旅をする木

生きるという旅をすることは、人と人という繋がりの橋を渡り続けること。 そしてたまに眠りもう会わない人の夢をみて休むの。 ケララ州トリバンドラムの小さな田舎に7年住み、 南インド伝統医学、外国人女性初のシッダドクター(首席卒業) 2016年8月〜 現在ブラウン公衆衛生大学院修士課程在学中。 このブログは10年前から続けてる日記みたいなもので いわば個人記録みたいなものです。わたしが忘れないための。 三聖病院での森田療法体験記、 彼が死んだときに旅をした話 アメリカのときの話 インドの話 シッダの話 ほかにもいろいろと ずっと書いてます。 きてくれて、ありがとう。

2012年07月

ラムサン(ラマダン)イスラム教徒の断食

ところで、

待ちに待った!

学芸会がやってきました!明日です!

先週末から学芸会の準備に本腰が入ってるクラスメイトは

夜10時まで学校居残りで練習!とかしてるらしいっす!!

・・・ある意味、怖い!!

 

 

なぜか、運よく、浴衣を日本人の方からいただくことができた私は、

 

 

 

 

浴衣でバイオリン

 

 

 

 

 

という、なかなかない組み合わせで登場する予定です。

はぁ。

 

 

 

というか、学芸会のおかげで眠っていたバイオリンを引っ張り出してみたら

中途半端にしかできないバイオリンを

いつかきっちりできるようになりたいな

(第4ポジションにいったところでやめた・・・)

という情熱が芽生えました。

 

そして、パソコン・小説・漫画といった、

私の身の回りにある娯楽と全く違い

言葉の要らないバイオリンは

めちゃくちゃリフレッシュになるじゃあないですか!

これはバイオリンこれからも弾くっきゃないですね~。

 

 

なんて話は置いておいてっ。

 

 

 

 

 

 

先週の土曜から、イスラム教徒のラムサン(ラマダン)が始まりました。

ラムサン(ラマダン)とは、

日の出から日の入りまで、食事や水を一切とらない、

イスラム教徒恒例の断食を指します。

 

期間は新月から次の新月まで(だよね?)の約30日間。

 

日の出前に何か食べるし、日の入り後に何か食べるし、ということで

周りのヒンドゥ教徒は

「ノーリスクだし昼間食べれないのを夜食べてるだけで

そこまで大したことじゃない」

と言っている人も多いですが、

 

 

 

神様への信仰心をみせるため、

そして貧しい人たちの苦しみを知り、

浮いた昼ごはんのお金を貧しいひとたちに寄付する。

 

 

 

という、この習慣は非常に厳かで、そして謙虚で

わたしはすごく素敵だと思います。

 

 

毎日当たり前のように口にしている食べ物や水を昼間とらないことで

神様へいつもの感謝を示し、

そのありがたさを知り、ない人の苦しみを知り、

そして夜には食べられることを感謝しながら、

おかゆなどのシンプルな食事を食べる・・・・

 

 

なんて、謙虚で優しくて素晴らしい習慣なの・・・?!

 

 

こういった習慣を毎年続けているイスラム教徒の人たちって素敵じゃん!

 

 

自分は、特定の宗教はありませんが、もし入るんだったらイスラムだよな、と思うことは多いです。

 

 

聖典の美しさもさることながら、こういった一つ一つの習慣がとても律儀で謙虚なんですよね。

 

 

 

 

はぁ、素敵

 

 

 

「お腹もすくし水も飲めなくて辛いけど、辛いだけ神様のありがたみを感じるんだ!」

という少しマゾヒスト的なコメントをしているムスリムの人の話をきいて、

彼らはすごいな~!と思っていました。

 

 

で、でも・・・

 

 

 

実際には、にかいたコメントみたいなことしてる人は

ほとんど一部分しかおらず、

 

 

 

 

ほとんどの大多数の人は

 

 

「あと○○時間で飯が食える・・・・・・・・・

っていうか朝早起きして飯をめちゃくちゃ食べまくらないと!!!!」

 

 

 

としか考えてないみたいです(笑?)

