旅をする木

生きるという旅をすることは、人と人という繋がりの橋を渡り続けること。 そしてたまに眠りもう会わない人の夢をみて休むの。 ケララ州トリバンドラムの小さな田舎に7年住み、 南インド伝統医学、外国人女性初のシッダドクター(首席卒業) 2016年8月〜 現在ブラウン公衆衛生大学院修士課程在学中。 このブログは10年前から続けてる日記みたいなもので いわば個人記録みたいなものです。わたしが忘れないための。 三聖病院での森田療法体験記、 彼が死んだときに旅をした話 アメリカのときの話 インドの話 シッダの話 ほかにもいろいろと ずっと書いてます。 きてくれて、ありがとう。

名言(本)

量子振動

「ただ独り
荒野をゆく定めの旅人よ

しかしして
そなたの戦いは
そなた独りのものにあらず

....

肉体は滅び
精神は消えるとも
その命の発した量子振動は
永遠に宇宙に残響する 

そなたの戦いは
この者たちの戦いでもあるのだ 」

銃夢lastorder 

アメリカ先住民の言葉

「あなたが大きな船に乗り わたしが 小さなカヌーに乗ろうとも わたしたちは 同じ川の水を分かち合わなければならない」

I"s 最終巻と実存分析





何この漫画~~
超泣いたんですけど、ラスト!!!!
めちゃくちゃいい話じゃん!!!!!!
何このラスト~~!!!


・・・でも私は男より夢を取るだろう派なので、伊織ちゃんがホントにこれでいいのか分かんないけど・・・
でもきっと、伊織ちゃんは芸能界とは違う形で演劇をやっていくとか
そんな風にきっとなるんだろうね★★


・・・ちなみに私としては、この漫画の中のカワイイ女の子の中では泉ちゃんがタイプです。



で、こんなこと書いたって仕方ないのでこのあらすじと、
ピュリッツアー賞受賞者の歴史に残る精神科医の実存分析についてちょっと考えてみます。


前にも書いたけど、
実存分析の目的は
「使命・責任を本人に気付かせる」
ということに尽きるようです!(ちょっと自信ないのはまだ勉強中だからです!)


そしてこの漫画「I”s」は、まさに、ラストでその真骨頂を描いている気がします。
私がこのラストに号泣したのは、ただ単に泣けたわけじゃなくって
何かこの話の中に真実が含まれてるからなんだろうなと分析した結果、
フランクルが言ってることを物語で表現してくれているっぽいことを発見したのです!!





この漫画の最後のほうで、
高根の花と思っていた伊織ちゃんと両想いになったものの、
芸能界デビューをし、商業舞台に出はじめ、
しかも雑誌やテレビにも出始める伊織ちゃんに
イチタカくんは、自分との距離だけでなく




「着々と夢を実現していく伊織ちゃん」と、
「何の目的も夢もない自分」




を比べてしまい、自分が本当に彼女にふさわしいのか、
せっかく、やっと、3年越しの恋が実ったのに・・・悩みます。(なんつー、人生のドラマが凝縮された漫画だー)
(他にも色々悩むことはあったのだけど、これにフォーカスしてみます)


思えば大学受験も、伊織ちゃんと同じ大学に行くためで、他に理由はなかったし、
「自分の夢」を見つけてみようと一人暮らしをしようとしたりしても見つからないし
着実に夢に向かって突き進んでいる伊織ちゃんと、どんどん距離が離れていく気がして落ち込みます。
しかも伊織ちゃんはどんどん雑誌やCMやらに出て有名になっていくし・・・
さらなる距離感と、自己嫌悪感に彼は悩まされます。



突然ですが、

フランクルの「実存分析入門」に何度も出てくる言葉にゲーテの言葉があるのですが
ゲーテは


「我々が人間を彼らがあるがままに受け取るならば
それはよい扱い方ではない。

我々が彼らを、彼らがそうあるべきであったかのように取り扱うならば、
われわれは彼らをその行くべき方向へと導くのである」



と言っています。


・・・漫画「I”s」では遠回しに、ゲーテの言っている言葉を超意訳してくれてます。


「人間を彼らがあるがままに受け取るならば、それはよい扱い方ではない」
→「夢がなくてプータローでダメなイチタカ」


・・・漫画「I”s」では、「夢があったって、私の元彼氏みたいな人だっているわけだし、そのままの瀬戸さんでいいと思います」という手紙をくれる子がいたり
「うちらだって何の目的もなく大学行ってるんだよ。寺谷なんて完全に合コン目的だし」
「プーだろうがなんだろうが肩書きなんて関係なくてお前はお前だろ!」
と大学合格組の同級生は言ったりします(なんていい人間に囲まれてるんだ彼は)

