旅をする木

生きるという旅をすることは、人と人という繋がりの橋を渡り続けること。 そしてたまに眠りもう会わない人の夢をみて休むの。 ケララ州トリバンドラムの小さな田舎に7年住み、 南インド伝統医学、外国人女性初のシッダドクター(首席卒業) 2016年8月〜 現在ブラウン公衆衛生大学院修士課程在学中。 このブログは10年前から続けてる日記みたいなもので いわば個人記録みたいなものです。わたしが忘れないための。 三聖病院での森田療法体験記、 彼が死んだときに旅をした話 アメリカのときの話 インドの話 シッダの話 ほかにもいろいろと ずっと書いてます。 きてくれて、ありがとう。

2015年04月

産婦人科体験と目指せ統合医療

院長先生が産婦人科でシッダの薬を出したり、
マルママッサージをしてもいいと言ってくれてるので、
お乳の出ない患者さんに家で作れる薬を教えたり
色々やってみてます(やれるときに)
脈診をしてたら、ナースたちがみんな脈診してほしがるようになったので、めちゃ焦って本読んでますw
西洋医学病院で必要とは思わなかったテキストだけど
やっぱり私たちはシッダドクターなのね。

救急医療の先生がとてもフレンドリーで
CRPの授業をしてもらったり
西洋医学の処方箋の基礎を教わったり、
想像できなかったことがいっぱいできていて
かなり充実している西洋医学病院研修。



そして、早まって書いていいのかという感じだけど、
お産を楽にするマルママッサージを
出産直前の妊婦さんに施したら
ナースたちが「これ、私たちこれからやるわー!」
と言ってくれるぐらいお産が早くスムーズに終わったみたい。

私はお産の経験がなさすぎて、違いがよく分からないけれど、
ナースたちが言うのでそうなんでしょうね。

1人は第二ステージの時点でマッサージしたのですが
マッサージの最中に赤ちゃんが出てきて、
胎盤もすぐにでてきました。
あそこもあんまり裂けてなくて、看護師さんがびっくりしてました。



とか書いても、


たとえば一回目と2回目の出産で全然違うし、
赤ちゃんがスムーズに出ても胎盤が出てこなかったりするケースもあり
(ちなみに脈が明らかに他の出産直前の妊婦さんと違ったので、本当に陣痛がきているのか?と思ってました内心)
油断ならなさすぎるのがどうやら産婦人科の現場のようです。

ゆとりができたら書きますが
インドでは西洋医学のドクター以外(しかも産婦人科医)はお産を担当してはいけません。


いつ帝王切開が必要になるかわからないし
胎盤が出てこないかもしれないし
胎盤が完全に出ないかもしれないし
帝王切開かもしれないけど様子見て普通出産というケースもあったり…

本当に何がいつ起きるかわからない世界ですが、
今の自分にできることは、マルママッサージを施して
お産を楽にしたりとかだけど、
マルママッサージは簡単だからナースもすぐ覚えられるし、
そういう形でアシストするやり方を見つけられたら
もっとお産が楽になっていくはずで
それってめちゃくちゃ大事じゃん!全人類に関わることだし!!
と思いましたというメモな記事でしたw


この前友達が「シッダを広めるには」と言ってたけど(この友人はいつもシッダをどうやって広めるか考えてる)

わたしはすでに3種類だけだけどホメオパシーも使うし(むちゃ効いて患者さんびっくり続出)
自分が学ぶ知識のベースであるシッダというツールを使って


どうやって人類をアシストするか


こっちの方を模索する!!!