 

 

 

うちのハウスオーナーも、日の入りが近づくとそわそわしまくっていて、

日の入りの瞬間にごはんを食べます。

 

 

 

まあ、私も毎年やらされていたら、絶対後者のほうだな。。。

 

 

やはり自ら進んで行う断食ではなく、社会のプレッシャーとかもあるんだろうな・・・

みたいな風に周りから言われるんだろうな・・・

というような、

こういう習慣から発されるべきではないけど

絶対あるだろうエゴな問題を考えると

うーん・・・という感じですが、

 

 

コンセプトはすごく美しいなぁ、と思うのでした。

 

 

禁欲というのは本当に大変なことであるだけ、

やはりこの習慣を毎年、そして全人口で続けているという

イスラム教徒はかなりすごいと思います。

 

 

そして毎年こうやってシンプルな禁欲の原点に立ち返れる習慣があるというイスラム教徒は

私たちのように、色んな欲望をそのまま増長させていくだけの社会と比べて、

すごくタフで強い気もします。

 

クンダリーニヨガとシッダ、とか。


イギリス在住バケーション中のインド人のおじさんから突然話しかけられ、
「何してるの?」と聞かれ、話を避けるために知らないであろう「シッダを勉強してます」と言ったら、
逆に興味をもたれてしまったが、面白い話が聞けた。

ひとつは、インド人の偉い人(?)が、カーヤカルパ(若返りのトリートメント)
で若返ったという話。
名前忘れたけど(いい加減な私)その人は70歳ぐらいの年齢で
白髪があり、皺があり、歯が抜けていた。

しかし、カーやカルパで見た目は35歳ぐらいになり、
肌の皺がなくなり、白髪が黒髪に代わっていたという。そして、歯も生えたという!!!
(※現代医学では歯が生えるなど不可能と思われますが、
ホメオパシーでも虫歯が“治ったり”するので、個人的にはそれもありえなくもないかなと思われます。
日本人の医者には非科学的だと批判されそうですがね。)

それはアーユルヴェーダだったそうだけど、
シッダでもカーヤカルパは非常に大切。
カーヤカルパは白髪を黒髪に替え、肌の皺を取り除き、白内障を予防する、と古典にも書かれている。

それをインドの偉い人(?)が実際にやってそこまで結果を得たというのは
聞いたことがなかったので面白かった★
今の時代のわたしの周りのシッダドクターが、
そこまで効果のあるカーヤカルパを行えるか、というのはアレな気もするケド
可能性はいくらでもあるということだね。そして古典に書かれている通りの効果があるんだなぁ。


そういえば実際にWHOのHIVプロジェクトで
アフリカでシッダ医学を使ったドクターの偉い方と話したこともあったし
やっぱり、可能性がいっぱいあるよね。




最近自分は、あまりにもホメオパシーの効果が凄すぎることを痛感しまくる日々が多くて
(最近では何日もお腹が痛くて調子悪くて先生のところで吸入法をすると30分後には肉食ってるぐらい元気になったし)
そして大学の先生は西洋医学にめちゃめちゃ重点を置いてる毎日で
「どっちも中途半端になるじゃねーかよ」と参ってたりもしたけど
そういう話を外の人たちとかから聞くと、やっぱりホメオパシー等にはない可能性も感じる。

それに、私たちの医学はホメオみたく内服の薬だけでなく、
外用の薬が非常に効果があると、臨床の人たちはみんな言っている。(外用だけやってる人もいるぐらい)
たとえばマルマ、スチームセラピー。
これらは32以上ある外用薬のうちの一部。
いわゆる”マッサージ”だって、その一部。

それに薬だけじゃない。
建物の建て方、生活の仕方、衣服の身につけ方、食事(もちろん)、それぞれの水が持つ効用などに始まり
ヨーガ、瞑想、カーヤカルパetc 自分たちの生き方を高める方法がたくさん素材している。





ところでこのおじさんは、クンダリーニヨガを若いころやってたんだって。
でもあることをきっかけにやめたらしい。

それは、

「言ったことが本当に起きてしまう」という現象。

これはわたしは非常に納得できるものがあった。
ヨーガの実践を重ねれば、そういったようなことは可能だと思えるからだ。
これは、今のわたしには説明ができないけれど、シッダの理論をもとに考えれば起こりえるもののひとつな気がする。
たとえば「プラハミヤム」という8つの超能力のうちの1つを手に入れそうになった、とも考えられる。

