旅をする木

生きるという旅をすることは、人と人という繋がりの橋を渡り続けること。 そしてたまに眠りもう会わない人の夢をみて休むの。 伝統医学を 西洋科学のメゾッドで ひとびとに ケララ州トリバンドラムの小さな田舎に7年住み、 南インド伝統医学、外国人女性初のシッダドクター(首席卒業) ブラウン大学公衆衛生大学院修士、 ワシントン大学疫学博士課程在学中・国際臨床研究センターにてPhylogeneticsによるHIV・コロナウイルス感染予防の研究助手 2019−2020年 WHO・インド伝統医学標準化のための国際会議にてのシッダ医学グループのWHO指定報告者(書記)担当 このブログは15年ぐらい前から続けてる日記みたいなもので いわば個人記録みたいなものです。わたしが忘れないための。 三聖病院での森田療法体験記、 彼が死んだときに旅をした話 アメリカのときの話 インドの話 シッダの話 ブラウンでの話 アメリカやインドの生き方 ほかにもいろいろと ずっと書いてます。 きてくれて、ありがとう。

2013年08月

変化 虫編

1)インド来た当初(5年前)

「あ、ヤモリだー!かわいい~!」



現在(5年後)

「うげぇっ!ヤモリだ!きたなっ!早く猫食ってくれ!」


ヤモリは、日本のゴキブリみたいな存在です。
しかも、困るのが、エアコンの合間に入り込んだり、
お皿の下にもぐりこんだり、ゴミ箱に入ってたり。
さらには死体になってるときもいっぱいある・・・マジ迷惑だから家の中で死なないでほしい。
しかもキィキィ鳴いてうるさいっ!!




2)インド来た当初(5年前)

「ギャー!!!ゴキブリ!!!!!」





現在(5年後)


「あ、なんだ、ゴキブリか。」




こっちだと、ゴキブリはただの虫です。
しかもてかてか光ってたり、いろんなデザインがあってけっこうお洒落な部類に入る虫。
よく空を飛んでますね。
どうでもいい存在。






3)インド来た当初(5年前)


「わおーーーー!ホタルだ!!!カブトムシだ!!すごぉぃ!!」







現在(5年後)


「あ、なんだホタルか。
カブトムシ羽音うるせーさっさと出てけ」



こちらではホタルは普通の存在で家にもよく入ってきます。
カブトムシも、オスは珍しいですが、メスならいくらでも・・・
ゴキブリのように這ってます(というのは言い過ぎか)
とにかくぶんぶんうるさいので、迷惑な虫トップ3に入ります(1位はアリ、2位はヤモリ)





今でも怖いのは、ヘビとサソリ。

サソリとか黒くててかってて怖い。しかもサソリ毒の恐ろしさを知って怖さ倍増。

ヘビはすささささっと人の気配を察すると逃げますがどうやら毒ヘビみたいなんですよね。こわいよ!!!


あと嫌なのはアリ。

臭いし、どこにでもいて、ほんとうざいし、下手するといろんなところに巣をつくっててまじ迷惑。
でも噛まない種類だから仕方ない。

噛むのは、小指ぐらい下手するとあるイメージのでかアリ。
噛まれると死ぬほど痛くてその後も1週間ぐらいじんじんしてかゆくて腫れてとにかく恐ろしい。





***


虫だけに絞って考えても色々ちがうなぁ。
外人とインド人の感覚全然違うよなぁ。






占星術師でナーディリーダーであるクベランに聞いてみたことがあった。

「クベランは何回目の生なの?」


「え?