イチタカの本当の姿って、そんなんじゃないんだよ★ってこの漫画では繰り返し色んな形で導いてくれます



そして、ゲーテの次の言葉。

「彼らがそうあるべきであったかのように取り扱うならば、
われわれは彼らをその行くべき方向へと導くのである」



→「伊織ちゃんを大好きなイチタカ!!!!」
伊織ちゃんを守るために護身術を教えてもらおうとするイチタカに快く教える越苗くんや
伊織ちゃんを犯行声明犯から守ろうと張り込みをするときのイチタカが「輝いてるな」と嬉しそうな親友、寺谷。

また、プロダクションから圧力をかけられ、伊織ちゃんに別れを告げたイチタカに
「そんなんじゃ私たちが納得できないって!」と同級生や、親友、(私の大好きな)泉ちゃん★たちが
伊織ちゃんのラジオ収録の日に彼の家にまで駆けつけて、みんなは彼の在り方を応援します!!




そして、「彼らがそうあるべきであったかのように取り扱うならば、われわれは彼らはその行くべき方向へと導くのである」
というゲーテの言葉と、「実存分析とは、使命・責任をその人に気付かせることなのである
というこの二つのポイントの真骨頂が最終話に描かれています。



うーん、色々あって、主人公イチタカはこん睡状態の夢で、「自分の在るべき姿」を見ます。
自分には「何もない」と思っていたけれど、
「伊織ちゃんをずっと一生守る」という、確信できる自分の姿に気づくのです。

・・・これぞ、「使命・責任をその人に気付かせること」そのもの。


さらに「彼らがそうあるべきであったかのように取り扱うならば、われわれはその行くべき方向へと導」いてくれた
幼馴染で理解者のいつきからのビデオレター。

いつきが、「いっチャンと同じ”夢”を私も今持ってるんだ!!」という内容。


「夢なんかない」と悩んでたイチタカに彼が持っていた”夢”を教えてくれるいつき。




それは、好きな人に幸せでいてもらいたいと思うこと、
そして一緒に幸せになるということ★

「自分のことじゃなくて人のことも考える夢なんて
なかなかできないよ」


って言ってるいつき、マジで泣かしますぜ!!!




イチタカは「社会が欲している”夢”」が自分にはないし、”プータローである”という肩書き
(さらには、彼女になった伊織ちゃんがどんどん有名になっていくのをみて自分との差への焦り)
に悩んでいたわけだけど、

「イチタカが在るべき姿」というのは
そのまんまの、そうあるべきであったのかのような、「伊織ちゃんが好きで伊織ちゃんを守る」

ってことだったんだよね★


これに気付かせてくれる、しかもそれを、「自分の使命」とか「夢」とか大きく見える人生の目的とつなげてくれる
この漫画は、まさに私に、しつこいけど、


「われわれが人間を彼らがあるがままに取り扱ったならば、それはよい扱い方ではない

われわれが彼らを、彼らがそうあるべきであったかのように取り扱うならば、

われわれは彼らをその行くべき方向へと導くのである」


というこの言葉の真骨頂という快挙を成し遂げている作品だと思います。

しかもそれが、
仕事とか、俳優になるとか、私みたいにインドで医学をやって人類に貢献するぜ!とか、そんなたいそうな夢じゃなくて

「ただの恋」というところに超身近に感じるし、

そして、「うーん、私にはできない」(この漫画のラストでも、「なかなかできないことだよ」といつきは言ってくれる)

みたいな、”プータロー”で”夢もない”イチタカくんの
ありのままの姿のすばらしさ

みたいなのを感じるところに
フランクルの実存分析の真意が描かれている気がしてとっても感動しました★



青春って自分の在り方に悩むということで
それそのものが「自分の責任や使命について問う」ということで
それって、実存分析じゃん!

