旅をする木

生きるという旅をすることは、人と人という繋がりの橋を渡り続けること。 そしてたまに眠りもう会わない人の夢をみて休むの。 伝統医学を 西洋科学のメゾッドで ひとびとに ケララ州トリバンドラムの小さな田舎に7年住み、 南インド伝統医学、外国人女性初のシッダドクター(首席卒業) ブラウン大学公衆衛生大学院修士、 ワシントン大学疫学博士課程在学中・国際臨床研究センターにてPhylogeneticsによるHIV・コロナウイルス感染予防の研究助手 2019−2020年 WHO・インド伝統医学標準化のための国際会議にてのシッダ医学グループのWHO指定報告者(書記)担当 このブログは15年ぐらい前から続けてる日記みたいなもので いわば個人記録みたいなものです。わたしが忘れないための。 三聖病院での森田療法体験記、 彼が死んだときに旅をした話 アメリカのときの話 インドの話 シッダの話 ブラウンでの話 アメリカやインドの生き方 ほかにもいろいろと ずっと書いてます。 きてくれて、ありがとう。

2015年05月

映画「ミリオンズ」奇跡は何処にでも起きる

ダニーボイルやっぱり最高!

なんか季節外れのネタですみません・・・。
私好みの監督トップ3に入るダニーボイル監督の
なぜか見落としていた「ミリオンズ」をやっと観ました。

「ミリオンズ」

200万ポンドを拾った子供の兄弟が、 そのお金でどうしようか悩むお話。

超工夫されたカメラワーク、 スタイリッシュな映像と、
鋭い音楽センスで有名なダニーボイルが撮れば、
大抵どんなものでもおしゃれになります。
それがたとえ、穴ぼこをガムテで塞いだソファだとしても。
インドの臭くて汚すぎるスラム街や地下道が「スラムドッグ・ミリオネア」で
超人的世界に変身したように、
イギリスの街並みが、お菓子やおもちゃ箱みたいに超可愛く見えて
現実的な世界であるはずの学校もまるで夢の中みたい。

映画の中のポンド札束は、あらゆるものすべてと交換できる価値のある「お金」に見えません。
子供  × 札束という、エキゾチックな組み合わせはお金の魔力を無効化し
お金=価値あるものという説得力が消滅します。
お金ってただの紙きれ・・・

なんかラストの最後の3分で全てが一気に収束します。
すべてはこのためか!という、素晴らしいラストシーンはダニーボイルにしかできません!!!

****

文字通り、豚に真珠をあげても喜ばない。 
自分の丈に見合うお金の量と使い道がある。
それ以上でも以下でも 私たちは気を揉み、気に病み、心の中も住む環境も休まらない。 
同じ200万ポンドでも自分で稼いだお金なら映画の問題にはぶち当たることはないだろうし。
所有するお金の量よりも、その量がその人に見合っているのかということなんだなあ。 

そして、人のためになると信じて行うことも、
人のためにならない場合や 自分にとってよくない結果を招くことが多々ある。 


でもなぜか「奇跡」と呼べるような出来事は、
いつも思いがけずに、そして、自ら私たちに飛び込んでくる。











もの(お金)には収まるべき場所があるということ。

色んな頭脳を使ってお金を使おうとしても仕方なかったりするのに対して、
ほんのわずかなお金でも、

収まるべきところに収まれば、







こんな私たちでも、







奇跡が起こせるのだということ。











この世界というのは、本来は、
そういう奇跡の連続のシステムのはずなのだということ。









この歴史に残る「聖人」たちは
そういう ”奇跡”を 掘り起こした人たちなんだということ



まるで砂漠の中から井戸を掘り当てたみたいに









この映画は、「お金を使ったファンタジー」ではあるけど、
決して「お金についてのファンタジー」では
ありません。

お金というのはこの映画の中でのメタファーにすぎません。

ありあまりすぎた札束は、まだ見えない未知の未来。
その途中色んなお金の使い道を探す姿は
自分自身の居場所を探る主人公ダミアンそのものです。




私たちにはいつも未知で無限大の可能性があるんだよということ
そしてそれを見つけていくのがプロセスなのだということ
それはつまり、居るべき場所を探していくということなのだということ

それにはものすごい遠回りをしないといけないかもしれないし
いろいろと試してみて、その中には思い切り傷つくことや失敗があるかもしれない。

それに、見つかった居所というのは、
ほんとうに小さなものかもしれない。




でも、 あなたという個性と
その場所が、
ぴったり重なったとき、
砂漠から水が湧き出るみたいに
奇跡が起こる





この世界はそういう奇跡の連続のシステムなのだということ。









 