シッダや代替医療をプロモーションするんじゃなく
それを通してどうしたら患者さんがもっと良くなるかを探していきたい。

ぶっちゃけシッダの名前はどうでもよく
患者さんがよくなったかどうかが問題なわけであって。



そんなあたり前なことを再自覚してきてるのでした。



だから
そういう意味での

患者さんにとってベストであるための
目指せ統合医療。




追記

今日初めて助産しました。
赤ちゃんを取り出して胎盤を取り出して…
とりあえずめちゃ緊張…。

医者になる意義


「君はとてもいい医者だよ。
今まで色んなインターンが来たけど、
君ほど患者のことを考えたり、何かを学ぼうという意欲のあるインターンはみなかったよ」



と、ここの西洋医学病院のドクターが言ってくれた。


え、そうか?とか思ったけど、
院長先生もそう言ってくれたし、
確かにそう言われてみればそうかも、と思うところはあるので、そこは自分がもっと伸ばすべきところとして受け止めることにした。



「6年間ガリ勉して、40ー45年臨床続けて、
もし、そのうちに、一人の人のライフ(命、または人生)を救うことができたら、
それは医者になった意味があったということだよ」


「今まで勉強したことはなんだったの、とか、

臨床とセオリーは全く違う世界で、
今まで泳ぎ方を教室の黒板で教わってきたようなもんで、
インターン期間は本当にビビりまくりだと思うけど
一人でも人生のうちで救うことができたら
それは本当にこの道を選んだ意味があるんだよ
そんなもんだよ」




本当にそんなものだと思う。


今日も実はめちゃくちゃ凹んでた。


なんでこんな苦労を… というのは医者に共通の葛藤だと思うけど、

私の場合、


こんな苦労をしてまで、世界にも知られてないシッダ医学を選んだ意味ってあったのか?

という葛藤がついてくる。


卒業試験を全科目「優」
首席で突破して今分かったのは、


私は何にも知らないし、
全てが中途半端すぎる!!!!!


ということ!!!


私がこれだと自信を持てるものなどひとつもない!!!

全部かじりかけということ。



私は何にも知らないし、中途半端で
こんなんでいいのか?!


と 恐れもがいてた。




先生は


「インターンがそう感じるのは当たり前だよ


そして



知らないことを自覚することが

何よりも学びと前進にとって一番必要なんだよ」

とまで言ってくれた!!なんなんだこの先生はっ


「ケララ人に虐待されて
自分に自信を持てずに劣等感があるのはわかるけど

君の素晴らしいところは
知らないことを認めていることと
知ろうとしているところだよ」




そして「40-45年の臨床のうちに一人救えれば
この道に入った甲斐があったんだよ」




そっか。

私は「このまま卒業しても何もできることはない!」とまで落ち込んでいたし、
手術を見るたびに何もわからず看護学生よりもビビりまくりだけれども、


これはどの医者も体験してる道。
それは西洋医学だろうとシッダだろうとおんなじ気持ち。

そして、今まで得た膨大な知識量からくる高慢、
「私は崇高な何かを学んだのだ!」というようなものは捨てて、
知ってるそぶりも捨てて、

まっさらになって、また進めばいいんじゃん。


患者さんになにかできることがあれば
ここの病院の先生はシッダの薬を出したりするのを認めてくれている!!!
なので授乳の助けをしたり、
お産を楽にするためのマルマポイントを使ったり、
ちょっとでもできれば私がここに来た意味がある。


先生は一生のうちで一人でも救えればと言ったけど、

私は、よく考えたら、学生のうちに、
そしてインターンのうちに、
たくさんの、何十人の患者さんをシッダやホメオパシーの先生に連れて行って、
そのうちの何人かは
治らないと思われていた病気が治り、
きっと人生が変わったと思う。

私が直接治したわけじゃない患者さんのが多いし、
私が紹介したことを忘れ去る患者さんも多いので
かなり自分の価値というのを感じてなかったけど、

この数十人の人たちは
私がいたことによって良くなったわけで

それはもうそれで

私がケララでシッダやった意味があったわけです。


今まででそうなんだから
これからもっともっとできるはずじゃん!