霊性と肉体がぴったり重なりあったとき、そういった思考が簡単に現実になって現れる、ということは
いえば「シャンバラ」の世界では実現されているようだしかなり可能なことのひとつだと思われる。
なんか2012アセンション後にそうなるって信じてる人もいるよね。

わたし自身も、「なるほどね~」と思うぐらい、実感のあるお話だったんだよね。
わたし自身にも、そういうことってよく起きたりしたことがあったからね。能力の高かった20歳前後の頃は特に。
でもそういうことを「実際に経験してビビってやめた」って人には出会わなかったのでここに記載。

なんか、今の私には説明できないけど、こういった形で人々の持っているものが磨かれて行くような
霊性を磨けるような、そんなものがいっぱい
この医学には詰まっているはずなんだ。よね★








そしてさらなる可能性。
最近凹んでた私にかなり元気をくれた先生との会話の中
アーユルヴェーダではいい書籍がいっぱいあると漏らすわたしに、

「うーん、でもやっぱりね、アーユルヴェーダはシッダに比べたら限界があるよね」と先生。

わたしたちの医学では外用の薬や、毒、鉱物などが
断トツで非常に効果があるとされているのに
(たとえば、水銀)
アーユルヴェーダでもそれはあるにはあるんだけどうちらまでは使ってないという。
金属も、とても限定されているそう。
こっちから聞くと、「じゃあどうやって治療するんだろうね?」みたいに感じる。
もちろんシッダでも金属や毒物は高度な訳だけど、それがない って、どうなんだろ?

マルマもアーユルヴェーダには含まれてないけど、シッダに含まれてるもんね!
と、先生と話していたわたし。




ふぅ。


数週間前は挫折しそうだったのに
こんなぐらつきをも乗り越えて
それすらも越えた景色を
やっぱりわたしは観たいんだ
この手で、いつか掴んでみたい、
掴んでも掴んでも掴み切れなさすぎる砂みたいな知識の海は
いつまでたってもわたしの手の隙間からこぼれてゆくけれど
いつか、
きっといつか、
わたしは、この医学を手にしてみせる。

・・・と思いたい。


DIVE! 森絵都!



不思議な感じがする。


小説を読み終わっても、身体の中に、残る。
熱さが、残る。
そしてまぶしい。

これは一体何なんだろう?
わたしが体験したものは何だったのだろう?

読んでいる間、
わたしは今までの人生の中でまったく興味がなかったスポーツに、
そしてどうでもいいような「飛び込み競技」に

燃えていた。

飛び込みのシーンが、
彼女の描写を通して、本当に今目の前で見ているように鮮やかにくっきりと描かれる。
文字を通して想像する世界。

コンクリートのドラゴン。飛び込み台。それに一歩一歩登ってゆく姿。

今まで一度も本物はみたことなかもしれないのに、
その飛び込み台は想像上なのに、なぜか鮮やかにくっきりと、
色までも、そしてその階段についているだろう水しぶきや傷までもをはっきりと想像できるのだ。


ああ、森絵都マジック。

まさに、絵の都の森のような絵具で描かれた詳細な世界が頭の中に残る。


そして、登場人物たち。

トモに飛沫に陽一。

こいつらは本当に空想上の、架空の人物なのか?こいつらは存在しないのか?

わたしの頭の中で彼らは映画に出てくる俳優たちよりもずっと表情豊かに笑い、泣き、怒り、挫折し、
・・・そして飛んでいた。

こいつらは、本当に幻なのか?

それとも、実際に存在しているのか?


