なんかめっちゃご無沙汰です。おかげでライブドアブログのパスワード忘れるほど・・・w

えーっと、近況報告と自分用メモ!

もう〜めちゃくちゃ大変でした春セメスター。でも無事終わったし、2016年の初セメスターより断然慣れてきてて良かったです。

なんと、前セメスターでは、教授に「授業取り直したほうがいい」
とまで言われたほどできなさすぎた医療統計学、
普通に食らい付いて頑張っていたら、

今セメスターでは、

期末100点、中間98点、プロジェクト97点!

とかいう超優等生レベルまで昇格できました😭

頑張ればなんでも出来るもんなんです!!!!!!と痛感しています。
マジで去年文字通り瀕死状態だった自分に教えてあげたい。。。出来るから大丈夫って。

あと、もう一つ過去の自分に教えてあげたいことが。

修士論文の指導教授は、私の理想の、糖尿病&アルツハイマーの研究をしている
アルツハイマー研究歴17年以上の、元ジョンホプキンス大&ハーバード准教授、元ブラウン医学部教授の先生になっていますということを教えてあげたい!!!!!!!!!!!

4月18日までに修士論文の原案を書かないといけないというので、
いろんなアイディアをひねりだしていっぱい考えて教授に話に行ってとか繰り返しまくってたのに
全部空振り
におわり、ものすごいストレス(映画を観に行っても映画に一切集中できず、修士論文をどうしようかと考えまくっていたり、3kg太ったほどのストレス💢)だったんですけど・・・

マジで無理・・・って感じだったんですけど・・・

というのも、無理やりに私は自分の特色を活かそうとしていたんですね。つまりシッダ医学。
そのシッダ医学の知識を使って、
サプリの問題とか、水銀の使い方とかなんかそういうのを考えてたんです。

でも、当たり前ですけど、どの教授も誰もシッダ知らないから(ってか世界の誰も知らないし)
私のアイディアを論文まで導ける教授なんていないわけです・・・・


でもそこを私は譲ったら個性が一切なくなるではないかと言う譲れない大事な部分であり・・・

散々苦しんだ末に、一回シッダを放棄して、まっさらになって、せっかくブラウンまで来たんだし、純度100%の公衆衛生をやろうかと思い、

初心に帰り、アルツハイマーで教授を検索したら、アルツハイマーと糖尿病の研究している教授発見!
とりあえず会いに行ったら、なぜかその教授は、
インド医学の知識が必要な糖尿病の研究のプロジェクトを始めたところだった。


アルツハイマー、糖尿、シッダを全部諦めようとしていたのに最終的には全部一度にやれるという謎の理想のプロジェクトを最終的には発掘したという・・・・・


ありえない展開でした。


シッダーありがとう
💖 やっぱり私はシッダを学んだ上でブラウンにいるべきだったんですね。

押してダメなら、引いてみろ、とはよく言ったもんだと思いました。


それからもう1つインドにいた頃の自分に言ってあげたいことが!!!!!!!!!!

イエール大学の教授のカッツ博士というアメリカの予防医学の開拓者に、インドにいた頃から憧れていた、というか、カッツ博士に会いたいから公衆衛生に進むことにしたしアイビーリーグに行きたかったぐらい憧れていた先生がいるんですが
(というか、アメリカ中探しても、統合医療とか予防医学をまともにやっている教授がこの先生ぐらいしか見つけられなかった)

アメリカでアーユルヴェーダを推進する団体でのインターンが却下となり、途方に暮れつつ、
カッツ博士になんとなくメールしたら、(マジで思いつき)

カッツ博士とインターンができるっぽいんですよね・・・
予防医学と生活習慣を薬として認識しようという団体の活動に参加できそう。

インドではカッツ博士など、イエール大学の予防医学研究センターの設立者に会うなど、
手の届かない夢だと思ってたんですけど・・・
普通に叶いそうなんですけど・・・

アルツハイマー、糖尿、カッツ博士、予防医学、統合医療、
そのどれもが全て、動き始めている・・・

正直戸惑っているんですが、

絶対にやりたいこと、やるべきこと、純粋な気持ちで願うこと

そういうのは絶対叶っていくんですね!!!!!!!!!!!



大事なのは、その道のりは一見失敗に見えることが多いです。


医療統計のプロジェクトは、ポスドクの人たちが賛同してくれて一緒に研究深めていこうよという話になり、他の教授や学生達もみんな面白いねと褒めてくれるぐらい、
シッダからアイディアを作ったけど、みんなに認めてもらえるようなものができた&成績もめっちゃ良く修了できたわけですが、
その道のりは、教授に「授業取り直したら」と言われるほどやばく、シッダからアイディアを借りようとしてすごい悪戦苦闘しまくってなんどもなんども考え直してやり直してって感じで超絶大変できつかったです。その間に作ったアイディアたちは見るも無残な、「何がしたいの?」って感じのアイディアばかり・・・・・・・
・・・それが最終的には粘りまくることにより、教授もポスドクも学生も「おもろい!」そしてこれから役に立つ内容にまで激変発展。

修士論文も前述しているように、空振りしまくりの上に、誰も受け止めてくれる人がいないことから、劣等意識や自信喪失状態にあったぐらいものすごいストレスを一人でくぐり抜けないといけなかったです。

インターンも最初の試みは却下されたし。


人生何が起こるかなんてわからないものですが、わからずとも必死に”何か”に向かって頑張るということで、自然と道が開けてくるんですね。

最終的に見つかった指導教授は私の興味を網羅している上に、演劇や美術などが大好きで、
コンサートや舞台にも連れてってくれました。
全く何も見いだせていない頃は、当然そんなに超すごい出会いがあるなんて思いもよらなかったです。

もうとにかくよくわからなかろうが何だろうが粘る。



修士論文4月18日までに絶望気味だった私はよく自然から「自然の時間の流れは大学の決めた期限と違う。あなたにはあなたの時間の流れがあってそれに沿うこと。あなたには十分な時間が有る」
という風に道を歩いていると木たちから言われていました。


こういうこと、忘れないようにメモ。