私は何も知らない
だから知る必要がある。



神様に
「はあー
もう何年も私という人格や努力を認めてくれる人に出会ってませんーー
そういう人に出会わせてくださいー
そうじゃないと私だめになるー」

と祈ったら、


そして


「はあー
もういやー
グルが欲しいー
導いてくれる師がほしいー」


と思ってたら、


ここのドクターが導いてくれた。

私がケララで得た劣等感や存在感の薄さを感じていること
人格を認めてもらえてないことも見抜いてくれるようなドクターが突然導いてくれた。


よく考えたらこの病院のナースやドクターは
みんな優しくて私を認めてくれてる。
こんなこと今までなかったよ…
この院長先生も私を努力家と認めてくれてる。



もっと信じよう。
この力を。
そして私という存在を。。。
この道の意義を宇宙に任せよ。


そしてまだまだ導かれ足りないので
もっと導いてください。

もっとこのドクターの指導を受けられるような
きっかけを是非くださいー

必要なことを学んで戻りたいですー

西洋医学病院で学ぶべきことを学ばせてくださいー


導いてーーー


お願いいたしますーーー





時間は尊い

カノウユミコさんのエッセイ「やさいのかみさま」に
一万時間の悟りいうのがあった


「実際は 誰でも どんなことでも
やり続けた時間が一万時間を越えた時
悟りのような瞬間が訪れるのではないだろうか」

一万時間やり続ければ誰でもどんなことでも
その道の達人になれるというお話。


そ、そうか!!!

まあ、医学部が大体6500時間、
インターンが3000時間ぐらいのはずなので、
医学の道は さらに一万時間を必要としているとは思うけど、

どんなことでもやり続ければ実になるのだと
今ちょっと諦めぎみだったことをまたやってみようと思えたりしたと同時に
一万時間をかせぐためには毎日の時間を無駄にできないと
最近だらけすぎており、この時間をなにかに使っていれば,,,
とちょっと腰を入れ直したいところ。





わたしの時間は限られている。









今日は10年前になくなった彼の誕生日。


あなたが死んでから10年の月日
私には色んなことがあった
インドで医者なんて笑っちゃうでしょう 想像しないでしょう

そのあいだ たくさんのひとにもであった
そのすべてを 昔みたいに報告したいけど
あなたはもうこの世界のどこにもいないし、
あなたはこの10年私が生きてきた時間を しらない
あなたの時間は あの日で止まっている

あなたがおしえてくれた。
死んだら もうそこで それからは この世界ではない。
死んだら もうこれからがない。
人生はそこで終りなんだということ。

どんなにあがいてもなきわめいて土下座して頼み込もうと
私たちには絶対的な終わりがあるのだと。

脱線するけど自殺を考えている人に知ってほしい
あなたの思うそれは感情なのだと
死んだらやり直しもくそもないのだと
人生が終わるということは思っている以上に絶対的なものなのだということを

あなたの時間は29歳までで止まって
それは神様でも変えることができない。

来世を信じる私だけど、
生まれ変わったその人は、
私の昔愛した男では決してなく、別人なのだから、
私が生まれ変わるその人は、
今 ここにいる 私とは 違うのだから

だから
私とは なんて儚いもの
なんて儚く そして 尊いもの
天上天下 唯我独尊
この世界の上にも下にも私がもっとも尊い


私が 私でいられる期間というのは
あんまりにも 短いのだろう
そんなにも 短いのなら
 

私に怠ている時間や呑んだくれている時間があるのだろうか
私にごちゃごちゃと政治の批判をしている暇なんてあるのだろうか
無駄なことをしているじかんなど全くないのではないのか


私はあのとき誓った
あなたの分まで生きるのだと
それなら余計
私には 呆けている時間なんてない
一分一秒を
わたしの娯楽のためでなく
そしてむだな論争をするためでもなく
この世界のためだけに使うべき



はあ、

あなたは本当に生きてたんだっけ。
あなたは本当に存在してたのかな。
10年の空白が 私の記憶を霞ませていく。

私が私として歩むこの人生において
残された時間など少ないから
無駄にできる瞬間などないのに
その事が 私には本当に判っているのかなあ
なんて無駄な時間を私は過ごしているのではないか
怠けている時間なんて全くないのではないか
先伸ばしにする時間も全くないのではないか



わたしの時間はすごく限られている 


私は 本当に時間を無駄にしてないのだろうか?

