旅をする木

生きるという旅をすることは、人と人という繋がりの橋を渡り続けること。 そしてたまに眠りもう会わない人の夢をみて休むの。 ケララ州トリバンドラムの小さな田舎に7年住み、 南インド伝統医学、外国人女性初のシッダドクター(首席卒業) 2016年8月〜 現在ブラウン公衆衛生大学院修士課程在学中。 このブログは10年前から続けてる日記みたいなもので いわば個人記録みたいなものです。わたしが忘れないための。 三聖病院での森田療法体験記、 彼が死んだときに旅をした話 アメリカのときの話 インドの話 シッダの話 ほかにもいろいろと ずっと書いてます。 きてくれて、ありがとう。

シッダ×わたし哲学

パディ・パス・パーサムとキリスト教~我々的解釈~

シッダ哲学では非常に大切な、なんというか・・・私たちがこの地球上で生きる目的、
生まれてきた理由を説明するセオリーがあり、それは「パディ(主)・パス(私たちの魂)・パーサム(主と魂を別々に隔てるもの)」です。

パディ:主・グレートスピリット・Something Great
パス:私たち・魂・生き物すべて
パーサム:覆い・壁・私たちとパディを分ける存在・そして同時にこの世の全てのものはパーサムからできている

創造主が我々を創ったとき、
もともとパディ(主)とパス(私たちの魂)はひとつだったのですが
パーサム(壁)のせいでバラバラになってしまいました。

完璧な姿というのはパディ(主)とパス(私たちの魂)が一緒になること(※注意:”ひとつ”ではなく、”ふたりでひとつ”なイメージ)
パーサムで創り上げられている世界にいる私たちが一生懸命パディ(主)に近づこうとする・・・
(まるで、精子が卵子に向かっていくような感じ)

それが私たちが生きてる「この世」であり、私たちが産まれた理由だとしています。


一体、何が原因でそんなことになってしまったのか。

このヒントは、もう1つ大切なシッダ哲学の要素、「アーナバン(エゴ)」と
キリスト教のアダムとイブの話からヒントを得ることができます。


本来私たちは完璧な存在で、主と一体だったのですが、
ほんのちょびっとの「疑問」を感じたために、
パーサムに隔てられ、主との壁ができてしまいました。


これは、アダムとイブが楽園で幸せに完璧に過ごしていたのに

ヘビにそそのかされてリンゴを食べてしまったために
自分の存在に疑問を感じてしまい、楽園を追われたのが私たちの起源であるということと
重ねて考えることができます。

この、ヘビって何なのだろう?と思うのですが、

これはシッダ哲学での「アーナバン」にあたるんだろうと考えられます。


アーナバンは、現代語でいうと「エゴ」、すべての諸悪の根源であり
「これは私のもの」というコンセプトを与える存在です。これはこの世にたったひとつであり
すべての人たちがこのアーナバンを共有していることになります。
エゴは世界でたったひとつなんですよ!!!!
※ここで知っておいていただきたいのは、エゴは「自意識」とは全く違います。
自意識はいわゆる「自己の認識」「自分という存在の認識」「自分の魂の存在の認識」
=”我想うがゆえに我あり”
というだけであり、全くもってエゴとは別の存在です。ここらへんは、現代心理学でも指摘されていることだったはずですよね。



ヘビがそそのかした。

アーナバンは諸悪の根源で魂にくっついていて取れない。


どちらでも、「ヘビ」は、アダムとイブとは別の存在であり、
アーナバンは魂とは別の存在と言っている。



私たちの中で聖書のストーリーのヘビとこのアーナバンの存在が重なったとき
聖書のいう「私たちの起源」と
シッダ哲学のいう「私たちの起源」は同じことを指しているのだということが分かりました。




わたしたちはむかしは完璧だったのに
それが「何か」によってぶち壊され
本来いるべきところから、隔離されて生きている
だから
また、完璧な世界に戻るために、ここでそれを求めて旅をしている。

