わたしはちょっぴし霊感があるので、死んだ人と話せたりする。
だから、死んだ後もまだ「生」があるんだ、
死は魂が肉体から抜けるだけなんだって分かってるから
肉体を持って会えないのは寂しいし悲しいけど
死は、ほんとうは、終わりじゃない。
おばあちゃんが、死んだ後に教えてくれた。
あの世に行くには、あの世からピューってお迎えがきてくれるわけじゃなくって、
自力で階段みたいなのをのぼって、
今までこの世で得たスキル(生きる術や問題に立ち向かう術)を使って
自分であの世への道をみつけなきゃいけないんだって。
だから、けっこう大変らしい。
だけど、この世に残ってる人が、お祈りしてあげたり
供養することによって、あの世にいきやすくなるんだって。
だから、お通夜はすっごく大事だからね、っておばあちゃんが
お通夜がはじまるときに教えてくれた。
そしたらお坊さんも、死後48日は魂はこの世とあの世の間を彷徨うので、
なるべくお経をあげたりしてあげてください、と言っていた。
さらに、「日本人のあの世観」という本を読んでいたら、
まさに同じことが書いてあった!!
”さっとあの世に行ける人もいるが、未練などが残っている場合、
あの世になかなか行きづらい魂もあり、
この世の人が供養をすることによりあの世に行けることになる”
と。
すげー おばあちゃんが死んだ後に言ってたことと同じじゃん!
それを伯父にいったら、お経のCDでお経をあげよう、ってしてたんだけど、
なんとなくそのお経は生きてる人のためのものじゃないかな、
このお経の横にあるやっぱり般若心経が合ってそうと思っていたら、
「日本人のあの世観」にもそう書いてあった。
おばあちゃん、般若心経あげてほしいのかもしれない。
供養には般若心経がいいそうです。
短いし、あげる方も楽でいいですし、
この世への執着を経ち切って
あの世に送ってくれるそうです。
私も今からあげます。
※意味はこんな意味ってさっき知りました。なるほど★
インド哲学のベースがある私にとってはものすごく分かりやすい内容です。
てゆーか、般若心経、美しすぎますね。
素晴らしすぎる。
一部抜粋
***
是諸法空想 (この世の中のあらゆる存在や現象には、実体がない、
という性質があるから、)
ふしょうふめつ
不生不滅 (もともと、生じたということもなく、滅したという
こともなく、)
ふくふじょう
不垢不浄 (よごれたものでもなく、浄らかなものでもなく、)
ふぞうふげん
不増不減 (増えることもなく、減ることもないのである。)
ぜこくうちゅうむしき
是故空中無色 (したがって、実体がないということの中には、形あ
るものはなく、)
むじゅそうぎょうしき
無受想行識 (感覚も念想も意志も知識もないし、)
むげんにびぜつしんに
無限耳鼻舌身意 (眼・耳・鼻・舌・身体・心といった感覚器官もない
し、)
むしきしょうこうみそくほう
無色声香味触法 (形・音・香・味・触覚・心の対象、といったそれぞ
れの器官に対する対象もないし、)
むげんかいないしむいしきかい
無限界乃至無意識界 (それらを受けとめる、眼識から意識までのあらゆる
分野もないのである。)
***
死は、終わりじゃなくて、
新しい世界へのはじまりなんです。
だから、悲しいけど、哀しくない。
おばあちゃんは今、
物質界と目に見えない世界の間にいるから
眼に見えない世界への準備のために
このお経をもっと唱えて
私の意識の中にもとどめて
おばあちゃんをおくりださないとって思う。