旅をする木

生きるという旅をすることは、人と人という繋がりの橋を渡り続けること。 そしてたまに眠りもう会わない人の夢をみて休むの。 ケララ州トリバンドラムの小さな田舎に7年住み、 南インド伝統医学、外国人女性初のシッダドクター(首席卒業) 2016年8月〜 現在ブラウン公衆衛生大学院修士課程在学中。 このブログは10年前から続けてる日記みたいなもので いわば個人記録みたいなものです。わたしが忘れないための。 三聖病院での森田療法体験記、 彼が死んだときに旅をした話 アメリカのときの話 インドの話 シッダの話 ほかにもいろいろと ずっと書いてます。 きてくれて、ありがとう。

キムギドク

キムギドクの世界

もちろん私の映画クラスのファイナルペーパーはキムギドク。
彼以外の映画についてなんて書きたくない!!
まぁ、色々書ける映画はあるけれど。。

「3-Iron」を何度も何度も見返すという作業は、幸せというかなんというか
私を完全に彼の世界に引きずり込んでしまいます。

うっとりとする、言葉にはどうあがいても表すことのできない
美しすぎる素晴らしい世界が広がっているけれど、
その世界を作り出すのに物凄いテクニックを酷使していることに気づきました。
しかも、新しい!!!天才すぎ。

たとえば、カメラの使い方。
主人公の男の肉体が消えてしまうというニュアンスを表現するための編集。
しかしそれはあくまでニュアンスだということを表現するストーリー。
台詞のひとつひとつが、もっと多くの事実を引き出すという手腕。
間接的な暴力を表現するCross-cuttingの語りの度合い。
お茶とお酒というGraphic match, しかしそのお茶のぬくもり。
彼らのアクションが語る温度。
そう、なぜか温度が伝わってくるの、映像から・・・。

彼の映画を観ていると、
すべてが
メタファーなんだという気がします。

すべてが
想いを表現するために使われる
手段なのです
ストーリーも、どのひとつひとつの小道具・セットも、テクニックも。

彼の映画を観るときは、
なるべく先入観を失くして観ましょう。
ストーリーは追わないで、
伝えていること だけを
まるで詩のように。
新しすぎる感性に触れられます。そして、ロジカルでもある。

キムギドクのアウトサイダーな考え、そして表現方法、
違う生き方。
すべてが私の見本です(←変態かも)。

3番アイアン。

キム・ギドク監督の新作「3-Iron」
もう1つの名を「空き家」。
また観てしまった。あの映画カフェ素敵すぎる!ちゃんと押さえてるんだもの。

すごい。
悲しい。
ぽっかり穴が空いてさまよってるみたい。
空中を。

彼の映画は肉体から心を自由に解き放ってくれる。
どれだけ心は 
眼に見えるものと違うのか。
触れるものと違うのか。
そしてそれが
どれだけリアルなのか。
そして常識が
どれだけリアルじゃないのか。
物理的な現実が
精神的な意味での現実にはなり得ないのか。

「3-Iron」の意味は「3番アイアン」、ゴルフクラブの名前。
ゴルフボールを使った暴力はなんて
他の暴力と違うのだろう。

ボールは部屋のどこかから飛んでくる。
でもあなたはどこから飛んでくるのかは分からない。
ただ、飛んでくる。しかし確実に命中し、あなたを苦しめる。
手を使った暴力・・・映画の中でも出てくる、棒を使った
直接の暴力となんてこれは違うのだろう。

何処かから
でも自分の存在は他人に認めてもらえない
でも本当に存在しているの
主人公が打つゴルフボールは何人もの人間を命中させた。

主人公は 消えてしまう
ただ 女だけが存在を感じる。
心の繋がっている人間だけが
存在を 完璧に理解している。

そして
男は家のない男。
留守になってる人の家を転々とし生活をしている。

「他人の家でも、その人が居ればそこはその人の空間なんです」

この映画の中に使われているメタファーはあまりにも悲しく
空虚で・・・言葉が当てはまらない。
男と女は一言も会話をしないでコミュニケーションを完璧にとって
言葉を交わす人間同士はうまくかかわりあえないだなんて
言葉ってなんて 無意味なのだろう 
仕草ってなんて 語っているのだろう。

男が主人公だなんて言い辛いな。
女かもしれないし、夫かもしれない。

心ってなんて
眼に見えるものと違うのだろう。



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