わたしは、彼女の作品を読むたびに、
「現実」と「想像」の境界線がどこにあるのか分からなくなってくる。
そしてどちらが大切なのか、どちらが本物なのかも。


彼女の作品に出てくる人たちは、普通じゃ別にテレビにも出てこないだろうし、
新聞には載ることもあるかもしれないけど別に気にも泊まれないような人たちだ。




弱小出版社が発行する「ラクラク☆ライフ」通販雑誌の編集をしている既婚男。
有名パティシェ「ラ・リュミエール」の伊形ヒロミのアシスタント。
バイトが週6、7のフリーターだが大学の文学部に通い、仕事と勉強の両立の狭間で苦しむ男。
仏像修復師(そんなんいたのかよ)の男。



「風に舞い上がるビニールシート」の里佳も
「DIVE」のトモも飛沫も陽一も夏陽子も
毎日顔合わせてるクラスメイトよりもずっと鮮明に顔が思い出せて
そして存在している気がするし、わたしはずっとクラスメイトよりも
陽一の孤独な葛藤を、トモの未来への無限の可能性を、夏陽子の仕事への情熱を知っている気がする。




そして、もう1つ。
森絵都は常に意味不明なタイトルが実は意味深というこの罠。

「風に舞い上がる~」も、一体何ですかソレ的なタイトルですが、命が飛ばされて行くほど軽い、
ということを表現しているタイトルで
もうこのタイトル以外考えられない訳ですが、


DIVEも、意味不明なタイトルがつけられてます。

「スワンダイブ」
「SSスペシャル99」

一見、なんじゃそれなタイトルな訳だけど、このタイトルが超意味ありまくり!!

重厚な飛び込みを見せる誰もが認める実力派の飛沫が腰を痛めていた自分に気づき
これ”以上”の難しい技を磨くのが無理と気づき、行き詰ったとき
「スワンダイブ」という、ただの飛び込みに磨きをかけた、「美しく白鳥のような飛び込み」こそが自分の飛び込みと気づく章!

「SSスペシャル99」は、陽一が自分の限界に挑戦するため
今までのトラウマだった苦手種目の名前を自分で変えて、「SSスペシャル」 を
克服して技を自分のものにして戦うぞ!という一心発起な章。




こんな、はたらから観たら意味不明?なんじゃそりゃ?
的なタイトルが、存在が、仕事が、スポーツが、人が、

まるで自分のもののように!そして友達のように!それ以上の親友になり!
意味をもって近づいてくる。





森絵都・・・・



素晴らしい・・・






DIVE 上巻 森 絵都

私には時間がない。



朝早起きしてバイオリンの練習する時間を作ったとしても
掃除に洗濯、すぐに迫るクラス内テスト、そして校内テストの準備、
手を抜きたくなくなった食事の準備に追われ、
しばしば植木に水をやるのも忘れるほどだ。




なのに・・・!!




この本に出会ってしまったせいで、
わたしは本当に少ない自分のための時間を大いに犠牲にしたと言えるだろう。



私には時間がない。

「朝早起きしたら読む時間がある」が、「学校で休み時間の勉強がわりに読めばいい」になり、
そして「ああ、読み終わるまで読めばいい」に変化していく。

授業中も、そわそわしておちつかないほどに続きが気になる。


自分にここ数年まともに食事を作る時間も、それを食べる時間も与えていなかった自分が、
それこそ食べる間も食べる間を犠牲にして使っているはずの
勉強すらも惜しんで読むことになってしまった森絵都の「DIVE」。


本当に、森絵都さんは、天才としか言いようがない天才だと再び打ちのめされる羽目になったこの本。


この本は、「飛び込み競技」を青春の糧とする少年たちの話である。


正直、この説明を聞いて、「読みたい」と思う人は、日本にほとんど居ないだろう。
そんな競技知らないし、みたこともないし、
観たとしても素通りしている気がするほどに記憶のない存在感がない。



しかし、そんなことはお構いなしに面白いのです!!!
そして、なぜか、ここがいつもの森絵都マジックなのだけれども、
自分とはまったく別世界に住んでいて何の共通点もないだろう飛び込み選手の彼らが、
自分の恋人よりも近くに感じられてくる!!
むしろ自分の分身じゃないかと思われるほどに!!




