ご参考までに。

大学院進学は大学在学中から頭にありました。
なぜかというと自分はこの医学において全くの無知で未熟だ!ということを
6年の学びを通して痛感したからです。このレベルではなんのサービスも提供できない・・・スキルアップしないと。

なので最初は一応インドも考えていました。ですがインドに長らくいたせい&実際にインドの大学院を見学したせいで、これ以上の苦行は嫌だし、もっと自分の人生を楽しみたいし、
先進国で最先端の技術を学んだ方が、よりシッダ医学を活かせるのではと考えが変わり
先進国の大学院を探し始めました。


2015年5月:
・悩む。
・とにかく試験を受けたくないため、試験が楽そうなところを探す(オーストラリアなど)
・しかし突然5月の後半ぐらいに、ハーバードはTOEFL必要なしだがGREは必要だということをどこかで知り 、突如ハーバードを起点にとりあえずアメリカでいいや!と決める(何でなのかは謎だし、ハーバードにそんな理由で出願したいと思ったわたしって・・・ナメてますね)
・とりあえず「今この時」は、大学の行き先の国を絞る程度で良さそう!

2015年6月:
・GREの勉強開始。
・どこの大学に行くのかも、どの専攻分野をやるかもわからないのに、ひたすらGRE。とりあえず今はこれをやっとけ! 

2015年7月:
・ひたすらGRE
・とにかく持てる時間の全てをGREに注ぎ込みました。
・この頃、お気に入りGREサイトから、MBA専門だけど大学院出願も手伝うよというアドバイザーに相談。
「うーん 君がやりたいことって新しすぎて(其の頃は伝統医学を使った再生医療をやろうと思ってました。しかし再生医療は調べると 外科の領域っぽくて全然 シッダのやり方と違うんで諦めました)
そんな専攻分野アメリカに存在してないと思うんだよね
それに、ラボで5年間過ごしたいと思う?(其の頃はPhDを考えていました)
君は臨床だったり、人と関わることが好きなんじゃないの?
そしたら公衆衛生の方が合うんじゃない?やっぱり、自分の好きな事やらないと」

と言われ、衝撃。

インドで自分の想いや楽しみを押し殺して生きて来たわたしには
「楽しむ」とか「好き」とかいう判断基準が一切抜けていました。そんな風に考えられない!!!
彼とのカウンセリングのおかげで軌道が少しだけ修正されました。

しかしわたしはそこで未だなんとなく(アルツハイマー→神経学)を捨てきれずにいました。


・アメリカのアドバイザーにお金を払って、彼がメール作りに協力し、
教授にあたってみたりするという契約を結ぶ
※このことは直接の助けになったのかわからないが、一人でも自分をサポートしてくれる人がこの世界にいる、というそういう心持ちになるために支えが必要でした。
支えがないとね・・・

・アメリカの大学で、統合医療や代替医療にとりあえずお金を使っている大学を探す:
そうするとアイビーリーグぐらいしかないことに気づく

やはりとりあえずやっとけGREの結論。


2015年8月:
・GREギリギリで初受験。超最悪。
・日本のアドバイザーに 「ええ まだ専攻分野決めてないの!?やばすぎ」と言われる。
うーん、
でも神経学でめぼしい教授おらんし・・・

・と思ってた矢先に、以前メールして唯一返信をくれて、他の教授を紹介までしてくれた
素晴らしく丁寧で人柄の良い、イエール大学のカッツ博士にもう一度打診すると
電話で話を聞いてくれるという!!! 


この素晴らしい機会を心の支えに、
カッツ博士の活動を(アポが決まった後)見てみると、めちゃ面白い!
「臨床をしていて、死ぬような病気になったほとんどの患者さんは、こんなことになる前に予防できた。 だからわたしは予防医学をやっている。」

・・そうか、予防医学!統合医療を使った予防医学か!となんとなく芽生える。 

カッツ博士が素晴らしすぎるため
&アメリカのアドバイザーに「教授に合わせろ!」とアドバイスを受けていたため


突如神経学を捨て、
カッツ博士も資格を取っていて教えている 公衆衛生に方向転換。

カッツ博士についていく!!!!!!!!!
・・・しかなかったです。 


・しかし念願のカッツ博士との電話は、博士が忙しすぎてキャンセル・・・
でもアメリカにいくんで、会いに行きます博士。

2015年9月:

・GREを中心にしすぎて、名医のいる病院のインターンに力が入らなさすぎるため中断
自宅で勉強 ひたすら勉強

・公衆衛生とは決めたものの、一体公衆衛生で何をやるんだろうか??わからず。

・この頃、カッツ博士がリクエストしてくれたリンクドインなどのSNSから、アリゾナ大学のときの公衆衛生アドバイザーと連絡復興し、
相談に乗ってもらう。
しかし彼も、
「代替医療 & 公衆衛生・・・ううぅーーーーーーむ」