つまり、実存分析は、私たちが思いきり通り過ぎた青春そのもの★尾崎豊★(笑)
つまり、実存分析って、なんかたいそうな名前がついてるけど
「わたしたちがどうあるか」という、みんなが通り過ぎていく青春、つまり、誰にでもあることなんだあ!!
みんな人生の上ですでに実存分析やってるじゃん!(私もそうだったか)

背伸びしたり、無理したり、かっこつけたりするんじゃなくて
ありのままでいい、その良さがいい、ということを、イチタカくんの恋愛(誘惑もいっぱいあったとこがまたリアル★)を通して語ってくれてるこの漫画は

なんか今読んで格闘し気味のフランクルの実存分析について素晴らしい意見を与えてくれた気がします。



なんか数日めちゃへこんでたけど、生きるって、そうなんだよね・・・
自分がどう在るか見つけていってそれを実現していくことだよね。

その助けにいつか自分もなれればいいな★

漫画を通してでも、医療を通してでも、何を通してでも、それはできることなんだねー


ほんと、いい漫画だった!!





あんま青春映画とか青春ものとか恋愛ものとか触れないけど、他の恋愛漫画とか超薄っぺらく見えるほどにw(でも全然読んだことないから言えないけど)確実にアメリカのドラマやインドの恋愛はただの”偽装”に見えるw

死と愛~実存分析入門~

死と愛――実存分析入門
V.E.フランクル
みすず書房
1983-05-30





ヴィクトール・E・フランクルを知ってる人は少なくないと思う。
「夜と霧」でピュリッツアー賞をとった
歴史に残る精神科医だ★

医師としてもともと患者を人間として診ていただけではなく
なんとナチスの収容所で生き延びて…(凄まじいサバイバル経験を乗り越え…でも何気に収容所の状況、命がかかっているという大きな点以外ではけっこうこの土地の生活に似てるんですけど…w)
それだけでなくその経験から著作を残し、ピュリッツアー賞をとっただけでなく
なんと、それらの経験をもとに、「実存分析」「ロゴテラピー」という新しい精神療法を編み出した
超尊敬すべきところがありすぎまくる医者です。
彼のような素晴らしい医者がこの世に存在するということに私はどれだけこの5年間励まされたか・・・
誰も励ましてくれないし、出る意味のない授業、次の日の予定が分からない苦しみ、孤独の中で
こんな医師がいるのか!と光を与えてくれた方です。素晴らしい人です。

そして、今、彼の実存分析入門の「死と愛」を読んでるのですが、素晴らしすぎて、すでに書評みたいなものを書きたくなって今なんか書いても無駄な気もする記事を書いています。


「彼は単にできるだけ助け、必要な時に苦痛を緩和し、癒せる者は癒し、癒せなければできるだけ看護することを人間の社会からゆだねられているのである」

という医者のスタンスについては、もう感服でこれ以上のスタンスは存在しないと思います。




そしてロゴテラピーとは

「責任性を・・・人間の実存の本質的根拠として・・・人間に意識させることに努める」ということです。


医者として、その人たちが生きる人生の本質的なものを目覚めさせるのは非常に必要なことです!!
フランクル素晴らしすぎます。



この本の最初のほうで、彼は特に


●私たちの生は基本的に制約されている(体、文化、社会、家族的な制約=シッダ哲学でいうと”Patru"という存在に当てはまります)
●それに対してしかし私たち自身の人生は自由であり、制約されている中で”いかに”行動するかが本質的なものである(シッダ哲学では”カルマ”に当てはまります)
→「飼いならされた動物にも本能があるように、制約された人間も自由がある」というようなことを言ってます。

●私たちは”喜び”や”幸せ”のために生きているのではない、
なぜなら”喜び”や”幸せ”は、行動に対してついてくる付属品であり結果であり、それ以上でもそれ以下でもない
だから”快””不快”はそれほど大切ではない
(仏陀の教えっぽいですね。対象に対する気持ちに動かされるなという)
→彼はこの著作の中で「観客が劇を観るときに大切なのはそれが悲劇か喜劇かということではなくその内容である」と上手にたとえています。

→だから快楽のために生きる、衣食住足りてこその人間生活だ、というのは本質からずれている。


と指摘しています。



では私たちは制約され、快・不快にもあまり関係がなく、一体いかような存在なのでしょうか?
そして、この考え方はどのように、人生に絶望して苦しんでいる人に光を見出すことができるのでしょうか?

