今日、
こちらでは有名なビリヤーニ店
(※お祝いごとのときに食べる炊き込みご飯屋
 日本では寿司屋さんにあたると思う)の前で、
 にこやかに物乞いをしている人がいた。

こっちでは、あんまり物乞いって見かけないため、
 見かけると必ず私は何かあげるようにしている。

1-2ルピーを渡すと、
 彼女はそのルピーを両手で受け取り、
胸に当てて、
 「ナマスカラム」とでもいうように
 私の方をみてにっこりとした。

その姿をみて、
 はっと気がついた私は、
 急いでパンを買って彼女にあげた。

 そのパンも、
 彼女は両手で受け取り、
 同じように胸にあて、
 にこやかに感謝を伝えるその姿は
まるで聖母そのもの★



 彼女のこの姿は、
物乞いの本来の意義を私に思い起こさせてくれた。


 この国の文化では、
 というか、どの国でも霊的な意味で、
 物乞いの存在には重要な意味がある。


 それは、 物乞いでないわたしたちが彼らに食べ物をあげることで、
 そして彼らがそれを食べることで、
 わたしたちのカルマを解消することだ。


 つまり、物乞いの人たちは実際は、
 存在しているだけでわたしたちのためになっている!!
 彼らが食べるもの、着るものを与えることで
私たちは人生の運を改善し、
過去のカルマを解消している…。


つまり、彼らはまるで生き仏様。
彼らにあげる食べ物は、仏様へのお供えもの。

現実に、寺にささげる食べ物と同等かそれ以上の意味を持っている、
物乞いへの食事。



というか、
 彼らは、 食べているだけ、
服を着ているだけなのに
 それだけで私たちにとっておおいに助けになっている!!!
我々医者は、わざわざ薬使って、すさまじい知識使って人を助けてるけど
彼らは生きてるだけで役立っている!!!!!
しかも日々体張って我々の役に立っている!!!!!
まさに、現代に生きる仏様であります!!



物乞い恐るべし!!!!!!!!!




 与えることで、恵まれる…!
その法則を再び思い起こさせてくれた
 本物のの物乞いの彼女に感謝。
(にこやかなほうが、もらえるのかもしれんけど
 そういう物乞いはめったにいない気がする)




バクシーシとか喜捨っすかソレ、って言われても、 うんそうだと思う、なんだけど
イスラムに限らず、この考え方は南インドの昔からのものです。




 ※でもここで大切なことは、
お金ではなく、ものをあげること。
(私食べ物手元になくて最初1ルピーあげちゃったけど)

”食べ物”が 一番カルマの解消に素晴らしいとされています。





というわけで、みんなも、貧しい人たちを「憐れだ」とか思わないで。
彼らは、みんな、生きた仏様なのです。
だから、彼らを守ることで、私たちの世界はもっと豊かになるのです◎


「弱い者を強い者が守る」なんてことは見た目だけの話で、
「弱い者を守ることで実は私たちが守られている!」
のが、見えない世界での真実。


あなたがもし貧しい人に寄付したり、
物乞いに何かあげるのなら、
それは、「憐れみから」あげるのではなく、
仏様にお供えするような気持ちであげてみてください。

「貧しい人を助けている」というような、上からの気持ちではなく、
彼らを、私たちのカルマを解消してくれる素晴らしい仏様だと思って接してみてください。




きっと、人生が変わります★
そして、きっと、世界も変わる★




貧しい人たちに分けることで、私たちは人生を良くしているのです!!
この法則を知れば、きっと先進国の問題も減る。
私はそう確信しています。