昔ネイティブアメリカンのウィチョル族のひとたちと会ったとき
(ちなみに彼らはインド人よりもモダンな生活スタイルを送ってた)
「この前ナショナルジオグラフィックチャンネルみててみんなで爆笑してたのよ~
西洋人は科学でやっとこさ
”精子と卵子の受精が、ビックバンと似てる”ってこと
ようやく発見したらしくてそれを自慢げに発表してたのよね。
やっと今さら見つけたんか!って笑ってたよ」
当時のわたしもそれを聞いてめっちゃ笑った。
もし、この話を、ここのシッダの先生たちにしたとしたら、
「・・・?」と首をかしげて、理解されないだろう。
「ビックバンの展開はどうこうで精子と卵子の受精は○○で・・・」
と、習った西洋の知識を集めて考えてそれでも理解できない気がする。
ピンとこない気がする。
こんな、当たり前みたいにウィチョル族の人たちが笑ってたことが
彼らにはできない。
インドの医学は宇宙と繋がる医学のはずなのに、
ここの現地のインドのシッダドクターたちは完全に西洋科学にまみれて
すなおな生き物のこころ、を忘れてしまっていると思う。
わたしにとっては、これが何よりも大切で、医学知識はそれを支えるものであり、
たぶんだけどシッダーたちもそう言ってくれると思うんだけど…
一部のネイティブの人たちが生活スタイルが変わっても忘れていないそのこころを
生活はまだ昔のままなのにもう忘れ始めている、ここの人たち
こころが、形から切り離されて
形だけが残って行く時代に
この土地は生きている 気がする
そして私だけはそのこころを持ち続けていたいと思うのでしたが・・・。
シッダの先生たちのことはひとまず置いておくとしても、
コンテクストが分からないから何とも言えないけど、そこで笑うのはアンフェアじゃないかなあ、と思いました。
自然科学の方は専門外だけど、西洋科学は基本的に、直感をいかに直感で終わらせず、論破されないところまで磐石に「証明」する、という所にポイントがあると思うので、「発見」は「証明できた」ということだから、そもそも着想を得て研究を始めた人は、何かしらの直感に基づいた確信を持ってやってたんじゃないか……と、推測ですが、思うんです。
「今更…」感には溢れていても、そういうマニアックな興味と使命感を持った人がいないと、今の世界で、世間的な認知度や進歩は得られない部分もあるから、笑うのはちょっと申し訳ないかなー、と思えてしまったのでした。まあ、ネイティブアメリカンの方たちには、ある意味でその権利があるのかもしれませんが。
とまあ、自分もどちらかといえば研究者体質なので(ただ粘着質が足りないらしく、磐石にするまで論を組み立てるのが面倒になってしまうんですが……)、一言言ってみたくなったのですが。
めっちゃ本筋から外れたところの話ですみません。