ケララ的モテ美女子

インドでは逆ダイエット



私と一緒に西洋医学病院研修を終えた後輩はけっこう美人だ。しかも姿勢がめちゃめちゃいいので、隣にいると見劣りする気がしていた。
スリムだし、美人だし、いつも背筋ピンとしてるし〜〜
と思ってたら、

「はあー やばいー 私太らないとー!」とこぼしているのを聞いてしまった。
彼女はチェンナイの研修以降、病気がちになって、随分痩せたようだ。

日本なら、「やったー!ラッキー!」と思うんだろうけどインドじゃ逆。

「ヤバイよー 痩せちゃったよー
私前はもっと太ってたんだよ!
はあー 太らなきゃ」

私的には彼女は美人の部類に入ると思ってたので、そんな不満があっただなんてちょっとびっくりだった。


今のがちょうどいい体型じゃないの??!



日本人というか、先進国の女の子がいつも常に無駄に痩せたいと思っているように、
インドの女の子は常々太りたいと思っていることが多い。
以前も何回か「太るための薬知らない?!」と女の子に聞かれたことがある。
もちろん、太り過ぎはダメなのだけど、痩せすぎはもっとダメ!!!!

後輩も、ちょうどいい体型だと思うのに、足らないらしく、もっと太るとちょうどいいよう。

太りたいと言っている女の子を日本では見たことないと思うんだけど、こちらではよく見かける。



そういえば以前、現在大学院で医学修士履修中の友人に
「ジャックスポット!」というネタの写真を見せられた。

男は冴えないのに美人な嫁さんをもらった!
という写真だったんだけど、

確かに男は冴えないんだけど、
その美人なお嫁さんは、私が見たら、「え?太ってない?」って感じ。
私としてはその写真がwhat's app上で出回りまくってるということが理解できないー。

というか私からすると「太め」の部類であり
顔もでかいし、美人の部類にはあまり入らない気がしたんだけどぉ。



そう、インドでは、ぽっちゃりがモテ美女子。
油っこいインド食のせいで、一時期は8キロも太った私は(今は、+4kgぐらいだが)日本的には、ぽっちゃりめに入るかもしれない。
なので私は無駄に日本に帰国することを恐れている。

ぎゃあああ
着る服がないいいいいい
美容院行くのが恥ずかしいいいい
日本に行ったらスイーツも飯も食いまくりたいのにこれ以上太ったらやばすぎるじゃんんんん

どうやったら痩せるんだか… と悩みまくりなのに、

「アユミは太って美人になったよねー!」

と現地では好評。

「もっと太った方がいいよ」という意見まで!!!!

たぶん日本人的には普通レベルに痩せたら、「何が起きたんだ!病気になったのか!」と、みんな心配するんだろうな…。



クラスの子でもぽっちゃりいきすぎめな子はみんなに「あの太めの子」と区別されてたりして、一応「太ってる」と「美人」の境界線はあるのだけれど、
基本はぽっちゃりがモテ美人。

テレビの女優さんもみんな二の腕太い。



おさらい。
今のところ私の知るケララ的モテ美女子の数箇条。



*ぽっちゃりめがベスト(二の腕は太く!)

*スレンダーはNG(やせてると貧乏くさい)

*なので逆ダイエット!

*ムダ毛は剃らない(腕の毛ぼうぼう)

*髪の長さは腰以上

*自家製ヘアオイルで髪のお手入れ

*色は白めで髪は黒め

*お化粧はガジャン(アイライナー)とベビーパウダーがメイン(私はいつも素っぴん)



バトルイマ、バクホンありがと

バトルイマ


うわーん
ありがとう、バクホン!!!

ほんとうはこういう葛藤的な悩み話は
「先生」になる人が普通に載せてて、
それってアリなのかしら?
って思うんだけど、このブログはずっと10年以上
感じたこと 思ったこと をそのまま書き連ねているので
そのまんまでいきますよん。

医者であり先生である前に一人の人間である私なのだから。



THE BACKHORNは14年以上私のフェバリットバンドなのです。
彼らは私が音楽を通じるのならやっているだろうことをすべて体現してくれています。
この人生のなかで、このバンドの歌に何度励まされてきたか。何度初心を取り戻したか。

いちばんじぶんにもどりたいとき
わたしはいつも 彼らの歌を聴く
いちばん大切なものをとりもどしたいとき
わたしはいつも 彼らの歌を聴く
それがたとえその曲を聴く瞬間だけであっても
いつも なくしたうたは こころにある