それには、様々な道がある。


Some act
Some sail
Some sing
Some dance

アラーキー写真にみたこの無限

ちなみに、無限の世界を教えてくれた人たち。

写真→荒木経惟

文章→森 絵都
絵→ピカソ
音楽→KODO(鼓童) でもバクホンファン10年。

こうみると日本人ばっかしやんけ。

ネイティブアメリカンたち。
そしてシッダ医学も。
もちろんだけどね。

映画→居すぎて困るんだけど… ベルナルドベルトルッチ なんだかんだいって一番好きかなぁ。








2・28・2013 の日記。

荒木さんの写真集をひさびさにめくった。
ぼーっとめくるだけだったはずなのに、いつのまにかひきこまれて世界はそれだけだった。

はたと気づく。

刹那さ。
切なさ。


わたしがゆとりないのは、大学の世界にしか今いないからだと。
わたしには色んな世界が必要であること。


すべてのものは、瞬く間に、消える。

振り返って笑ったひと
めんどくさそうな顔の猫
乱交パーティしてる人たち
タバコやさんのおじさん

すべてのそんな存在は、もう居ないほどに儚い。
なにもかも、たった一瞬光って、そして消え、忘れ去られてしまう。

その、東京の忘却の中の無限の宇宙を、荒木さんの写真は旅させてくれた。

しょうもない演劇や映画が、これまであまたも繰り返し、擦り切れるほどに、
宇宙の星の数と同じぐらい、上演されて、
そして、簡単に忘れ去られていく。

1日に何百回も変わるだろう渋谷交差点の信号を10年前に渡ったひとたちは、
もうこの世に居ないかもしれない。
誰が何人あの交差点を渡ったかなんて、誰も知らないし、気にもとめない。

流れ続ける川の流れのごとく、人々はそのままその流れを止めずに、現れては消え続けるのだ。
まるで、銀河の星のようにそのドラマの数は無限で、あまりにも多すぎて速すぎるために、それはすぐに忘れられていく。

わたしも、生きようとしていた。
わたしも、何かを残そうと必死こいていたかもしれない。

でも、わたしもその銀河の中のひとつで、
100年経てば、この体なんて簡単に灰になって消えているし
未来の話だからお墓なんてないかもしれない。
そんなことをふっと、思い出させられた。


そんなことを荒木さんの写真から悟りだしたとき、
なぜかそれは、虚しいものではなく、
生きるものの運命としてわたしの脳の奥のほうに語りかけた。


忘却という空には果てはなく
はかなくてもろい人間の流れ星みたいな一瞬すらも飲み込んでいく
生命の流れの偉大さみたいなものを
ぐっと、お腹のおくのほうに感じている。


だからもっと、この流れに合わせて生きたいと思う。
だから別に、何かを達成したとか、有名になったとか、
そんなものはもうほんとうにどうでもよくって
わたしも、この、銀河の星の中でただ、またたくのだ。
それだけがたぶん宇宙から私へのリクアイアメント。


わたしも、いつか、消える。
それを知ったとき、なぜかそれは悲しいものではなく
日常をもっと豊かに、そしてもっと楽にしてくれた。







そんなことをただの写真から教えてくれた荒木さんの天才ぶりに感動しつつも
こういうことを生涯を通じて伝えていかなければいけないんだ、と目覚めるのは真夜中の時間。
荒木さん凄すぎ…。













******
いつか消えること。

シッダ医学では

子供(家族)
財産
世界(社会・自分の生れついた社会)

の3つがこの世界へ執着させるものとしています。

確かに、出家するということは、この3つを棄てるということですね。まさに。
(最近の坊さんは、<社会>という点で本当に出家できているか疑問は多いですが。ってか家族もいるし。財産も!?・・・・)


いつか消えてしまう。いつかわたしたちもこの世から居なくなってどこかへ行く。


つまりはこの世にわたしたちみんな「ホームステイ」しているのだというコト。


完全なものなんてないんですよね。
目に見えるものだけみている分には





もっと気楽に、ホームステイのスタンスで、生きてもいい気がします。



この世界で毎日わたしたちは経験をして、
寝ているときにはわたしたちがうまれてきた本来のすみかであるあの世に戻って、
また次の朝から経験をするために戻ってきているのだから。










