旅をする木

生きるという旅をすることは、人と人という繋がりの橋を渡り続けること。 そしてたまに眠りもう会わない人の夢をみて休むの。 ケララ州トリバンドラムの小さな田舎の医学部に通う、 日本人初南インド伝統医学、シッダ医学の医者の卵の インドまみれの生活の中でのありのままを綴る。 三聖病院での森田療法体験記、 彼が死んだときに旅をした話 ほかにもいろいろと ずっと書いてます。 きてくれて、ありがとう。

名言(本)

カラフル・・・本

カラフル

わたしは、森絵都さんの大ファンです。

素晴らしい作家です。天才だと思います。

 ~ちょっとねたバレるかも。~
読み終えた後、いや読んでる間も、私はさっと家から出て、
周りの人たちを抱きしめて
「ありがとう!ありがとう!君たちがいてくれてありがとう!素晴らしい!人生って素晴らしい!」
って叫んでキスしたくなりそうな衝動にかられました。
いや、そんなことちょっとハズすぎるからしないけど。
でもそうやって恥ずいって思う自分のことも「しゃーねーなー、かわいいなー」って愛せてしまうような!!

そんな作品。

そして、今までなんか酷い事いっちゃった人たちに
「ほんとにゴメンね!!そしてわたしを傷つけてくれた君たちにも感謝だよ!
傷つけられて、傷つけて、それでもわたしたちは人間としてこのちっちゃな世界で
ごちゃごちゃしながら生きてるんだ!
そのわたしの凡庸さを、君たちの凡庸さを、
とげとげででもぽわぽわでふわふわだけどごちゃごちゃなこの世界と君たちを、
とてつもなく愛するよ!」

って言いたくなっちゃうような作品。

 この本を読んでる間は、わたしは完全に主人公の「ぼく」で、「
ぼく」と一緒に学校へ行き、「ぼく」と一緒にお父さんと釣りに行き、
「ぼく」として早乙女くんと共に「一緒の高校行こうな」って約束して、
「ぼく」として家族の前で泣いた・・・

 「ぼく」が「小林真」の人生を借りて生きている間、わたしもまさに小林真の人生を借りて体験していた・・・
こんな感覚は、初めてさ!

彼を取り巻く環境は、家族であり、先生であり、クラスメイトであり、高校受験であり・・・
何の変哲もない、ごく普通なはずの世界なんだけど、
その世界でわたしはまさに「ぼく」と共に体験し、経験し、学び成長した・・・・。

普通に生きている人々が、わたしたちを取り巻くごく当たり前のひとたちみんなが「師」であり、
尊敬されるべき的であり、
かけがえがなく、ひとつでも欠けてはならない「いのち」の一員であるということを、
私たちの生きているこの現実にまで自覚させてくれるような名作。

自分の高校のことを考えてくれる兄貴や父や母が。
自分勝手なあの女の子が。
相談に乗るぞつってくれる先生が。
それをじっと見つめて鋭いところをついてくれるしつこいけどすごいあのクラスの女が。

なんてすげーやつらなんだ!!!!!と思う訳です。

何のことナイ日常の、ありふれた世界なんだけれども、
私たちはまさに生きていて、その魂というのは本当に貴重な存在でどんなときも輝いてるんだ!!
だから私も大丈夫!みんなありがとう!!って本気で思える訳です。

私を傷つけた人たち、私を支えてくれた人たち、私とすれ違った人たち・・・
すべての人をリスペクトしたくなる。

今日だけでも、
私を運んでくれたリキシャーのおっちゃん、
私のために家をつくったこの家族、
私を個人的に毎日時間をとって教えてくれた微生物学の先生あんた凄いよ!!