この生?
今回のクベランとしての生ってこと?」



とクベランは返してきた。



「クベランとしての生」





私は、このコンセプトのもとに普通に生活している彼に感動を覚えた。


私には、前世の記憶が少しあるし、
スピリチュアリズムの考え方や、シッダの哲学を信じるので、
死が怖いものでないこととか、
人が生まれ変わったりしていくことは、
普通に受け入れられる。



でもやっぱり毎日を
「私は私」と思って生きている。
「私は私」というのは
「私はアユミ」である。という勝手な思い込みである。



でも、
私も知っている。

自分の奥底に深く眠る本当の自分が存在していることを。
それは、「私」なんかよりずっと大きな、神に近い存在だということを。
そして、それを目覚めさせることこそが、
「私」という人格の仕事なのだろうということを。



「私が自分である」という思い込み自体が
生まれ変わっていく生命の根源からすると
なんと粗末でちっぽけなものでとるに足らないものなのだと
クベランは何気ない普通の会話から教えてくれた。




私が私であるということ。



わたしはアユミである。
わたしは日本人である。
わたしはシッダドクターである。

意地が強いけれど素直
難しいことは簡単にこなすくせに、簡単なことはなかなかできない。
自立心が強いのに、他人に頼りがち。


私が
〝今回の生”で
生まれもった性格と
アユミという人間としての生き方は

私が
私の底に持つ本当の自分を
目覚め活きさせるためにあるということ。



私は
私が思いこんでいるような私では本当はないということ。

アユミとしての私は
この世界で表面上コミュニケーションする手段にすぎないということ。


本当の自分は
「私」なんかよりもずっと大きな存在であるということ。


私たちは
今 ただ 時を生きているにすぎないということ。







卒業試験サバイバル記~1~

卒業試験ということもあり、実技(臨床)試験で求められていることは、
「実際に患者を診察して診断して薬を出す」
という内容。

しかも、それ全部をやりながらペーパーに書いて与えられてるのは1時間!!!
マジで厳しい。。。

そして私の最大のネックは、言語。
マレアラム語がつたない私は、一人でこれをこなすのは、ちょっと厳しい。



外科の先生は、試験前に私を呼び出して言いました。

「なるべく、英語話す患者があたるようにするけど、ダメな場合は通訳してくれる生徒用意するから。
でも、通訳となると時間がその分かかるから、試験前にうちの大学入院してる患者になるべく接して、
どの患者がどんなケースかっていうのを把握しておくこと」
とガイダンスをくれました。

な、なるほど~!!

周りが言ってた、「試験前に患者のケースをとる」ってこのことか。


ここで私には問題があります。

外科の先生はこういってくれたけど、他の科目はどうなんだろう?

とりあえずSIRAPPU(Special Medicine)に於いては、講師の先生がヘルプしてくれると言ってくれました。
婦人科の先生も助けてくれるはず。

でも、不安なのが、内科。
講師の先生もぼんやりしてるし、内科の先生はまったくもって生徒に興味がない。

なので、直談判しにいくしかない。

先生がひとりになったすきを見計らって、直談判。

「私マレアラム語自信ないので、試験は英語話せる患者か、それがダメなら通訳つけてください」


先生は「分かった、分かった。」とにこにこしながら言った。

「通訳は、インターンじゃなくて、生徒の誰かを用意するよ。
大丈夫、私がすべて責任とるから、心配しなくて大丈夫だよ」


という。




その後、私は2~3回先生に念をおしにいって、
そのたびに先生は「大丈夫、私が責任とって全部ケアするから」と言っていた。














そして、内科試験当日。
私の予測通り



英語話せる患者を用意してもらえず、
通訳もいなかった。





という事態が発生しました。



時間ない私は先生に「早く誰か英語とマレアラム語話せる人呼んで!!!」と叫び患者のもとへ走り、
つたないマレアラム語でできる限りのケースシートの項目を埋め始め、その約数分後、
先輩にあたるインターン生がやってきて、
「この患者はThandaga Vathamのケースだからね!」と自ら患者のケースを説明してくれたり、血圧測ってくれたり、「それ違うよっ」って教えてくれたり、「薬は○○と●●ねこの場合!」とこと細やかに助けてくれました(笑)

インターン生だとこうなるから、生徒を準備するつってたくせに・・・。

けがの功名ってやつかしら・・・

と思いつつもなんとかかんとか内科の試験を切り抜けた(涙)私でした。
(でも、面接試験で超バカな答え連発した私でした涙))

