キム・ギドク監督の新作「3-Iron」
もう1つの名を「空き家」。
また観てしまった。あの映画カフェ素敵すぎる!ちゃんと押さえてるんだもの。

すごい。
悲しい。
ぽっかり穴が空いてさまよってるみたい。
空中を。

彼の映画は肉体から心を自由に解き放ってくれる。
どれだけ心は 
眼に見えるものと違うのか。
触れるものと違うのか。
そしてそれが
どれだけリアルなのか。
そして常識が
どれだけリアルじゃないのか。
物理的な現実が
精神的な意味での現実にはなり得ないのか。

「3-Iron」の意味は「3番アイアン」、ゴルフクラブの名前。
ゴルフボールを使った暴力はなんて
他の暴力と違うのだろう。

ボールは部屋のどこかから飛んでくる。
でもあなたはどこから飛んでくるのかは分からない。
ただ、飛んでくる。しかし確実に命中し、あなたを苦しめる。
手を使った暴力・・・映画の中でも出てくる、棒を使った
直接の暴力となんてこれは違うのだろう。

何処かから
でも自分の存在は他人に認めてもらえない
でも本当に存在しているの
主人公が打つゴルフボールは何人もの人間を命中させた。

主人公は 消えてしまう
ただ 女だけが存在を感じる。
心の繋がっている人間だけが
存在を 完璧に理解している。

そして
男は家のない男。
留守になってる人の家を転々とし生活をしている。

「他人の家でも、その人が居ればそこはその人の空間なんです」

この映画の中に使われているメタファーはあまりにも悲しく
空虚で・・・言葉が当てはまらない。
男と女は一言も会話をしないでコミュニケーションを完璧にとって
言葉を交わす人間同士はうまくかかわりあえないだなんて
言葉ってなんて 無意味なのだろう 
仕草ってなんて 語っているのだろう。

男が主人公だなんて言い辛いな。
女かもしれないし、夫かもしれない。

心ってなんて
眼に見えるものと違うのだろう。