西洋医学病院研修

はぁー
一度行ったのに、女性1人で来るな!と送り返されたり色々あったんですが、
西洋医学病院の研修にもう一度行ってきます。

メインは産婦人科。
生と死が交わる現場なのですが、まずの感想は、
医者としてダメなんですが、エグくてグロいです。
アソコを見すぎで食傷気味です…今どんなにエロいエロ本を見たとしてもどこがいいんだ…としか感じないでしょう…

しかもそんなところから赤ちゃんが出てくるだなんて信じられない。
お母さんに比べて、大きすぎますよ赤ちゃん…。
胎盤もこれもありえないぐらい大きいし
お母さんはものすごい痛そうだし…
げっそりしてるお母さんもいるし…

うわあああああ
人類はこんなことを何百万年もしてきたのか
私もお母さんのアソコからああやって生まれたのかあああ
私もそのうちいつかこれを体験するのかああああ

と独身であることをいいことにビビっています。

生命が誕生する感動的な現場なのに、
その過酷さ(とエグさ)に衝撃。

クラスメイトたちもみんな同感です。
生まれた子供はみんなかわいくて神様が与えてくださったとしか思えないぐらい美しいです。


産婦人科だけでなく外科も研修させてもらえるんですが、
初日はぶっ倒れたなあ…。みんなそうらしいですが。



ここで気になるのが帝王切開。
帝王切開が必要な緊急時でなくとも、インドでは帝王切開を望む人が増えています。

子供は、生まれてくるときに、様々な動きをして、生まれるプロセスを辿ります。

帝王切開は、お腹を切って、子宮を切って直接赤ちゃんを子宮から取り出します。
普通赤ちゃんは子宮から自分の力で子宮口、そしてアソコまでたどり着き、その間、単にずるずる上から下に下がるのではなく、首を曲げたり伸ばしたり、回転したり、いろんな動きを経てアソコにまでたどり着きます。

帝王切開はこれらのプロセスを全部スキップして、子宮からいきなり赤ちゃんを取り出すことになるから
赤ちゃんびっくりするだろうなあ…


と、想像よりもっと思わされました。
なんかこんな議論はいくらでもされていそうですよね。

でも帝王切開は必要な場合は必要です。
出産中に色々と考えられる母体や赤ちゃんのリスクも低くなる可能性もあるし
帝王切開の方がいいことはいっぱいあるのですが、
インドの場合、帝王切開を「痛いの嫌だから」と選ぶ場合も多いみたいだし、
病院の都合で帝王切開を勧められるパターンもそうとう多いみたいで…
そういう、人間の体のためじゃない帝王切開は、
母体にも手術後のリスクがあるし、
赤ちゃんはびっくりするだろうし、、、
問題の方が当然ながら大きいだろうな。


アソコとエググロい胎盤見過ぎで、
神秘的とは感じられていないものの、
出産直前のお母さんのお腹を触れると、
赤ちゃんが出てこようとしている何かの強い意志を感じます。

お母さんの脈もとってみるとすごく変化があります。


以前占星術の記事に書いたけど、
シッダでは赤ちゃんは最後に「神様の恩恵により生まれる」としています。
赤ちゃんは自分で生まれる準備をして生まれてきて、
それをお母さんたちはコントロールすることはできないんだなあというのは、彼女たちをみていて感じたことです。


妊婦さんたちの出産を観察していると


私たち以上の何かの力で生まれている

ということがよくわかります。


それを「痛いのが嫌だから」
「この日に生まれて欲しいから」
「俺(医者)夜勤嫌だから」
というような理由で阻止していいのだろうか…


医学というのは人と体のためにあるわけで、
それ以外にあってはならないと私は思います。



とりあえずもっといっぱい研修してこなきゃ。



ちなみに院長先生は長いあごひげと長い髪の
見た目がヨギーな先生で、
男なのに産婦人科医で(インドではかなり珍しい!!!)
普通、男の産婦人科医などはいないんですが、
インドではそんな医者がいたとしても妊婦さんは嫌がって絶対行かないそうです。
(冒頭に書いたように、アソコみまくるわけですから
インドの文化的にかなり抵抗があります)