フランクルはこのように答えています。


●私たちが人生に問うのではなく、私たちは人生に問われている存在である
●人にはそれぞれ使命というものがある
●その使命とは根本的に存在している
●そしてそれは生を肯定する世界観である
●人にはその使命を達成する責任というものがあり、それに目覚め、それに気づきそれにおいて行動することにより、人は人生への遥かに超越した希望を見出すことができる
●それは「責任」であり、実存分析とは「使命」を把握することを教えることである


そして

●大衆の中への逃避は責任からの逃避に等しい
(つまり、「みんながやってるから」「みんながそうしてるから」正しいものはなく
それはただの、自分の使命からの”逃避”にすぎない と言っているのです)

●人を評価したり避難するときに、全体主義のモラル(規律)に
当てはまるかどうかで判断することは本来的に正しいことではない


ということを述べています




10代の頃、大ブレイクしてたキムギドクの「社会的に見たら間違ってると評価されるけど本人的には正しい」という映画にはまりまくり、(善悪は非常にプライベートなシチュエーションとそのときの状況で判断されるべきものであり、社会には”これが正しい”というものは存在していない。というのが彼の映画の基本路線)

自分自身も、不倫とか、浮気とか、不登校とか?
・・・社会的にはダメじゃないのっていうことを体験してみて「でもそれって個人からしたら正しいかもしれないし
社会的な物差しで決して善悪は測れない」と思っている私はめっちゃ共感です。

そして特に、日本の社会の仕組みから抜け出し、さらにその中でもシッダ医学というインドですら知られてないマイナーすぎる医学を選んだ私は、
Drフランクルが指摘する「大衆の責任逃避よりも、自分の生命の責任である運命を選んだ」ということなんだろうなあ、と非常に納得します。


病気になっている間、
特に精神的な病気になっている間は、
そのひと自身の転換期であると私はとらえています。
現にわたしがそうだったことが何度もあるからでもあります。

実存分析は、非常に現実的に、そしてインドの哲学にも共通する精神療法なんだろうなあと今から期待です。
(個人的に”与えられている”「使命」を全うすることを気づかせることにより、人が人生を生きることに希望を与えるというのは、
実際に私が生きてきた現実の中でもそうであるし
(彼の本の中でも”少数の人間は、その「使命」が高次元から”託されている””与えられている”と自覚している人たちがおり、その人たちはその高次元への信仰をもっている”というような内容がありました)

私自身の経験を肯定してくれ、
そしてそれだけでなく、
この経験を実際に治療法として他の誰か絶望している人に
光を見出すことができる方法論を創り上げてくれていたフランクルに大感謝★

でも、ロゴテラピーはきっと診療に将来取り入れていくスタンスになるだろうな。
この考え方は、病に苦しむ人、そして社会から疎外された人たち(たとえば、乞食、障がい者、犯罪者など)にも、社会という束縛に制約されることを超越した、生きる意味を与えることができます。



そしてゆっくりと読みすすめます・・・まだまだこれからです。

私の実体験と、さらにインド哲学、仏陀の教えとも繋がっている・・・
つまり非常に彼の考えは、「生きること」についての真実にかなり近いのではないでしょうか。
私はシッダ哲学と微妙に仏教のベースがある(そして自分自身の経験)
フランクルのいわんとすることは非常にわかりやすく
実践するのには時間がかかるだろうけど、やっていきたいです。


いかに、わたしたちは、制約と束縛から自由であり、惑わされずにいられるのか。
いかに、わたしたちは、絶望している人に希望を与えることができるか。
いかに、わたしたちは、人々に使命という名前の「責任」を気づかせることができるのか。


これは、私が医療を通じて一番行っていきたいことです。

桃色ヘヴン!





完結してる漫画ですw なぜいきなりこの漫画なのかは…
なんかKindleで一巻無料キャンペーンやってて、超ハマった。

面白いです。

とにかく主人公の桃子が素直でまっすぐでいい子で応援したくなる。
こんな子が友達だったらいいなあ~ 
お姉ちゃんだったらいいなあ~ 
と思わせるような魅力があるんです★
もっさくて、全然イケてないところもまた可愛いのです。

あらすじを言うと、
もっさくてイケてない主人公の桃子は、官能小説家だった父の亡き後
父の残した借金・母親の入院費・弟の教育費のため
一家の大黒柱として、父の官能小説家の仕事を継ぐ、
ふだんはおぼこそうな女子高生、しかし裏の顔は官能小説家!

