旅をする木

生きるという旅をすることは、人と人という繋がりの橋を渡り続けること。 そしてたまに眠りもう会わない人の夢をみて休むの。 ケララ州トリバンドラムの小さな田舎に7年住み、 南インド伝統医学、外国人女性初のシッダドクター(首席卒業) 2016年8月〜 現在ブラウン公衆衛生大学院修士課程在学中。 このブログは10年前から続けてる日記みたいなもので いわば個人記録みたいなものです。わたしが忘れないための。 三聖病院での森田療法体験記、 彼が死んだときに旅をした話 アメリカのときの話 インドの話 シッダの話 ほかにもいろいろと ずっと書いてます。 きてくれて、ありがとう。

2013年10月

木のことば

木のことばは
わたしたちのことばとちがう
だから
 耳をすませて
 目をとじて
こころをおだやかにして


・・・ ことばをなくして

そうすればきこえてくる
木の言葉


***

人々の言う全てのスピリチュアリティがそれぞれ少しずつ違うのは
 それはそれぞれの個性や文化、歴史に合わせてその真理を翻訳せねばならないから。

 インドの哲学ではレベルの低い(カルマの多い)魂には ”人間”が”言葉を使って” 真理を説くことになる、とある。
レベルの高い(カルマの少ない)魂には、直接神が現れて教えを説くのである。

たとえば、 ネイティブアメリカンの儀式では
スピリットが直接現れて私たち一人一人に必要なことを教えてくれる。

 これは、スピリットの実在を体感することができて
それを素直に信じることができるし、
それぞれの個に合った答えを教えてくれるということで、
非常に高度なスピリチュアリティの形態だと思う。

 そのときの私に必要だったことの答えを教えてくれて
 その真理は、7年以上経った今でも、ずっと私を支えてくれているほどの力を持っていた。

 そして、その真理を信じたからこそ、今のわたしはここにいたりする訳で、
その力は凄まじいものである…人生が変わってしまうものである。

 そんな経験を直接できるのは、その人一人一人によって 測り知れないほどの利益があることだと思う。
 一度そういう体験をすると、否が応でもスピリットの存在を信じることになる。
自分の力で体験し、自分の力で見て、
しかもそれが真実を語って自分にとても有益になることを教えてくれているんだから当然だ。


でも、他の世界のほとんどの宗教界では、
人間の師が言葉を通じて、このような真理を教えることになる。
(ちなみに私の住むところのアシュラムSanthigiriの人は、
 自分自身でヴィジョンを受け取るのではなく、
これが正しいと信じている
 こう考えると、自分が働き、ヴィジョンを受け取るネイティブの文化はインドよりも断然高度かもしれない)





しかし、これは非常に難しいことなのだ。





 言葉というのはまず、それ自体が人工物。
以心伝心ができないから言葉でコミュニケするしかないという人たちのための、既にレベルの低いツール。

そして、その言葉を発する人間が、
その真理をどこまで理解しているか
そしてその言葉を発する人間の表現力によって変わってくるし、
 それを受け取る人によって必ず勘違いが生じるのは
誰もが分かることだと思う。


 さらにいえば、こういった霊性の真理というのは、
言葉では表現しづらいことが多いのだ。


 わたしがヴィジョンクエストで木と話した時、
最初は英語と日本語の両方で話しかけてくれた。

それは木が言葉を選んだ訳じゃなくて、
木の言いたいことをわたしの心向け(マノマヤコーサム)に 翻訳してくれていた
私の理知の部分(ヴィグニャーナマヤコーサム)が迷ったんじゃないかと思う。

 その後私は日本語で木の言うことを聞いていたけれど、
それはとても心以上に深いところで話しているもので、
そして心の向こう側の奥にすっと入らなければいけないぐらい
とってもふわふわしたやわらかいもので、
 実際に私が「これは私の妄想なんじゃないか」と疑い始めたら
木の声は聞こえなくなってしまった。

シッダの原理を使って考えると、木と会話している私の体は、
 肉体と心ではなくて、私の魂に近いほうの体であり
 そこには言葉など存在しない。
無意識で会話しているような感じなのである。

美内すずえさん創作紅天女の「阿古夜」も、
木と話すのは
「何も難しいことはない、己をなくせばよい。木の心に己の心を合わせるのだ」
と言っているが、 これがまさに正しく当てはまる。
(という訳で紅天女超すげー!)

