Mind and life institute の International Sympodium for Contemplative Studies に行ってきました。
アリゾナのフェニックス。
life experienceだった。

やっぱり一人でグダグダしてても何も始まらないなあ。

ヨガのコンフェレンスに10月行って、そこで出会った、
ヨガセラピストの方の家に泊まって、
アリゾナ大時代の友人と9年ぶりに再会した。
そんな超素晴らしいウェルカムを経て行ったコンフェレンス。

フェニックスのリゾートホテルで行われたコンフェレンスですけど、
ダライ・ラマに会ったリサーチャーとか、
ジョンカバットジンとかも来てた(ジョンカバットジンふつうにコンフェレンスの間中その辺にいましたw)

なんか、変な話だけど私にとってはこのコンフェレンスそのものが瞑想で、このコンフェレンスは自分の今までの人生の帰路の総まとめになったものだった。

めっちゃパーソナルな話です。
でもパーソナルなお話ほど大切なもの。

泊まったリゾートホテルはネイティブアメリカンのリザベーションにあって、全体がネイティブアメリカン仕様だった。

20歳でのヴィジョンクエスト、
ネイティブたちの儀式を経て、
私はシッダに出会ったことを今の今まで忘れてた。

私は、いつか、ネイティブアメリカンの人たちに恩返しをしたいと思ってたことも忘れてた。

Contemplative studiesって瞑想のことだけだと思ってたら、
本当は禅的ライフ、瞑想的ライフ、自然とつながる生き方えを提唱していくための総合的な学問のことだった。
だからアートも、ソーシャルジャスティスも、医療も健康も全部ひっくるめたものだったと知った。

ネイティブアメリカンの教授もいて、なぜかアートなのにネイティブアメリカンにとってとても大切なヴィジョン(人生の目的)の話をしていた…。

ヴィジョン…
そういえば私、ネイティブの儀式で、インド医学を学ぶというヴィジョンを得て、それを心に入れてるうちに知らん間にインドに行って、
でも、本当にシッダなんて学ぶべきなのか、
本当に悩んだしそんな普通の人と違う道に行くのがめっちゃ怖くて、死ぬほど悩んでた時、
その時にヴィジョンクエスト(断食)で出会った トカゲを思い出して、
トカゲがアニマルトーテムだったことを思い出して、
トカゲは人生に一度だけ、今までやってきたことの全てを捨てて新しい人生に飛び込むことができることを思い出して、
それが一番の決め手となってシッダに行くことを決断したんだったのをめっさ忘れてた!

めっちゃ忘れたけど私の原点はそっちの方だったんだった!

そして、ネイティブアメリカン的な生き方を
ガチのサイエンス/科学/システムとしてやっているインド医学の道に入ったんだった。

インドでは、自然と直接コミュニケーションを取らなくても、
ヴィジョンを持った人生を送るためのすべを医学として学んだ。

私にとってシッダ医学は
みんなの人生をサポートするためのツールであって、
私自身シッダ医学が広まって欲しいとかそういう風に思ったことはない(笑 すんませんw)
私はこの知識と技術を「使う」だけ。

公衆衛生も同じ。技術。


で、私、めっちゃ忘れてましたw

何のためにこの12年間身を捧げてたのかを。
12年長すぎて孤独すぎてめっちゃ忘れてたよ!

原点はネイティブアメリカン的な、瞑想的ライフ。自然と繋がれる生き方、神様の声をみんなが聴けるようにするため

そのために行ったんだった。

2008年にシッダ医科大に入学して以来、
友達いない、分かち合える人いない、超孤独の日々。
それはブラウンに2016年にきても変わらず、
つまり10年間一人でずっと仲間に会えることなく生きてきた感じでした(。。。というと、支えてくれた親友ぼナーディリーダーやインドを通じてであった日本人の人たち、家まで建ててくれた家主に超絶失礼なのだが、でも
超絶孤独の日々で現実的にPTSDに苦しんだし…)

だからめっちゃ一人だと思い込んでた。
瞑想的ライフ実現のための学問があるなんて知らなかったし、
そのために750人も高いコンフェレンスに集まるぐらいそのムーブメントはすごいことになってることも知らなかったし、
っていうかむしろブラウン大学が瞑想的ライフ学部のために頑張ってる全米でも多分リードしてる大学だったらしいし…。なんだよそれ。

「人々を苦しみから救うための科学を作る」

ダライラマに会ったリサーチャーの先生は、
「こんなに、苦しみを救うために、努力してやれる限りのことをしているのに、
目の前の人を助けることすらできなかった」という
孤独をみんなの前でシェアして、私も号泣、かなりの人が共感して号泣。

みんな号泣するってことは私一人じゃないんじゃん!!!

なんて恵まれてるんだろう
なんて望まれているんだろう

そんな学問や考え方があるなんて知らなかったよ…
なんだよ私は自分で模索してたよっ?!!!!!!!いいなあ若い世代。
そしてそれと同時に

私のやりたかったことってこれじゃん。


シッダでもなくパブリックヘルスでもなく
医療でもなく教育でもなくアートでもなくりさーちでもなく
いや、それ全部を含めたことをしていきたかった。

ネイティブアメリカン
シッダ
アメリカ

私が あゆみ 続けてきた道が

なんか知らないけど一つになった。


ような気がした。


悩んでた、

医療 リサーチ とったら アートはない(インドは超狭い世界なので、医学は医学、アートはアート、リサーチはリサーチ)
シッダだからネイティブアメリカンはない、じゃなくて、

私が今まで触れてきたものぜーんぶ

Contemplative studies

のカテゴリにあるんだ!!!!


ネイティブアメリカンスタディの学長の先生と
夜ご飯とランチ両方一緒にしてもらって、
ヴィジョンについての本までもらって、

あと、ブラウンやハーバードの人たちとも友達になって(なんでわざわざフェニックスでw) & 超気があう友達にも出会って、
自分がやってきたことが、包括的なかたちで目に見えてまとまってきそうなのが見えた。


今、周りの人が聞いたら、
卒倒するぐらい危機的状況にいると思う。
ぶっちゃけ私。
今めちゃくちゃやばい状況にいる。

でも、

こんだけスピリットたちに支えられていて
焦るも何もないんじゃないかなあと私は落ち着いている。


目に見えないものは目に見えるもの(ユダヤの言葉)

私はヴィジョンとスピリットだけを追いかけてここまできていて、それが現実であることを嫌という程この人生をかけて体験している。私の人生そのものが、スピリットとヴィジョンが現実だと指し示してる。

これから私は、またもや自分の人生をかけて
ヴィジョン(生きる意味)に生きる生き方を提唱していくつもり。

シッダや公衆衛生、医療というツールを使いつつ
それに限定されないで、


やっとこれから多分なんか始まる。
ってかなんか始まってた。

お金で評価されない社会、
戦争のない社会、
みんなが生きる意味を知っててそれを生かせる社会、
病気が治る社会、

こういうのをガチ本気でできる世の中に生きていていいなんて、

ま じ で

21世紀ありがとう。