いありません。


実際に、私がインドやアメリカに行ってもトップの成績がとれるのは
私に流れている日本人の勤勉さが大きいと思えます。
現地人と比べて、”努力できる能力”がもとから高いのかもしれません。



日本人は本当にすごい。と改めて思わされます。
他の国では太刀打ちできないような難しい問題も解決していくことができ
ここまで世界に誇れる技術を育ててきたのは、どうみても日本人の仕事に対する態度やクオリティが素晴らしく高いからです。


日本、頑張れ。

瞑想のある暮らしって最高すぎ!!!

瞑想6周年? もうすぐ瞑想はじめて6年ぐらいになる。 その割には何の上達もないし最近では瞑想よりも昼寝を優先し、さらに瞑想を昼寝がわりに使うという最低さだが・・・ っていうか20歳のときの私の感性は素晴らしく正しかったと思う。 夜遊びよりもネイティブアメリカンと太鼓叩いてるほうがよかったもんね。 でも瞑想のおかげで私は毎日生きていると本当に思う。 この訳わからない苦しい世界から、一瞬でもエスケープすることができる、それが私にとっての瞑想。 そして、色んな感情が私を襲ってきて、どれが自分の本当の声か分からないときに、 自分の本当の声、ピュアな想いを教えてくれるのが瞑想。 感情や想いやエゴや不安や、社会的な地位とかにとらわれて、自分の魂が欲してることを理性で<考えて>否定して潰してしまいそうになるときに助けてくれるのが瞑想。 瞑想がなかったら私は生きていないと毎日思う。 疲れをとって、リフレッシュさせてくれるのが瞑想。 勉強から、劣悪な学校環境から一瞬でもエスケープできるのが瞑想、でもある。 そしてその瞑想の旅はとっても気持ちが良いもので 瞑想し終わった後には、私は自分が何がしたかったのか分かることができる。 禅でひとつの課題についてずっと考える瞑想っていうのはきっと考えるんじゃないんだろうなー ふわふわしているときに答えがふっと降りてくるのさあ。 また、心をシェアする友人が居ない私にとっては、瞑想が友達。 瞑想を始める前に、「◎◎はどうすればいい?」と瞑想に相談するのです。 瞑想ありがとう。まじで瞑想しなかったら私の人生は大きく変わっていた…というか、存在してないと思う。 瞑想がない生活というのは、ちょっとありえませんね。。。食事がない生活と同じ状態というかそれ以上。 私の足を大地にくっつけて「お前は生きている」と教えてくれる瞑想はこれからも続けます。 そして是非とも、この世界の一人でも多くの人に瞑想をしてほしい。 下手に瞑想教室とかいかないで、1つ瞑想のCDでも買って、とにかく始めてみてほしい。 大きく人生が変わってゆくのが分かるから。 ピュアな自分で居るために欠かせない存在です。 本当は瞑想なんかしなくてもそうでありたいものですが、それはやっぱり難しいし。 ぐらぐらぐらぐらふらふらふらふらしてる自分を、さらっとまとめて正しい場所に戻してくれるのが瞑想。 たぶん始めれば、運も良くなります。