 その無意識どうしの会話を、
無理やりわたしの心が観察して、
現代語に翻訳して、
最終的に頭で理解して記憶する。


 無意識の会話→自分の意識が観察→言葉に翻訳→それを記憶して→もう1度表現
 
と、これだけで5ステップもある。

このステップ中に、何かが失われてもおかしくないはずなのは誰もが予想できると思う。
 LOST IN TRANSLATION が5回も起きる訳である。



それを表現したものを聞く→それを他人なりに理解する→他人が記憶する
というさらなる3ステップ(以上)のことを行わなければ他人に伝わらない。

 普通にスピリットとまともに会話してたら、0ステップのことを、
 8ステップもつけて、
しかも自分自身の言葉のボキャブラリーと
他人のボキャブラリーの違いの誤解まで加わってくるし

言葉でこういったものを説明するというのはすごく難しいのである。


さらに、頭で聞いたものを理解するのと、
実際に体験するのは本当に「百聞は一見にしかず」の世界で
全然違うのは
禅の世界を体験したことある人ならすごくよく分かると思う。

禅というのは、↑みたいな誤解もろもろを避けるために本人に悟らせることにしたんじゃないのかな?と思う。

 瞑想をしていると、必ずといっていいほど、自分が持っていた疑問に対する答えが出てくるので、
 臨済宗の禅問答も、そのひらめきで答えるものなんじゃないかと私は勝手に思っている。
その天からのひらめきを得なさい、ということで、謎かけをするんだと思う。
 それと同時に、そういったひらめきとは、毎回の瞑想で起きるぐらい、ごく普通のものなので、
別に何かの答えが瞑想から分かったからといって出しゃばるな、みたいな意味もあると勝手に思う(笑)

 実際私も必ずほぼ100%疑問が瞑想で解決するので、
 いつも瞑想を始める前に、解決したいことを唱えてからはいっている。
わたしの瞑想は昼寝を兼ねているめちゃくちゃヘタレなのに、
それでも答えが出るからすごいことだと思う。



 話がつらつらとなってしまったけれど、
禅でもネイティブアメリカンでも言っている
習うより、悟れ」の姿勢が、
言葉で聞くよりもずっとずっと簡単で、
 そして真実に近いのだと私は思う。

 もし、宗教や本から何か学ぼうとするなら、
まずは言葉通りにそれを受け取らず、
言葉そのものが覆っている殻や、
文化の覆いを取り払って その中にある真実を見ようとしないといけないな
と、シッダを学ぶのにかなり苦しんだ。


 そして・・・ 人間が翻訳して説明しているものは既に肉体やその人の心、
そして文化やその時代が反映されているので

既にもう完全ピュアなものなどない!
ということを覚えておきたいと思う。


ピュアでいるための努力




いつも惑わされずピュアでいるためには
かなりの根気と努力がいる
Keep working persistently & patiently(ゴエンカ師)




わたしのこの考えが、表向きの誘惑に惑わされませんように。
わたしのこの心が、見かけだけの幸せを追いかけませんように。


そして、本当は、そのような誘惑に惑わされているよりも
ピュアな気持ちでいることのほうがずっとずっと幸せで嬉しくて元気も出て健康にもなれるってことを
決して忘れませんように。


惑わされたとしても、最後にはそれに打ち勝てますように。
そのときに見つけたピュアな想い、ピュアな考えは
惑わされて作りだした考えよりもずっと強く、確実であり、
すごくハッピーなものであり、
わたしたちは最終的にはそれに行きつくということ。


ピュアさを保つためには
かなりの根気と努力がいるけれど
神様は絶対に私たちを見捨てず
私たちのピュアでいるための努力を見て
そしてそれに対して必ず素晴らしいご褒美をくれるから。
You are born to be succesful... (ゴエンカ師)
Even a trace of evil will not remain in the end.