中2の知季の悩み。
練習。学校。練習。学校。練習。学校。の日々を繰り返す知季は、
飛び込みのために、犠牲にしたと思われるものは計り知れない。
マックのハンバーガー。プリンのカラメル。普通の友達交際。彼女との付き合い。彼女にお弁当の中身をリクエストすること。

要するに飛び込みに出会わなければ、普通に享受できるはずだった普通の人間としての楽しみを、
知季は少ない数かもしれないが、明らかに排除してきたのだった。

うん。
わたしも、勉強。学校。勉強。学校。の日々。

知樹の飛び込み練習やトレーニングがそのまま家での勉強に当てはまるような生活を送り
そしてインドという地で、おしゃれもなくカフェもなく
おいしいレストランもない何もないところで暮らしているわたしには
知樹の払った「犠牲」というものに恐ろしいほど共感できるのだ。

犠牲を払うのをいとわず、何か上の世界をみるために努力を尽くしてきた。
その犠牲が大きいのか、小さいのか分からず、しかし止められない。

そして、
自分はまだまだ小さく、頼りなく、未熟だけれど、
自分にもし、誰にもない何かがあるのなら
それをつかみたいという強欲さ。


そんな知季の取り組み方は、わたしにそのままあてはまる部分がたくさんある。


まだ中学生なのに、こんなに努力してて、それがこの世界では普通なんだけど、
でもすげぇなぁ・・・
と思いつつ共感★

そんな知季の生き方にふけっていたら、もともとない時間を使いすぎて食事を作る時間をなくした。
しかしめげずに作ったら、失敗して焦がして、
貴重な肉を無駄にしたうえにまずい飯を食う羽目になってうんざりすぎな夜を迎えたのに、
そんな自分の存在も愛せるような、何か不思議な支えを得た私だった。


なのに!
はずなのに!

次の瞬間には、そんなわたしの身近にいて、わたしの払っている犠牲の価値を知り、
それでもこの道を選んでいる打たれ強いはずの知季が、
明らかにどこにでもいるただの男になり下がっている!!!

別段好きでもなく、大切にしようとも思っていなかった彼女を弟にとられたのを執拗に恨み続け、
根に持っている奴。
お前、いい加減にしろよっ!どうでもいいだろ!と明らかに突っ込みたくなるほどにしつこい!

そしてそれと同時に!

明らかに自分とはかけ離れた存在であったはずの、周りから「天才」と思われ、
誰もがその貫禄に圧倒されて
何か遠い存在として描かれていた飛沫が、
異様に自分にも似てるところがある普通の存在として近づいてくるのだ。


ああ、目指していた何かが壊れてしまった。
目指していたのかもよく分からないのに、でも現実的にダメになってしまい、
自分を保ち続けるためには何か新しい目標を探さないといけないのにそれもできない。

ここから、一体自分はどうやって立ち直るんだろう?

みたいな、
ここまできたのに、また再び第一歩から始めなければいけなくなったそんな機を前にした飛沫の姿は
初心をいつも忘れそうになる私にやっぱりすっぽりと当てはまる!





・・・
こんなふうに、
森絵都の作品はいつもきめ細かく、多様で、入り組んでいる。

凡人の悩みを持つ暇なんてどう考えてもないような生活をしている知樹が、
執拗にフラれた彼女にこだわり続けたり、
遥か遠い彼方にいる天才だと思ってた人は、
実はやはり毎日の密かな積み重ねによって成り立っていたりする。


どんな人間でも、様々な側面を持っていて、その多角さというのは、
常にまるでミラーボールみたいに回転していながら日々をすべりこんでいく・・・・


どいつもこいつも、イイ奴なのか悪い奴なのか分からんし、
全然ダメだったりありえないぐらい天才だったり、
そして、その誰もがとてつもなく遠くに居るときもあれば、
ものすごく自分に似てたりする!!



ああ!
そんな人物描写が!
再び中毒性をもたらせるのです!!!

執拗に、わたしは続きが読みたいッッ!!!



小説の中の彼らの最初の晴れ舞台と言えるだろうものは、
アジア合宿に向けての選考会です。

大会でもなく、選考会。
ただの合宿に向けての、選考会。


それに向かおうと決める彼らの意志の先には、
地区大会など及びもつかぬオリンピックがあるからなのですが、
客など大していないし、誰の目に触れることもないし、
誰も気にも止めないであろうような超地味な合宿の”選考会”を
臨場感あふれる活き活きとした描写で
、まるで本物のオリンピックさながら超エキサイティングに森絵都はつづります!

