りゅうのこども

彼に会ったのは、そう昔でない、春のことだった。彼はいつもどおりごみをあさり、黒い体を光らせ、生き抜いていた。
鳥を捕まえようとして、すべって転んでいるのを見た。しかし彼はすべった体をくねらせ着地した。

同時に、りゅうのこどもを捕まえてしまった。私はそれを鳥かごに入れて、飼っていた。それは、彼と同じように黒い体で、ごつごつとした皮膚に覆われ、長い髭を蓄えて一声吠えた。それは、この東京の街すべてが凍りついてしまうような泣き声だった。夜景に、響く声は、なぜか頼もしくもあり、私はりゅうを一晩中眺めていた。小さいけれど、きちんと成人の形をしていた。

りゅうのこどもを飼い始めて、そう経ってない頃に、私は1度だけ彼と町を歩いた。彼はそのようなことに慣れておらず、とても緊張していたので、それきり、私は彼と街を歩くのはやめたのだった。ゴミ捨て場に会いに行くことにした。
「どうして塀の上しか歩かないの?」
「だって、楽だし、君みたいに道を歩くと、きっと車に轢かれてしまうんだもの」
私は黙って歩いていた。彼はトンボを見つけ目で追っていた。
「君はいいね。人間は家もあって、暑いと服も脱げるじゃないか」
私は黙っていた。「猫だって毛皮を脱げばいいじゃない。きっと難しいことじゃないよ」
彼は黙って塀の上をすたすたと歩いていた。しっぽをあげて、とても誇らしげに。夏が近づいた太陽の日差しは暑く、私の目を射抜いていた。
「猫、って言わないで」
彼は、気を悪くしたようだった。
「ごめんね」
それきり、私と彼は町を歩くのをやめた。私たちの違いを強く感じる街の景色は、お互いによくなかった。私は猫になりたくて、彼は人間になりたかった。でも、お互いの夢が見事にかなってしまったら、また一緒になれないんだろうと彼はつぶやいていた。
のどが渇いて私は近くの喫茶店に入りたいと言ったけれど、彼は首をふった。彼にぴったりの店は見つからなかったので、私は自動販売機でポカリスエットを買って、ベンチに座った。この街で、人間らしいものは何一つ私たちを癒してはくれなかった。酷い差別が私にしかサービスをしてくれない。代わりにしかし、機械が私たちを迎えてくれた。自動販売機はお金こそ入れれば動いたのだ。タクシーも乗れず、映画館にもいけない。外に開けた公園の中で、私たちは暑い日差しの中、2人でベンチに腰掛けていた。公園の砂場で、子供が遊んでいた。
そういえば今日は大学の講義の日だった。私はポカリスエットの缶をおでこに当てながら暑さをしのいだ。すべての光景がなぜか幻想的だった中、缶の味だけが濃かった。
公園で遊んでいる子供も、いつか老人になり、灰となる。この公園やベンチだって30年後には酸性雨のせいで、目もあてられないほどにぼろぼろになっているはずだ。そんなことをなぜか頭の中で誰かが言った。私は彼の頭をなでた。そんな猫と人間みたいなことするなよ、と彼はつぶやいたけどそうせずにはいられなかったのだ。「いいじゃん、撫でさせて」彼の毛並みを私はやわらかい気持ちでうっとりと撫でた。そのとき日差しはやさしく私たちを照らしているようだった。

りゅうのこどもには、今日の出来事を何も話さずに、水だけを与えて寝る。大体、りゅうがなにを食べるのかはよく分からないのだ。ある人によると、熱を食べるという。ある人によると、人の素敵な思い出を糧にしているという。ある人は、そんなもの危ないから山に手放してほしい、と私に頼み込んだ。私は誰の話も聞く気にはなれず、ただ布団をかぶって寝た。鳥かごの中で、りゅうのことどもは丸くなり、眠り続けているようだった。あの吠え声を聞きたかったが、今日は元気がなさそうだった。

ゴミ捨て場に行くとやはり彼がいた。「こんな生活してたら、いつまでたっても人間になんかなれないじゃない?」彼曰く、人間が残したもの、触れたものを食べることでエネルギーを得て、人間に近づいて行くんだという。「そんなバカなことあるわけないじゃん。生まれたときから猫なんだから」そう言って自分も悲しくなった。私は人間だから猫よりずっと頭がいい。猫になんかなれないことは分かっている。最近、性転換手術が流行っている。女は男になれるけど、猫にはなれないのだ。そもそも、私はどうして猫になりたいのだろうか?

彼は、「今日はいいところに連れてってあげる」と、やわらかい体を翻して走っていった。「何?」私もあわてて息を切らして追いかける。
「捕まえてほしいんだ!」彼は言った。私は息を呑む。私が飼っているりゅうのこどもと似た生き物が、たくさん捨てられていた。段ボールに入って。たぶん10ぴきはいたとおもう。「こんなに飼えるわけないじゃん!うちにもういるのに!」私は、走ってゴミ捨て場に戻った。ゴミ捨て場には、かわいいチューリップの形をしたランプが、まだ使えそうなのに捨ててあった。私はそれを拾うと、家に持って帰った。

もしかしたら、水以外にも色々とあげないといけないのかもしれない。鳥かごの中のりゅうのこどもは灰色になってしまっていた。私は少し焦っていた。飼える!と言い張ったからには、買いこなさなければいけない。私は、「何が欲しいの?」と聞いてみた。しかしやはりりゅうのこどもとは話ができないようだ。とりかごから出して、手に乗せる。すると同時に起き上がった。竜の形がみるみると変わっていった。細長い体におまけのようについていた足が伸び、馬のような形になった。それは、麒麟と呼ばれるような生き物にそっくりに見えたけれど、私は息を呑んだ。

つづく

りゅうのこどもは
ただのみにくいあいのおまけで
それでしかない

ただ 見た目には 大きくふるえ、うなる