ピュアな場所に行きたい。

日本に帰る前に、ものすごくピュアな場所に行きたい。
突如そう感じる。




ヴィパサナ瞑想の話を持ち出してきてくれたデンマークの友人から再びガイダンス。







話すと長くなるケド、

来週チェンナイ行く際にお寺行きたい・・・。
できたらナーディリーダーにお寺連れてってほしい・・・。

と思ってうとうとしていたときに



「母音が全部”ア”の名前の場所の寺で
チェンナイから3-4時間かかるところで
一晩泊って次の日の朝にお寺参り」




というヴィジョンをGET。





どこだろ・・・そこ。







と思ってたのだけど



デンマークの友人から突然


「Tiruvannalamai  の Temple行ったことある?」

ってメールが。



ヴァ・ナ・ラ・マ、全部、母音がアだ。
そしてこのお寺、どうやら、チェンナイから3-4時間。









ってかこのシンクロニシティ(笑)
なんでこのタイミングで聞いてくるのこの友人。






しかも、





「18日の満月のときに、そこの山を歩いてごらん。
きっとすごい体験ができるよ!」








満月に山歩き!!
しかもインドのお寺!!


しかもそこのお寺の名前はAnnamalaiyar Templeで、再び母音がアだらけ。







ちょっとここに超行きたいよーーー!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!



ピュアな場所に行きたいです。
日本に行く前に、どこか行くべきところがある気がしてます。
チェンナイに寄るけど、


ナーディリーダーにここのお寺に連れてってもらえるといいな・・・。
そのためには様々なタイミングや運が重ならないとダメ。
体調もあんまり今良くないし。


でもきっとこの場所が呼んでるなら、行けると思う。
そして私はきっと何があってもたどり着くと思うからあまり心配せずに部屋の片付けするか。

私のフィールド



先生に3日間付き添って講義してもらっただけだけれど
私の中でマルマの芽が育ち始めている。

先生がマルマについて教えてくれた内容は、まさに私が信じていきたいことそのもの。
これほどに素晴らしいものがこの世にあるんだろうか。
これ以上私に合う知識はこの世界にあるんだろうか…。
たぶん、これが、私のフィールドなんじゃないだろうか。

そして、この先生こそが、私の師匠なんじゃないのか?
この先生の言うこと全てが私の感性にピッタリときてしまい
ひとつも私の感覚と矛盾することがなかった。
この先生から私は学びたい。この先生に着いていきたい。
「もっとすごい先生いるよ」って周りは言うけど、
私はこの先生からもっと学びたい。



そんな風に勝手に思ってきている。…だから忘れないようにメモっておこう。




わたし、たぶんきっと、これをやりたい。
マルマと一緒に生きていきたい!!
これほどに私の感性に合う存在って他にあるのかな?
そしてこれほどに信頼できる先生も。

マルマと切って切り離せないシッダと一緒に生きていきたい。
この哲学と、この科学と共に生きていきたい。


こう実感させてくれた先生。
私とシッダーたちの繋がりをはっきり教えてくれるアガスティアナーディリーダー。
そしてこういう私の気持ちを全部受け止めてくれて分かってくれるやっとできた友人。



みんなに感謝しつつも、これからこの科学をこの先生と学びたい。
日本から戻った後の目標として書いておきます。

というのも、マルマを学ぶのは大学ではムリで、
私がたぶん毎週とか先生のところに泊まり込んで教えてもらうしかないから
かなりのモチベーションが要求される仕事なのです。




そしてシッダーたちにお願いしよう。


マルマを学びたいです!
・・・ついでにいうと、カーヤカルパ(若返り)の研究と
占星術も学びたいです!!
だから、この3つと私は生きていきたいです!

とお願いしまくろうっと!!



そしたらきっと道は開けて、私が日本から帰ってきたころには
きっとすべてが用意されているはずで
そうじゃなくとも何かしらの形でそれが可能になるはず。

マルマの基礎

先生が教えてくれた内容はここには書けないけれど少しだけ詩風にかいてみる。

 ***


マルマを理解するための基礎:


わたしのからだは3つある。

わたしの魂と
わたしの肉体
 魂と肉体をつなぐ紐

 紐が切れれば
 魂は肉体を離れる

わたしのからだと魂をつなぐ紐は
 わたしたちがこの世界で生きていくための鍵

そしてそれは、この地上世界の全て存在の中にある

わたしたちの魂と肉体をつなぎ続けていくための鍵
それをどうやって保ってゆくのか



 そしてそれだけこそがすべてにある真実
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