試験サバイバル記 ~卒業試験プロローグ~

インドの試験というのは、それ自体が人生経験である。

といっても、もう3回目なので、



◎みんなが答えを移し合って、話し合っている
◎時間通りに始まらない
◎困った生徒には先生が答えかヒントを教えてくれる
◎必ず最低1問は、大学で教えてない質問が出る
◎どれかの質問は必ず絶対スペル間違ってる



だとか、そういう当たり前で常識といえる話はすっとばして、
今回の経験を書いていきたいと思います。


確か、第2学年のときのサバイバル記もどっかにあったと思います。インド大学生活の中に。

テレパシー

友人が、今度院の試験を受けるという話で、
私たちが一番頼りにしてるのが、テレパシー



は、テレパシー、何で?って思うかもしれないけど、
昔から普通に相手の考えてることがふっと入ってきたりとか
自分の考えだと思ってたのが実は他人の考えだって分かったりとか
小さいころお母さんに、お母さんが声に出さなくても思ったことに対して答えてたらしいし
植物とか動物とかとコミュニケーションしてる私としては
テレパシーっていうのは謎の存在ではなく、
是非ともしっかり身につけたい技術のうちのひとつなのである。

シッダの聖者たちも、普通に使ってたと思うな。8つの超能力のうちの1つには入ってないようだけれど。

宇宙の言葉ってテレパシーっていうけど、テレパシーを使えば、いろんなものの存在の言い分が分かると思う。

テレパシーの前は、人間の言語なんて粗雑でつたないおもちゃみたいなものだと思う。





「あと1カ月あるからテレパシーの練習しようよ!」

と私が言うと、

「なるほど!それで俺の試験中に君が答えを探すんだね。グッドアイディア!」と大乗り気の友人。


さっそく、「テレパシーの使い方」をネットで検索してトライしてみる私たち。




「相手の顔を思い描き、
何かメッセージを送る」というのが基本のようだ。


これは確かに、わたしが、ある一定の人たちの前世を見たり、
その人の心の状態とか読むのに使ってるスキルと一緒。


「なんか今届いた?」

「全然っ」

「あれ、キツネ?」

「猫」

「惜しいよねっ。耳とかとんがってるし」

「まあ、惜しいか」


「はー。私今風邪だし疲れてるしまた今度にしよう」



即挫折する私らでしたが、
この機会に練習して、友人の院入学試験のときにテレパシーで私が回答を探すまでのレベルに達したいです。
そうでなくても、これから色々生きていく上で、ちゃんと宇宙の意志を受信できるようになっていたい。


・・・って医者同士の会話かよコレ、って思うかもしれないけど
シッダの医者としてはかなりまともな会話をしている我々だと思います。

ヨーガも、本当は「宇宙の意志を受信できるようになるために自分のバイブレーションを上げる」科学なんですよん。


シッダの聖者も、テレパシーの能力を使わなければ、
到底宇宙からのメッセージなど受けとることでいなかっただろうし。
テレパシーってちゃんとまともに本も出てるらしいし、
やっぱり身につけたいもののひとつ。


「虫の知らせ」とか、「以心伝心」とか、
日本人は昔からテレパシーを使いまくってたような記述がいっぱいありますよね。
「トトロ」でも、日本人は石や木と話してた、ってい話がありますね。
古事記にも。
かぐや姫は宇宙船の話だしw

話がとんでるけど、テレパシー、真面目にやれば、使い道はすごく多いと思うんだよなあ。

嘘を見抜いたり、
虫の知らせをキャッチしたり、
予感したり、
患者さんに真に合う薬を捜しあてたり・・・・

ヨーガが、自分の体をラジオの受信器のように宇宙と繋がれるためのバイブレーションを上げるのならば、
ヨーガと瞑想でもけっこうできるようになるのかもしれなくて、
シッダを普通に実践したら普通にできるようになるのかなあコレ。
私も人の思ってること分かったりするけど、コントロールできないので、したいです。
記事検索
月別アーカイブ
プロフィール

歩海@Seventh Jenm...

カテゴリ別アーカイブ
タグクラウド
QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