今日だけでもこんなにたくさんの人に感謝しなければならないほどに
尊い世界に私は生きてるんだなあ、とこの小説を読み終えた後に私は気づきました。

テンポよく、リズミカルに進んでいくこの作品は、
まさにどうということもない、飾らない、「ぼく」・・・エッチなことで頭いっぱいになってるような「ぼく」・・・と共にこの世界を再体験し、
その私たち自身存在やこの世界の存在自体のの素晴らしさを教えてくれるうえに、
人生は生きている限り、いくらでもやり直しがきくし、
嫌なことを誰かにされたとしても、本当は嫌なことをする気じゃなかったのかもしれない、
実は色んな事情があったのかもしれないよなあ、というような想像力まで働かせてくれます。

 この小説は、多くの人の共感を得て友達のように親しまれている「若きウェルテルの悩み」とはまったく違う形であなたの友人に、ガイドになってくれることでしょう。
この世界を明るく照らし、きっと私たちの生きる道を支えてくれることでしょう。

この小説を読み終えるのは、「ぼく」の修業期間が終わるようで不安で
読んでるわたしも自分の持つ「現実世界」に戻っていかなければいけないのがとっても不安で・・・
でもそんなこともこの小説はサポートしてくれます。
大丈夫さ、これからの人生も、あと数十年のホームステイって思えばいいんだよ。
終わったあとは、フリーになって元の場所に戻ってくんだ。そう思えば気が楽だろ?という話に、
読んでるわたしも気が楽に。

 そうだよねーこの人生は、あとたかだが数十年の、ホームステイなんだー!!!
出会うひとたち、自分がであうものたち、全てに感謝だね。

この小説から読み取れるこのごちゃごちゃして狭くてよくわかんない
この現実界における命のすごい力、も、忘れてはなりません。
 ”お父さんが2年間机を窓際に置かれ、誰にも相手にされず苦しいサラリーマン生活を送っていたけれど、
それをした人たちに対して憎しみの感情を持つかもたないか”、という話をしていたときのことです。

もちろん、憎いよ。だけど、そんなことは一瞬で吹っ飛んだよ。

どうやって?いつ・・・?

「お前が生き返った瞬間だよ」

・・・・ 「ぼく」と共に、自分の存在自体が、誰かに恩恵を与えている。
そして、「命」に比べれば、自分のつらい生活も、自分を傷つけた人たちだって、
かわいくすら思えてくるもんなんだね。

うん、私にもいっぱい憎い人たちそりゃいるけど、なんかかわいく思えてきたよ!

いのちってすげーなーそしてわたしたちはまさにいのちなんだよね!

ゲド戦記

・・・読んでいたら何もかも忘れて疲れてるのも忘れて夢中になってしまった。

 主人公が魔法を習っていく様子は、そのまま今のわたしに当てはまる。
 魔法というのは、物の本当の姿を知り、それを使う術を知ることであり、
それはまさに私の目指している真の医術とまったく他ならないものだからだ。

 ・・・わたしにも才能を認めてくれる師がいれば・・・と思うケド。
・・・わたしもゲドのような環境に身を置きたい・・・と思うケド。

ごちゃごちゃ言わずにゲド戦記から。

ゲド戦記 1 影との戦い

「しかし、魔法は、本当の魔法はな、アースシーのハード語か、ハード語のもとになった太古のことばを話すものだけがあやつることができるのじゃ。
太古のことばとは、今も竜の話しておることばでな、この世に陸地をつくったセゴイが語ったことばよ。
古くから伝わるさまざまな歌謡も、呪文も、祈祷のことばも、すべてはこの太古のことばで成っておるんじゃ。それはひっそりと、姿を変えて、今わしらが使うハード語の中にひそんでおる。

ほれ、波間に浮かぶ泡のことをわしらはサキーンというじゃら。
これはな、太古のことばのふたつの単語から成っておるんじゃ。
サクとは羽毛のこと、イ二ーンとは海のことじゃ。海の羽毛、これ、すなわち泡というわけじゃ。
だが、泡のことをサキーンと呼んだところで魔法はかからん。
魔法をかけるには、太古のことばで、その真の名を言わねばならん。それはエッサというがな。ま、ちょっとしたまじない師なら、誰でも、この程度の太古のことばのいくつかは言っておる。
魔法使いとなれば知っておることばも多い。しかし、本当はもっともっとあるんじゃ。
長い年月を経るうちになくなったものもある。ひそかに埋もれてしまったものもある。竜にしか知られてないことばもあれば、大昔、この大地を支配していた精霊にしかわかっていないものもあり、なかには生命あるものにはまったく知られてないものもある。誰も、そのすべてを知ることはできんのじゃ。

