旅をする木

生きるという旅をすることは、人と人という繋がりの橋を渡り続けること。 そしてたまに眠りもう会わない人の夢をみて休むの。 伝統医学を 西洋科学のメゾッドで ひとびとに ケララ州トリバンドラムの小さな田舎に7年住み、 南インド伝統医学、外国人女性初のシッダドクター(首席卒業) ブラウン大学公衆衛生大学院修士、 ワシントン大学疫学博士課程在学中・国際臨床研究センターにてPhylogeneticsによるHIV・コロナウイルス感染予防の研究助手 2019−2020年 WHO・インド伝統医学標準化のための国際会議にてのシッダ医学グループのWHO指定報告者(書記)担当 このブログは15年ぐらい前から続けてる日記みたいなもので いわば個人記録みたいなものです。わたしが忘れないための。 三聖病院での森田療法体験記、 彼が死んだときに旅をした話 アメリカのときの話 インドの話 シッダの話 ブラウンでの話 アメリカやインドの生き方 ほかにもいろいろと ずっと書いてます。 きてくれて、ありがとう。

2017年11月

夏の残像 THE BACK HORN

こんないい恋ぜんぜんしてなさすぎる…。

テレビで私は人生を揺るがす大恋愛してたイメージのある皆さんゴメンなさいというぐらいの勢いで。


傷つくことも虚しさもそのせいで涙するとしても、「自分の気持ちと誰かに真剣に向き合うこと」の結果なのだなと気づいた今。(もちろんインドへ行ったアノ時は120%そんな感じでしたけど完全に忘れるよね大人になって色々残念なことが起きるとさ)


今まで傷ついて人生に支障が出るのが嫌すぎて恋愛とか金輪際したくなかったけども、(私的には仕事が常に優先)


切なさとか張り裂けそうとか、

そういう苦しさが

「自分の真実の心で誰かを想うこと」

羨ましく感じてきたかもしれない。


ほんとうの気持ちとか

ほんとうの考えとか

この世界の本当の現実って

科学論文の世界でもめちゃくちゃ難しくて、

科学者も「自分が見たい結果」を論文に反映してることはとっても多いというのが最近痛感してること。


ほんとうのこと

ほんとうのことだけをいうこと

自分のほんとうだけを生きること


難しすぎるし嘘ばっかついていつからか
嘘なのかほんとなのかよくわかんなくなるって
ほんとうによくあるけども 

サイエンティストとしても、

お医者さんとしても、

占い師としても、
真実を話すというのは 

っていうか人間として一番大事すね。

勉強の合間に

勉強がはかどらない理由:

これがどうこれから先と繋がってるかわからない。


でも今自分がここにこうやっているのは、去年私が頑張ってここに居座ったからだし、
今もここからどこかへと繋がっているはずなのですけど、それがたまに信じ難い気がしてくるというか、
やっぱり目の前に人がいる現場の方が飽きやすい私にはいいのかもしれない・・・。


これから先どう繋がりたいかを考えることは、
仕事の為にも、起業するにしても、博士課程行くとかでも一番大事なので
勉強の代わりに考えるw

合気道の達人の技を見て感動した!文化が生み出した素晴らしい宝物はこれからも伝わっていってほしい。私のカラリパヤットゥの師匠は、経営が厳しくなって道場を閉じて、
「これから20年後には、カラリパヤットゥなんてなくなるぞ」と言ってたけど、
合気道がアメリカでも学べるように、誰かが努力していかないといけないんだなって当たり前の事だけど最近深くそう思った。

私が守りたい伝統は沢山ある。

まずはアガスティアナーディ。アガスティアナーディは数千年続いている伝統でこれから先もたくさんの人を救うと思うし、私も私の周りもみんなナーディに、人生を救われている。
だけど、現実は、ナーディリーダー自身が「9割がた偽物だよ」というほどにすたれていて、
さらにいえば、私が見た時は、彼らの健康状態はとても悪かったし、今でも悪い。それに貧しい。
これからもこのナーディは、時代がどんなに変わっても、普遍的に人々を救っていくだろう。
どうやってこの人たちを守っていけるのだろうかということを、 インドの国の人間じゃない人が考えていかないといけないということは、今の大学院での国際医療システム比較の授業で痛感してる。先進国の感覚じゃないと見えないシステムの問題点っていっぱいあるって気付かされたからだ。

 カラリパヤットゥのような、古武術。私はカラリについては素人すぎますが、でもカラリの師匠のような心、そして、やっぱり今私が行ってる合気道とかもみんな満身創痍なので、カラリのように、医術と隣り合わせになっている武術ってめちゃくちゃ大事というか、医術と武術って離しちゃ危険じゃんと思う。人の体を助けることもできる武術。そして、その心は、受け継がれていってほしいと思う。個人的にだけど。

もちろん私のシッダ医学なんて、もう滅びた古代文明の遺産レベルなわけで・・・
未だに頑張って生き延びてはいるけど、これから先の見通しはかなり怪しいなと思ったし
だからこそ私はアメリカでちゃんとしたリサーチ方法を学んで、しっかりと医学の良さをこれから先に伝わるカタチで残していきたいと思ってるからこそ今年は臨床研究とかの授業とってるわけで。
シッダが広まる必要性は全くないと私は思ってるけど、
マルマを使った視力回復エクササイズとか、お金かからないで世界的問題の近視救えるかもしれないし
そういう意味で、今の時代の問題にとって、有用性があると思っている。
もちろん、シッダの科学もめちゃくちゃ使えるし。

私が思ってきたのは、
これからは今までどおりのやり方じゃダメなんだろうなということと、
(それはインドの伝統の守り方が新しくないとダメという意味と、
私の生き方というか、やり方も、インドでのやり方ではなくアメリカを取り入れたやり方じゃないと生きてけないという意味も両方)

伝統はその国にとどまらなくても、他の場所で生きていけばいいんだ!ってーこと。
仏陀の教えがインドでは広まらなかったように、
遺伝子みるとみんな人間は雑種なように、
グローバライゼーションの時代だし、
どこかでその命が生きていればいいというか。そんなイメージが私にはある。

そのためには、
私には今までのやり方ではなくて、いろんな人の助けや意見が必要になってくる気がしてる。

そして何よりも私自身が、守ってきたいものの良さをわかっていないといけないんだなと。
でもいつも私は、みんなに気付かされているのでこれはなかなか課題だなと思う。


うわめっちゃ独り言日記じゃんね。
まあこのブログって元々日記なんですけどね・・・。

えーっと次はみなさんにとって有用な話をしたいです。


とりあえず、

伝統が生き生きと生きていけるような形ってどんな形なのか。
ナーディの伝統を新しく守っていくってどういうことなのか。
それと公衆衛生とかが結びつくって一体全体どういうことなのだろうか・・・・・・・・・

もう卒業間近になってるけど今更熟考してみます。 
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