神様には
なにか考えがあって
わたしを
ここに居させて
こういう体験をさせているのだろう

神様には
考えがあったから
わたしは
10代でエリート校を辞めて、世界を旅したのだろう

神様には
考えがあるから
だから私は
たまに奇跡的に知り合った人や、みたものたちから
間接的にアイディアを得て
それを蓄積しているんだろう

だけど
きっとそれには時間がかかる

だからわたしも
ゆっくり待とう

そして
神様には考えがあって
わたしは
今までの人生の経験すべてを体験しているのだと
信じてゆっくり待とう

ときがくるまで


フランクルは、日々の「態度」によっても人は人生に価値を見出せると言った
毎日の日々を
もし、無駄にだらだらしている日があったとしても、それは休息に必要だったということとして認めて
そしてインドの田舎で孤独に一人で誰も理解してくれる人も料理してくれる人も掃除してくれる人もいないし
友達もいないし支えてくれる人もおらず、全然文化と生きるペースが違う中やっていくのは
6年経ってる今でも厳しいのだから、仕方ないってことをちゃんと受け止めて

わたしの「今」を受け止めて
神様の考えを信じて
毎日の日々にきちんと向き合って
ゆっくり待とう

ときがくるまで