紅天女 ガラスの仮面2

紅天女は1000年の紅梅の精
天地をつかさどる 神

紅天女「誰じゃ わたしを呼びさますものは誰じゃ

森のこだまか 夜の静寂か・・・

いや これは血の匂い


2つの渦がぶつかりあうのがみえる

赤い渦と白い渦と天地を荒らす2つの独楽


まわる まわる ぶつかりながら はじけながら あらゆるものを破壊してふくれあがり
ますます回転してゆく2つの独楽


神の気は乱れ 戦の火がうまれゆく
2つの独楽を中心に
憎しみと悲しみが広がってゆく
つぎつぎと命の玉が消えてゆく



・・・・わからぬ・・・

人はなぜ争いあうのか
血を流し 滅ぼしあうのか



天の声が聞こえぬか
地の声が聞こえぬか


天と地を結び
命の玉を育てゆく
神の歌がきこえぬか



・・・なぜ気づかぬ

この世に”魔”を呼び寄せるのは人間のみ

悪しき想いが ”魔” へと通じ 彼らの道をつくってしまうのがなぜわからぬ」

鬼長 「人は目に見えるものしか信じませぬ
耳で聞こえるものしか信じませぬ
身にふれることのできるものしか信じませぬ

肉をまとうた者は
肉の身がわかるものしか信じませぬ」

紅天女「愚かなことよ
その身を動かすものこそ
己が真の姿であることに
気づかぬとは

己が命を育てゆく
天と地の神の心も
気づかぬとは

”樹”は”気”じゃ
大地の神の”気”が育って地上に現れしもの

ここは神の棲まう場所
聖なる地
この梅の木は我が姿

我が力は螺旋となりて
天へ昇り 地のものを 育てゆく
水のものを 育てゆく

根をはるもの
地を這うもの
飛ぶもの
歩くもの
泳ぐもの


育てよ
育てよ
すくすくと
すくすくと

増えよ
満ちよ
幸いあれよ

まこと紅
千年の命の花を咲かそうぞ」

昔のテクノロジー

水車の音だとか
石でつくった矢じりだとか
木でつくった船だとか
風車がまわるところだとか
船のコンパスだとか

葉っぱでつくった家,はまだあるけれど





なんだか、



そういう



昔のテクノロジーを振り返ってみたいとふと思った



シッダのテクノロジーは
「ナノテクロノロジーを彷彿とさせる」と書いた方がいらっしゃいますが、

消費期限のない薬

などは、凄まじいテクノロジーかと。

錬金術が大切なシッダ医学。
それはレベルの低い物質をレベルの高い物質に上げることのことで
人間の「悟り」が錬金術の最高峰とされている。

そのようなテクノロジーを1万2千年前から保持して来たシッダ医学。


昔のテクノロジー。


きっと今に役立つこといっぱいある。

何故、此処に居るのか2

あのとき 不眠症にならなかったら
あのとき あの男と付き合っていなかったら
あのとき あの男が一緒に人類学部の教室にきてなかったら
あのとき あの男があのパンフレットを手にしなかったら
あのとき そのパンフレットの船上大学に応募しなかったら
あのとき そのために派遣で週5、
     ヘルパー週1のハードワークしていなかったら
あのとき あの船の中で良い友達が居たら
あのとき あの船の中で不眠にならなかったら
あのとき パナマで強制送還されていなかったら
あのとき 日本でアーユルヴェーダの治療を受けなかったら
あのとき ハタイ先生がインドに行けって言わなかったら
あのとき ハタイ先生が無理矢理?紹介状書いて
     あの大学病院に私を送り込んでいなかったら
あのとき あの先生が「3週間後に戻ってこい」と言わなかったら
あのとき ヨガの先生に何処が良い旅先か聞かなかったら
あのとき その先生が言った通りに旅をしなかったら
あのとき その先生の紹介したアシュラムに行ってしまっていたら
あのとき そのアシュラムの代わりにホテルに泊まらなかったら
あのとき そのホテルでテレビをつけなかったら
あのとき そのテレビでアーユルヴェーダの特集が行われていなかったら
あのとき それを観てわたしがアーユルヴェーダの病院を探すことを決めなかったら
あのとき 良いアーユルヴェーダ病院を教えてくれた人が
     別の病院を教えていたら
あのとき 泊まったパンチャカルマセンターにあの人たちが居なかったら
あのとき その後、みんながそのセンターを経営しているアシュラムに
     送り込んでくれなかったら
あのとき 「アーユルヴェーダなの?シッダなの?」と聞かれなかったら
あのとき あいつに出会っていなかったら


うーん、
ひとつでも偶然が欠けていれば

確実にわたしは此処に居ない。

その 偶然 こそが

わたしを支えてゆくはず、

自分で決めるのではなく自然が導く道へ沿って
川の流れを泳ぐ魚のように

いきるのだから、

偶然が偶然へと繋がりすべてはひとつの道へとわたしを導く
んだろう、
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