わたしたち人間の持っている熱い想いや、目標に対する努力は、
それがオリンピックであろうと、学芸会であろうと、地区大会であろうと
選考会であろうと、何だろうと、全く変わらないのですね。

選考会というものに向けて積み重ねる惜しみない努力。
そこで開花される、飛び込みへの熱い想い。
そこで再確認される、彼らの持っている個性と才能。




なぜか何の共通点もないであろう「飛び込みでオリンピックを目指す」彼らと
「インドで伝統医学を学ぶ」自分にあらわれてくる様々な同じシチュエーション、生活状況、想い、目標!!!



◎ ”オリンピックへの道など、思えば奇跡の積みかさねだ。肉体的な適性と精神的な適性。
毎日の練習とそれを許す環境
優れたコーチとの出会い。家族の理解・・・
そのひとつでも欠けていたら奇跡の条件はそろわない。
そして最後に強運という味方を引き入れてこそ、初めて選手はその夢の舞台に立つことができるのだ。”


・・・・・

まさに「インドの大学卒業の道など・・・・」と最初の部分だけ変えてそのままあてはまるだろうこの文章。
そしてもちろん「シッダ医学を学ぶための道など・・・」と変えてもOK。




第一、彼らがオリンピックを目指す動機は成り行きだ。そうなってしまった、と言った方がいい。
わたしが、今院に行くとかほざいたり、この大学で勉強してる理由もかなりの成り行きだ。
勉強だってしなきゃいけないからしてるようなもんだ。

ほんと、成り行きで勉強してるんだよ!
別に、これはわたしの意志ではありません!
彼らが、別段自分の意志とは関わりなくオリンピックを目指す羽目になっているように!


そして、はたから見れば「ハチャメチャ」な決断ともいえる
「オリンピックを目指す」という目標に、
どうやったら対処していけるだろうかという彼らに課された課題は、
日課になりえるぐらい毎日出来て、超現実的なものでなければいけない。

「シッダ医学をインド人の通ってる大学で彼らと同じ条件で学ぶ」というのもはたからみたらめちゃくちゃかもしれないケド
私が現実に生きている毎日の日々は、コツコツとした積み重ねによってそれを可能としている。





思えば、この世界にあるすべてのものっていうのは、けっきょくいえば大したものではない。
スポーツだって「サッカーを見てどうして手をつかわないの?と思う人もいるはずよ」というセリフが出てくるみたいに
ただ単に一方的に決められたルールの中で何かを競う、はたからみたら意味わからん存在といえる。
水銀を無毒化し薬に変えるほどの力をもつシッダ医学だって、どうせ人は死ぬんだから、って考えだしたら
何の役にも立たないだろう。
そんな力ですら、もしこちらが求めなければ、まったく無能なのだ。

しかし一方で、そんな光をかすかでも求める人間にはなぜか試練が与えられる。
その道はいばらで、曲がりくねっていて、すべりやすかったり、雪が降っていたりして、
なぜかものすごく複雑で、地道な日々の積み重ねでの手さぐり以外では到底抜けられる道ではない。





そんな、曲がりくねった道を
その手さぐり感を
一方で、そんなのやめて普通にカフェで一服したいぜ感を


ぜーーーーんぶいっしょくたに

いま、

この本「DIVE」(上巻)



経験してしまいました!!!








・・・・ほんと森絵都すばらしすぎるぜ!!


いいかげん、勉強しますね!






************



って、1章だけ残して上の文章書いて、
そして最後の上巻の一章を読んで、覆された・・・。


それは、わたしの読みの浅さを痛いほどに思い知らされ
まったくもって自分は浅いところで満足していたなと思わされる
衝撃の出来ごとであった・・・そのせいで再びこんなコメント書いて勉強時間を削っている自分!



まったくもって、森絵都の描く「飛び込み競技」とは、
「オリンピックを目指すという目標に向かって頑張る!」っていう
ありきたりすぎの普通の物語ではないということがたったの最後の一章で明らかになったからだ。




オリンピックを目指すという目標に向かっていこうとしたまさにそのとき。

自分の存在価値を再び見つけ出し、今の自分の限られた範囲内で
そしてその限られた自分にしかできないことを目指し、そしてその高みの標識となるオリンピックに気がむいた飛沫の目の前で
コーチの夏陽子が受けた電話は・・・



とりあえず、この本は「オリンピック目指すぞ!」っていうありきたりストーリーじゃあ全然なかったって話です。

しかしオリンピックを目指しているようなぐらい高揚しているエネルギー
昼ドラマ並みにぐるぐる展開していくストーリー






ああーん

下巻に手を伸ばしてしまいそう!!!



