ひとりで暮らして、ひとりで過ごして、ひとりで学校いって、ひとりで飯つくって、ひとりで食べて、
ひとりで勉強して、ひとりで掃除して、一人で息抜きをしにいく・・・。


友達といえる人は、今、居ない。

”仲間”といえる人も、今、居ない。

普通の人が普通に享受しているはずの愉しみや遊び、
友のありがたさを感じることは今のわたしには
ない。


自分のアイディアをシェアできるようなクラスメイトも、
知り合いのドクターもおらず、
わたしが本当に目指しているものとか信じてるものが
ぐらぐらぐらつく。


孤独をかみしめる毎日で
孤独との戦いの日々
道で死んでいく人を想いながら
孤独な彼らを救ったマザーテレサの偉大さに気づきながら
毎日がたったひとりでの闘いの日々。






でも、わたしは同時に心の奥底で知っているはず。


I may be physically alone, but
I am spiritually not alone.



目に見える世界では、わたしはたったひとりで寂しく外国で過ごしているかもしれない。
でも、目に見えない世界では、わたしはいつも、私の真の友達と、繋がっていて、
いっつも、目には見えない、でも本当の友人たちに、囲まれている。



目に見える世界でわたしはうまくいってなくて辛い想いばかりしていても、
目に見えない世界ではわたしはいっつも輝けている。





目に見える世界でわたしは
ここ数日だけでも食中毒になったり、1時間でつくはずのバスは3時間かかって死にそうに疲れたり、おでこを普段じゃぶつけない角にぶつけたりとか、
ワインを新品の服にぶっかけられたり、贅沢するぞと楽しみにしてたホテルの朝食が手違いで別料金で食べられなかったりとか
まあなんか微妙に”ついてない”かもしれないんだけど、


目に見えない世界でわたしは
何か大切なものに向かうためのプロセスにいて
これぐらいの”ついてる””ついてない”はどうだっていいってことを知っている。



大切なのは目に見えないもののほうで
わたしは、奥底でそれを知っているはずなんだ。










8カ月ぶりに、
わたしと同じものを目指している、
何かを通してひとびとの方向を真実に導いていきたいことを
実践している”友人”に電話した。

電話した理由は、
チェンナイで知り合いお世話になっている日本人の方が
バケーションにバルカラに行きたいと言ってたので彼のホテルの様子を聞くため。

彼は、ホテルを経営することで「心のピュアさ」とか「真心が伝わること」を
伝えていきたいんだけれど、
インドではそういうことを分かってくれるスタッフがおらず、
10年以上の経営だけど常にスタッフ不足に悩まされている。

いっつも彼のことを心では想っていたけれど、
目に見える世界で話したのは久しぶり。


そしてわたしは気がついた。


彼も、”ずっとひとり”で、
でも、
真実に忠実であることを実践するためだけに
現実と闘いながら
”ずっと孤独”と闘いながら、生きていた。



わたしはそのことに気づいて泣きそうになった。



みんな、どんな状況に於いても、
マザーテレサだって
この彼だって
チェンナイの日本食屋さんを経営している人たちだって
どんな環境であっても自分の信じることを貫いて生きてきて
その闘いのプロセスはいっつも、孤独なんだ。


ひとり、なのは、わたしだけじゃない!!

= わたしはひとりじゃない!



そして、見えない力がそのことに気づかせてくれた。


日本人の方のおかげで、わたしは8カ月ぶりに彼に電話して、お互いの孤独な状況を確認して(笑)
それでも信じてることを貫こうって話ができた。

すべてのひとは、表向きは独りだとしても、
見えないところで必ず影響しあって、繋がっている。



だからたぶん、わたしはひとりじゃなくて

わたしがこれから実現していきたいことに共感してくれるひとたちはきっとこれからいる。