そのことがなぜか、同じ高校に入ってきた、スーパーモデル・超人気アイドルの蘭丸に知られてしまい、
それを隠すことを条件に彼の奴隷となる(弁当作りなど)ということから
二人が少しずつ近い関係になっていく・・・って話で

なんか、ベタ~なあらすじに聞こえるんですが、
近い関係になる過程もすごく自然だし、おもしろいし、桃子ちゃんがほんと素でいい子なので共感できるし
蘭丸のツンデレだけど、何気に桃子のことをちゃんと守ってあげているところとか
キュンってきちゃいます。

こんな素敵な恋(というか絆)してみたいなー★

蘭丸はスーパーモデルの容姿を持ちつつ中身は変態だし性格悪いし、誰とでもやれる、くるものこばまず、超プレイボーイで下ネタばっかりで最低な男・・・・なんですが、
でも、桃子に対してだけは桃子の立場をわかってあげたり、桃子のことをまもってあげてるところは
すっごく男らしいし、
この、なんか、エラそうにしてる生意気なキャラクター(つまり全然飾らない)&超イケメンの容姿がうまくマッチしていて、
漫画の中で桃子も蘭丸もイキイキと輝いてます★ まるで本当にいる人みたい~。


13巻ある中で二人がくっつくのは4巻で、その先は二人の恋愛をベースにした生活になるんですが、

官能小説を書いていることがばれそうになったり(週刊誌に出てしまったり)色んなことが起きます。
でも、そんな桃子を、「官能小説」っていう色眼鏡でみて軽蔑せずに支えてくれるクラスメイトとか、
「あの子はあの年頃で色んなことを我慢しながらやっているの。誇りに思うわ」と言ってくれるお母さんとか。

とにかくなんだか、素直にあったかい話が随所にちりばめられてるんですよね。

色々な波乱(小説家が桃子に恋したり、蘭丸の幼馴染の女の子が蘭丸を忘れないまま戻ってきたり(その子もとってもいい子~!) を乗り越えて

一番つらかった時期、書諸事情で蘭丸が桃子と連絡をとだえさせたとき、
桃子がとった行動に私はマジで泣けました。(11巻~12巻)

つらい、会いたい、もう会えないかもしれない、終わりかもしれない、とられたかもしれない・・・
こういう、ネガティブな心を全部解き放って、
一番ピュアな心で考えた桃子の行動。



「今まで彼がいたから、今のあたしがいる。

そう思ったら、”今のあたし”に、何ができるんだろう・・・・」




そうして彼女は、初めて官能じゃない恋愛小説を書き下ろすんですが。


今まで彼のおかげで、ここまでやってこれた。
そうやって彼が与えてくれたものに感謝して、自分に「今できる」ことを成し遂げる桃子。
彼を失うかもしれないという不安よりも、過去に感謝して今できる行動を選ぶ彼女かっこいいです!



なんかこんな色々かいたらネタバレしちゃうかもしれないですね。
でも、全然ネタバレしてても読んだら面白いと思います。

なんか、いい恋だなあ、絆だなあって励まされるし
けっこう バイアスがあった、官能小説も純粋に文学の一種なんだよなあ、
なんか読んでみよっかなーみたいな気持ちになってますw



なんでも、まっすぐに、すなおに、そのまんまでいる桃子のスタンスでいれば
きっと道は開けていくんだろうなって
それは恋でもなんでも★

そんな風に思える作品です。

恋愛もよし、でもそれ以上に、なんだか桃子ちゃんの姿勢や生き方に励まされる、
恋愛メインかもしれないけどそれ以上に何かきらきらして純粋で大切で守りたいものに出会える作品★


王子様といけてな女の子がくっつくなんて超ベタな話かもしれないけど
読むとすご~~く自然な感じで書かれていて、毎回面白いし
続編として出た13巻も、弟の康太の青春&恋がメインストーリーなんですが、
それも、康太の飾らない心がまっすぐに伝わってくるのですー
だから、こっちも思わず康太を応援してしまうし、共感してしまう・・・
そうだよね、そういう想いってあるよね~みたいな~


なんというか、不純物のない
ピュアな作品なんです★


素直でまっすぐで、ほんとうなんだろうな、って思わされる自然さ。


この漫画家さんの他の漫画も読んでみたいです。
でも今は桃子と蘭丸の大ファンだから、(ってかこの漫画全体のファン)



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