学芸会

わたしがインド人と一番合わないな。と思ってることがある。

それは、ノリ。


彼らは、椅子取りゲームを真剣に行い
ジャッキーチェーンを日本人だと思い(まあノリとはちょっと違うケド)
シンガポールを先進国として授業で取り扱い
チェンナイまでバスで20時間かけて行っても次の日ぴんぴんしているような
わたしの住んでいる世界とはまったく別世界の異星人である。



わたしが今月、もっとも嫌だな~って思ってることがある。

それは、

この期によっておこなわれる
学芸会。



この年になって、今さら学芸会?!


しかも、もちろんみんな超楽しみにしているし!



スケジュールをみると(黒板にかいてあった)

7月2日~1週間
4時~5時(=授業のあと)
ライティングコンペティション!!!


・・・なんじゃそりゃ。絶対いかねー。マレアラム語だしどうせ。


7月10日 丸一日
アート・コンペティション!!!!!

アートと書いてあるから、ちょっとは期待しますね?
芸術的な何かを競うのだと・・・
しかし内容は



ポエトリー・リーディング




・・・たったこれだけ・・・


ポエトリーは、絶対本番の直前に丸暗記して暗唱するだけ。
歌は、いっつも何かの余興で歌っているぐらいのレベル。

それを丸1日えんえんと聞かされる・・・・・・・・・・・・


絶っっっっっっ対、耐えられないから!!!!!!



そしてまだある!

7月21日 丸一日

スポーツ・コンペティション!!


つまり、運動会?

運動会なんて小学校でやったよね?中学でもあったか。
でもさすがに大学ではないだろ!!

ちょっと競技をみたんだけど、


球投げ


とかあった。

でも、日本みたいに重量をどうこうとかじゃなくて、
ただのボールを投げるだけの内容だとおもう。
ボールがバスケットぐらいしかないからね~。


そんなんやって、何が楽しいねん!

って思わずツッコミたくなりますね!!!





そして念願の(?)

7月28日!!!!!!

丸一日



学芸会♪♪♪♪

マジでやめてくれ!!!!!





しかも、


後輩には、


「ねーねーなんかさー日本の服とかもってないー?
なんかこの子ー、キレ長の目で色白でしょー?

日本とか中国の服着ると超カワイイと思うんだよねー
ほら、学芸会でさ!」

とか生意気にも聞かれるし、(お前後輩だろ敬語使え
しかも和服持ってたら、私が学芸会で着るわ。)




「アユミ、絶対!!!!

バイオリン弾いてね!!!

約束だよ!!!

絶対お願い!!!」



って、実は前々から言われていたし。

バイオリン、もう長らく弾いてませんって・・・。
弾けないよッ。人前でなんて。




しかし、ほんと、試験がぎりぎり間近で、時間ないのに・・・
この学芸会のためにバイオリンの練習をしなければいけなくなっただなんて・・・
ホント終わってる・・・・
4時に学校終わって、
掃除して飯つくって7時。
7時以降は勉強しないと間に合わない。
いつ練習しろってのよ・・・




しかも、つまりは、7月の今週から
最後の週まで、この学芸会の空気は1カ月続くんだね・・・



・・・・・

しかも、もし、参加させられたら、
丸1日(=夜まで続く可能性もある!!!!!!)
ずーーーーーーーっと、彼らの歌とか聞いてなきゃいけないわけ・・・



一度もインド学生のノリをみたことない人には、想像つかないかもしれないけど
もう4年近くになるわたしには、何が起こるのかだいたい想像がつくのです。

小学生の学芸会よりもレベルが低い、っていうかノリが小学生以下・・・?
とにかく、無理っす・・・・・



ほんと、耐えられないだけど・・・・


はあ・・・・


最悪・・・・






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