ヴィレッジライフ

新しい家の生活をたどってゆけば 私が此処に居る理由に戻る。 * ヴィレッジライフ。 しかも、モダンな便利さはとどめつつ、ヴィレッジライフのいいところばかりもらっているかも。 満喫中かも。 ハウスオーナーが、そんなコンセプトも知らないだろうけど素で半農半Xなのです。 職業はドライバーだけど、家では牛と鶏を飼い(これも収入源)育てられる野菜やスパイスは家の周りで育てています。 ・森。 辺り一面全部森。 木 近所→ ・鶏。 卵は鶏のおしりから直接いただく。 ・牛★ フレッシュミルクを毎日いただいています。 牛の世話は大変です。毎日うんこ片付けてる音をよく聞きます。毎日牛を洗います。えさも大量です。 おしっこすると隣の部屋で音が聞こえるほどにダイナミックな排泄をしている牛たちは、 1日に8リットルものお乳を出してくれているそうです。 牛の糞は、家の周りにたくさんある野菜や花たちの肥料になるし、 牛はいつもおとなしく牛舎に1日中いて動かなくて暴れもせず静かだし、 お乳は毎日出るし、すごい生き物ですね。食べるなんて考えられない!というのがよく分かる。 牛は素晴らしい家畜です。 ・野菜★ もらえるスパイスとか、素で野性で育ってるナスとか、しょうがとか、自家製。 ・薬草★ ケーララは、道端に生えている雑草のほとんどが、薬草なんですが、 家の周りで育てられるハーブは育てはじめました。 といっても、植えるだけなんだけど…。勝手に育つみたい。 Ocimum sanctum, Ocimum basilicum, Adathoda indica, Indigofera tinctoria, Azedaracta indica、 Acorus calamus・・・etc 色々集める予定です。 そのへんの雑草としてもたくさん薬草が生えているので、少しずつさらってます。 ・森の朝★ 朝はめちゃくちゃ気持ち良い。フレッシュな風。木から下りてくる冷たい空気。鳥の鳴き声。 たまににおう牛フンの香りも、なかなか味があるかも・・・。 ゆっくりと聞こえてくる、井戸の水をくみ上げる音とか、 ・森の朝ウォーキング★ 学校まで徒歩25分ぐらいの距離なので(かばんは重いんだけど) 登校=森の中を毎日ウォーキング★ ・水★ インドの水なのに・・・??? 何と、生水飲んでます!!!!!!! 煮沸消毒もフィルターもしてない。素の水を。もうインドの他の州には絶対旅行できない気がします。間違って水飲んだら大変だ。 井戸水なんです。ここ。 地下から毎日くみ上げる水は、フィルターとかかけない方がおいしい。 ・自然と自分★ 井戸水だから、水に限りがあることがよく感じられるから、 水を大切にしないといけない私たちに課せられた義務を毎日感じながら生きる。 (そうじゃなくても感じないといけないと思うが…すまん) ごみを燃やすか、道に棄てるから、ごみをなるべく出さない生活をしたい…って思う。(なかなか難しいんだこれ) 少なくとも自分が排出するものをなるべくクリーンにしなければ、と思って、 まだまだ田舎のここでは残っていて普通に買える洗濯石鹸を使う生活に戻す(昔は使っていたけど最近やめてた) あと家の掃除も、洗剤じゃないもので綺麗にしようと挑戦中。 あそこにいる牛が今日出してくれたお乳で、限り少ない分を分けてもらっているとの自覚で今日のチャイを飲むようになる。 あのバナナの木からとれたんだね、こんなおいしいバナナありがとう、って思いながらバナナが食べられる。 鶏のことは相変わらず追いかけまわして遊んでるけど、卵もこいつらの体から作られたんだよね、追いかけすぎるとストレス溜まるかしら?とちょっと気づかい気味?(そしたら、市販の卵をつくってる鶏はどれだけのストレスなんだと想像) 繋がっている、 と知りながら生きることはもとより、 私たちが持っているもの、私たちが使えるもの、 資源、土地…には どれにも、 限りがあることを常に実感しながら生きるということがどれだけ大切か分かってなかった気がする。 私たちが手に入れられるものには限りがある。それ以上は、使えない。 もし私たちが伸ばせるとしたら、その資源をどう使うかという智慧だろう。 私には全くもってそれがないので、頑張って薬を学びたいと思います。 この医学は 植物の根をどう使うか、葉をどう使うか、金や銀を加工したときに使った鍋が別の薬に使えないか、 そんな、限りある資源を試行錯誤して私たちの役に立てようとした智慧の結晶です。 そういう資源の使い方もそうですが、 そうして出来上がった薬自体も、限りがあることを考えて作られています。 数や種類にも限りある薬に、はちみつ・牛乳・バター・水などを、身近にある食べ物を加えることで、全く別の病に効く薬に変化するのです。 覚える方はたまったものではありませんが(今もそれをさぼってこれを書いている。覚えるのキツイよ!!!) 違う食べ物を一緒に与えることで、 ひとつの薬を、 一方は下痢に、一方は便秘に、などという全く正反対に見える症状に聞いたり、 熱など一般的な症状からてんかん発作や意識不明の症状など幅広く使うことができるのです。 さらには、なんか、ごみとしか思えないようなものも薬に…。 器とかが薬に。鰐の嘔吐物も、イカの骨も。。。 再利用しまくり。
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