・そんなとき、突然ハーバードから、「DrPH」というプログラムのメールが来る。

ものすごい不純な動機ですが、

「このプログラムのパーソナルステイトメント(志望動機書)は細くて書きやすそう」

という理由から、準備を始めようとしたら、よくみるとDrPHのプログラムがめちゃめちゃ面白そうなことに気づき、これでいいや、という感じで決める(・・・すみません・・・)

・とりあえずパーソナルステイトメントを書き上げないとダメだけどどこから書けばわからんので
エッセイの議題を元に、大学の先生などに話を聞いたり、自分で軽いアウトラインを作ってみる

・それが良いのか悪いのか全然わからんので、エッセイエッジでみてもらいながら、
話をしてもらいながら、パーソナルステイトメントを練り上げ始める(ハーバードのための3つのエッセイのみ)

2015年10月

・GRE & 不純な動機で始めたエッセイ練り上げ。
・ハーバードという目標設定がキツすぎて、他の大学にエネルギーを注ぐ暇全くなし
・引越しもしないとやばい、来月インドから日本だ

2015年11月

・GR E再受験を2回行う
・この頃、とりあえずハーバード、そして、ハーバードはSOPHASという、アメリカの公衆衛生の出願をまとめているサイトからの出願になることを知り、
そのサイトからてきとうに出願できそうな大学を絞った(てきとうすぎ)
・しかしどこも代替医療や統合医療に目を向けていないため、また、TOEFLが必要だったりするため、排除(笑)

・けっきょく、

ハーバード(出願エッセイが書きやすそうだから・プログラム面白そうだから)
イエール(カッツ博士がいるから)

の2校に出願先を絞る(っていうかハーバードのエッセイがキツすぎて他の大学を探すエネルギーとか余裕ない) 

なんでこんなトップ校のみ・・・と思いつつも、、、


・引越し。
インドからスリランカへ。


2015年12月

・スリランカで今まで7年インド滞在の疲れがどっとでて1週間倒れる
・瞑想をする
・瞑想をした後、スリランカにて出願
・日本帰国
※前回日本帰国したときは適応するのに3ヶ月かかったため、
GREの勉強・受験などは絶対にできないと予測し、GRE再受験は諦める

2016年1月
 
・疲れ果てているけれど執念でイエール大への出願エッセイを完成

・そのあと力尽き、もう出願とか他の大学とか考えられず。
・日本とインドのギャップに苦しみまくり

2016年2月

・イエール不合格(どうやら学位が認められなかったそう)

2016年3月

・ハーバード不合格
・同時にブラウン大学からアドミッションまだ空いてますよ通知が!
・今まで一切頭になかったのに、ブラウン大学出願を決める。(というか、他の大学はもうほとんど締め切っているのでこの大学しかないじゃん!!!)

2016年4月
 
・ 引越し(一人暮らし)
・ブラウン大学出願(イエール大学の出願書類を変更して出願。イエール大学への出願はこのためにあったのね!)

2016年5月

・ またGRE勉強かな・・・ 超疲れる・・・ 今度はTOEFLもとって幅を広げて・・・

と思ってる矢先にブラウン大学合格。





結果:

・大学院進学については2011年頃からは頭にあった
・先進国の大学院進学については2013年頃からなんとなく頭にあり、2014年ぐらいに確信。
・2015年の5月ぐらいに突如アメリカに進学先を絞る(学部や大学は全くわからん)
・2015年の6月からGRE勉強開始
・2015年の8月ー9月から、出願エッセイ練り上げ開始

GRE最終スコア:
V:152
Q:162
・・・そんなに良くないですね。でも310でハーバードやスタンフォード受かってる人いましたし。


出願先:

たった3校です。

・ハーバード公衆衛生大学院(DrPH、MPHではない。倍率は17−20倍):不合格
・イエール公衆衛生大学院(MPH):不合格
・ブラウン大学公衆衛生大学院(MPH):合格!!!!!



私の場合、とりあえずやっとけ!的な感じで、
体当たり的な感じで受験したので、そしてTOEFLを受けたくなったという不純な動機から
自然と受験校が減りました(爆)

普通は、落ちて当然の世界なので(だいたい倍率15−20倍ですもんね)

10校ぐらいは受けるのが当たり前の世界だそうです。

とても私には10校も受ける気力やエネルギーがなかったので
エネルギーを費やせるように数が自然と絞られました。

そして、ブラウン大学は、
本当に、全く、頭になかったです・・・
だって、SOPHASのメンバーでもないし、見つかりようがなかった大学?でもありました。

しかし結果オーライ。


アドバイス:

早めに準備しましょう。