まっすぐにいのちをみつめることを
彼らは知っている


「人気もんも嫌われもんもみんな仲良く壊れもんさ
おこりんぼう さみしんぼう あまえんぼう きかんぼうに あばれんぼう
いい善人 悪い善人 いい悪人 悪い悪人もみんな愛しきコワレモノさ」

こんな風に すっと見つめてくれるんだ
わたしの いま を





バトルイマ。



わたしは正直最近不安だった。
ここを出てそれからどうするのか。
頭の中でぼんやり描く人生地図はあるけれど
現実にそれが起きてくれるのかはわからない
それとともに迫る年齢。
この歳になって、貯金なし。すねかじり。
今のところ見当たりそうな仕事は…????
現金が見込める仕事(講師など)よりも本当は臨床をやりたいし。

インドの田舎で外国人1人で

命をかけて、
おしゃれもおいしいものも食べずに
学問に身を投じた
努力した 苦労した 命を削った
その苦労に見合う結果は訪れるのかなあとか

世界にだけでなくインドですら知られてない医学を。

アーユルヴェーダ大学に行ってれば
ホメオパシーに行ってれば…
世界に広まりつつある医学の最高の教育であることが確かな上に
探せば就職先だってあまたあるんだろうと思う

本当にこんなことを終えて
しかも、首席をとるぐらいに猛勉強をして
身を投じて、



収入はあるんだろうか。


結婚はできるんだろうか。




たまに想いを馳せる


私は、医学のフィールドに入らずとも、
フォトグラファーになってジャーナリストになってメディアの世界で活き活きとしてたんじゃないのかなあって

それか人類学者としてネイティブアメリカンたちと一緒に生きてたらそれなりに幸せなんじゃないのかなって




どんなに考えても私の位置は変わらないので
意味ないんだけれども
そんな風に思うのも
当たり前だと思う。



そんな風にほうけてしまう私に
バクホンは叱咤激励をくれるんだ

いつも。いつもいつも。



「たとえ小さく打ちのめされても
くたばりはできねえ


誰も教えちゃくれない
掴み取れ


魂に迫り来る闇の奴隷にはなるなよ」



「君はまだ知らない
それでも世界は素晴らしいことを

君はまだ知らない
いつかは飛べる日が来ることを

君はまだ知らない
たくさんの喜びが待っていることを」(サナギ)




私は
飛びたい
自分で見つけ出した
そして自分自身で掴み取った翼で
この世界に収まりたい

シッダ医学であることも
医者であるのを選んだのも
それが本質的な理由


わたしは
知りたい
この宇宙にある命の秘密を
整体界の天才の野口先生みたいに
シッダーたちみたいに
ブッダみたいに
キリストみたいに
わたしは
そこに届きたいから

生命と本当に向き合って語り合える道を見つけて
人類に道を示したい
先人の素晴らしい人たちが成し遂げたみたいに
もし 私が見つけられなくても大丈夫
シッダーたちがすでにそのメゾッドをすべて書き残してくれてるから
私は媒体になればいい

だけどその目的は

ひとびとが生命の大きな流れの中で
生命の力とともに生きていけるように
その流れから外れない道を

そういう道を
見つけること


収入や結婚や仕事の心配は当たり前。
「たとえ小さく打ちのめされても
くたばりはできねえ」
頭ではいっつも不安になってる
でもたぶんそんなことにはおかまいなしに
私の あゆみは 止まらないよ。


シッダドクターである以前に私は医者で
医者である以前に
私は人間として生きている



今まで必死の思いで得た土台を元手に、
一体それをどうやって見つけていくのか?
それは一体なんなのか。

私はいつか道を見つけるのだろうか?



「もっと大きく もっともっといこうぜ

探し続けようぜ
それが生きている証」(バトルイマ)

「世界のどこかで君を待っている人がいるんだ

one more time we celebrate
I found a place where I belong…

いつでも君の世界の見方の味方さ
続けておくれよ物語を…

…誰も知らないメロディを聴かせてよ」(シメントリー)


「どうかノーミスよりも濃密な人生を」


うん

これでいいんだ私。
このまんまでいいんだ。
就職 収入 結婚 雑音は心を乱すけど
でもわたしはわたしのいのちが求める道をゆく
「One more time we celebrate
We found a place where we belong
We are walking on this winding road...
Sing a song When rain drops
Everything is gonna be alright...

君のおかげで生きてる
だから
だんだん変わって少しずつだって最大限描けるよ」
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