このことばには、果てというものがないんでな。理由はこうじゃ。海の名はイ二ーンと、まあ、こうすることにすうわな。だが、わしらが内海と読んでおるものも、ちゃんと太古のことばでそれ独自の名前をもっておるんじゃ。
そこでじゃ、なんであれ、真の名をふたつももつわけにはいかんから、イ二ーンというのは、そうなると、“内海をのぞくすべての海”ということになる。ところが、本当はそういうことにもならんことはわかるわな、海や湾や海峡は数えきれんほどあって、みんな、それぞれ、ちゃんとした名前、を持っておるんじゃからの。
そこでじゃ、もしも、魔法使いの海の司が誰かが魔法をかけて世界中の海に嵐を呼ぼうとしたり、反対に世界中の海をしずめようなどと、おかしなことを考えたら、どうなると思う>?

その海の司はイニーンということばだけではなく、他島海全域の、いや、その外の、いやいやもっとずうっと外の、これ以上名前がないというところまでも手をひろげて、その中の海水のおよぶすべての場所の名を言わねばならんということになるんじゃ。

 となれば、わしらに与えられている、魔法をあやつる力というものにも、おのずと限度があることがわかるじゃろう。

魔法使いの力にかなうものは、自分の身近なもの、つまり、すべてを正確に、あやまたずに、その真の名で言いうるものに限られるんじゃ。それでいいんじゃ。

もしもそうでなくてみい。とうの昔に、邪な心を持った権力者が、頭だけは切れる愚か者が、変えてはならぬもんを変えようともくろんで、宇宙の均衡を崩してしまっていたろうし、そうなれば、均衡を失った海は、わしらが今、なんとか住まいしている島々をきれいさっぱり飲み込んで、今頃は声という声、名という名は、すべて、太古の静けさの中に消されてしまっていたろうからの」


チロの死について 元彼の言葉 全てのひとへ 2

「なんもなくなっちゃった
だーれも、誰もいなくなっちゃった

わたしには
何も残ってないなあ

いくとこもなくかえるところもなく
泣きつく人もなく頼れる人もいない
たった一人の相棒も、去って行ってしまった」



 「お前には
お前自身がいる
それだけだ
誰にも
頼るんじゃない」

チロの死について 元彼の言葉 全てのひとへ

スペル・グラマー間違ってるけどそういう人だから。
彼の心を翻訳した。

でも。
これ以上の言葉を、誰が言えるだろうか。

チロを育ててくれた元彼。
チロの父親。

もう元彼に会うことはないだろうけれど。
こんな善き心の持ち主を、私は棄てたけれど。
それでもこの言葉を彼は私に放つ。


・・・すべての、苦しんでいるひとたちへ。




「アユミ、物事はそのままにある。それについて君が出来ることは何一つない。
過去について君が出来ることも何一つない。

もし、君が変えることができることがあるとすれば、
過去を見つめる目だ。

もちろん、俺も同じく悲しいし、とても不運な出来ごとだけれど、
この出来ごとを悲劇や、悪事、として捉え、
そのままに考えていたら、
それは良くない方向につながるんだよ。

それは、君が、
苦しみの方を選んでいて、
素敵な人生、Well being を選んでいないということになるんだから。


だから、「どうしてこんな悲劇が」などと嘆かないで。
どうしてこんなことが、どうしたら避けられたのか、などと嘆かないで。

出来ごとは、起きたことなのだから。

だからアユミ、自分自身を押しつぶすようなことはするんじゃない。



もし なにか 変えることができるとしたら
過去を見つめるその眼が
いかにあるか なのだって。

絶望

ー絶望

ああ絶望することの出来た人よ
絶望のその果てに立ち上がることの出来た人よ
我身の宿業を我身に背負って立ちあがることの出来た人よ
ああ尊い人よ


ー竹部勝之進
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