でもこの先生は
朝から夜まで患者さんが絶えず列をなしていて、
しかも、最近は

四世代に関わっているそうです。

つまり、

ひいおばあちゃんのおばあちゃんの出産
おばあちゃんのお母さんの出産も
先生が診た、という、
とんでもなく人気がある先生のようなんです。

男の産婦人科医でこれだけ人気がある先生は、
ケララではそうとう珍しいはず…
というか男の産婦人科医というだけでも珍しいのに。

とにかく変わってるけど、
ヨギーな見た目そのままの中身で、
とってもシンプルで、思いやりがあり、
病院儲かりまくってるだろうに車も携帯も一世代かふた世代ぐらい前のやつ、というような無欲な人で、
人間的にとても素敵な人です。

ありえないほど忙しいほぼ24時間勤務的な生活をしているし。
外来、回診、手術、授業、病院マネージメントと全てをこなすスーパーパーソンw
かっちょいいです
(大学の先生もまあ、外来、回診、授業&大学の仕事をこなしてるけど、4時に帰れるもんな)
あのパワーがどこからきているのか教えて欲しい…

ライフ

自転車乗ってたら足痛い!とみたらアリが噛み付いてた。

自転車で病院行く途中に薬草が生えてないか探す。

ケララの土地は豊かで、草の成長も早く、野草の中にたくさん薬草が生えているのだ。

トゥラシ Osimum sanctum
ベッティライ Piper betel
アルガンプル Cyanodan ductylon

これらはどこにでも生えているし、虫刺されやアレルギーなどにいい効果を発揮してくれる。

ハイビスカスでもいいかなあ〜と花を睨みながら通り過ぎて

大学にあった Acalypha Indica の草に聞く
「あなたは水銀の浄化にも肌の病気にも使われるけど
この私のアリの噛み跡には効果ありますか?」



最近 カノウユミコさんの「やさいのかみさま」を読んでまさに目からウロコが落ちた。


野菜を食べることは、野菜のいのちを奪いそれを引き継ぐこと。

私という存在と人参という存在が
まな板の上で出会う奇跡。

いつも何かを食べるとき
味や栄養を気にしていて
その野菜の 命をいただいて 引き受けて
私は生かされていくということを
真剣に考えたことがなかった。

食べることは
野菜のいのちと向き合うこと。


その真理を、私は今まできちんと受け止めてきたことがなかったと思う。



私は この食事に関わった人たちや存在に感謝し
私が この食事にふさわしい人間であるか 仕事をしたかを反省し
食事の味や好き嫌いをとやかくいうのではなく
食事のいのちをいただいていくという自覚を持ち
この食事によって精進していくことを目的に
食事を食べる

ということを
心から私は実践しているのだろうか??


食べる前に私は祈るが
それに何かが欠けていたと思うけど
それは

私は この食事によって生かされて
この食事ために犠牲になった命を
たくさんのいのちを引き継いで
それでも生きるという
生きる覚悟

だったのだと思う


今まで 食事に気をつけないと!と思ってたし
みんな食事が大事というのだから
シッダーもそういうのだから大切…なんだよな?
とは頭で思ってたけど
でも真剣にその真理に向き合ったことがなかったと思う。

カノウユミコさんの著書は
それ以外にも、
死ぬことや 生きていくことや
極めることについて悟りとも言えるような話を教えてくれた


だけど



野菜のいのちと真剣に私は向き合っていきたいと思う




食べるためではなく 生きるために食べている


栄養素ではなく
命をいただいている


その自覚。











だから 薬草も同じ。



薬も同じはずなのだ。



よりよく自分が生きるために
この世界の何かを犠牲にして
頂いて
私は
やっとここにいさせてもらえる







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