なんか最近投稿してないせいで、無理やりトピック繋げてます。

地震、またあったのですね。日本で。
被害に遭った方々の無事と、早くの復帰活動を祈っています。

ローリングサンダーっていうネイティブの文化を白人はじめ私たちに広めてくれたメディシンマンの方の言葉には、
自然は自浄作用がある。っていうものがあった。
身体が熱を出して病気を治すように、災害が引き続いているのは自然が自分自身を治そうとしているところっていうこと。
ヴィジョンクエストで木が私に教えてくれた、
「自然は人間に対して怒ってない、でも人間も自然も一部だから
自然を破壊するということは人間自身を破壊するということ」
という言葉を思い出した。

専攻を、Interdisciplinary Studiesっていう
3つの副専攻を組み合わせるってのに決めて、
Public Health(保健・公衆衛生)
Arts/Journalism/Communication
(写真とか。フォトジャーナリズム?)
Anthropology(人類学。Medical Anthropology?)
っていう3つの範囲を学ぶことに決めたんだけど、
やっぱりアメリカの大学は科学に頼ってるところが多くて
けっこうつらいと感じてるかも。
Public Health面白いんだろうけど生きていけるかな。

科学って、今の地震とかもそうだと思うんだけど、説明できないものが多すぎる。
実在している、目に見えるものを測っているっていうやり方なんだよね。
そのおかげで私も目が悪すぎるのにめがねとかで生きていけるし、
飛行機でアメリカにも来れたし、インターネットもできるし、
すごいパワーを持ってると思うんだけど、
でも、もっと哲学的に、東洋医学みたく考えてゆきたい。

だって、バランス
ってことを考えると、この世界は崩れてる。
物質の力っていうのは、三次元の世界ではすごい力だけれど、
他の世界ではどうなんだろう。
太極拳のマスターが
「最近は頭でっかちな人間、気が頭にしか行ってない人間が多い」
って言ってた。

五感を使って生きていきたいのに、
すべてを同時に同じように使うことができたことがない気がする
この生き方。
ずっと、素敵なものに浸っていたいのに。

ネイティブアメリカンの言葉には「芸術」っていう言葉がない。
芸術は生活の一部で、当たり前すぎるから。
そして、陶器を作る土は神聖なもの。大地から切り離せない。
とてもスピリチュアルなもの。

頭でっかちに、目に見えるものを測定していく生き方は
何を見えなくしているのだろう。