旅をする木

生きるという旅をすることは、人と人という繋がりの橋を渡り続けること。 そしてたまに眠りもう会わない人の夢をみて休むの。 ケララ州トリバンドラムの小さな田舎に7年住み、 南インド伝統医学、外国人女性初のシッダドクター(首席卒業) 2016年8月〜 現在ブラウン公衆衛生大学院修士課程在学中。 このブログは10年前から続けてる日記みたいなもので いわば個人記録みたいなものです。わたしが忘れないための。 三聖病院での森田療法体験記、 彼が死んだときに旅をした話 アメリカのときの話 インドの話 シッダの話 ほかにもいろいろと ずっと書いてます。 きてくれて、ありがとう。

あの世・前世

あの世にいくということ


わたしはちょっぴし霊感があるので、死んだ人と話せたりする。
だから、死んだ後もまだ「生」があるんだ、
死は魂が肉体から抜けるだけなんだって分かってるから
肉体を持って会えないのは寂しいし悲しいけど
死は、ほんとうは、終わりじゃない。


おばあちゃんが、死んだ後に教えてくれた。



あの世に行くには、あの世からピューってお迎えがきてくれるわけじゃなくって、
自力で階段みたいなのをのぼって、
今までこの世で得たスキル(生きる術や問題に立ち向かう術)を使って
自分であの世への道をみつけなきゃいけないんだって。

だから、けっこう大変らしい。

だけど、この世に残ってる人が、お祈りしてあげたり
供養することによって、あの世にいきやすくなるんだって。

だから、お通夜はすっごく大事だからね、っておばあちゃんが
お通夜がはじまるときに教えてくれた。


そしたらお坊さんも、死後48日は魂はこの世とあの世の間を彷徨うので、
なるべくお経をあげたりしてあげてください、と言っていた。


さらに、「日本人のあの世観」という本を読んでいたら、

まさに同じことが書いてあった!!

”さっとあの世に行ける人もいるが、未練などが残っている場合、
あの世になかなか行きづらい魂もあり、
この世の人が供養をすることによりあの世に行けることになる”

と。




すげー おばあちゃんが死んだ後に言ってたことと同じじゃん!


それを伯父にいったら、お経のCDでお経をあげよう、ってしてたんだけど、
なんとなくそのお経は生きてる人のためのものじゃないかな、
このお経の横にあるやっぱり般若心経が合ってそうと思っていたら、
「日本人のあの世観」にもそう書いてあった。

おばあちゃん、般若心経あげてほしいのかもしれない。




供養には般若心経がいいそうです。

短いし、あげる方も楽でいいですし、
この世への執着を経ち切って
あの世に送ってくれるそうです。
私も今からあげます。
※意味はこんな意味ってさっき知りました。なるほど★

インド哲学のベースがある私にとってはものすごく分かりやすい内容です。



てゆーか、般若心経、美しすぎますね。
素晴らしすぎる。


一部抜粋
***
是諸法空想             (この世の中のあらゆる存在や現象には、実体がない、
             という性質があるから、)
ふしょうふめつ
不生不滅               (もともと、生じたということもなく、滅したという
             こともなく、)
ふくふじょう
不垢不浄               (よごれたものでもなく、浄らかなものでもなく、)
ふぞうふげん
不増不減               (増えることもなく、減ることもないのである。)
ぜこくうちゅうむしき
是故空中無色           (したがって、実体がないということの中には、形あ
             るものはなく、)
むじゅそうぎょうしき
無受想行識             (感覚も念想も意志も知識もないし、)
むげんにびぜつしんに
無限耳鼻舌身意         (眼・耳・鼻・舌・身体・心といった感覚器官もない
             し、)
むしきしょうこうみそくほう
無色声香味触法         (形・音・香・味・触覚・心の対象、といったそれぞ
             れの器官に対する対象もないし、)
むげんかいないしむいしきかい
無限界乃至無意識界     (それらを受けとめる、眼識から意識までのあらゆる
             分野もないのである。)


***
死は、終わりじゃなくて、
新しい世界へのはじまりなんです。

だから、悲しいけど、哀しくない。


おばあちゃんは今、
物質界と目に見えない世界の間にいるから
眼に見えない世界への準備のために
このお経をもっと唱えて
私の意識の中にもとどめて
おばあちゃんをおくりださないとって思う。

この世とあの世

アガスティアナーディリーダーのクベランと話してたら
クベランは私よりも先に逝く予定らしい!
わたしにとって彼はソウルメイトなので
クベランが居なくなったら、
私はこの世でやってけるのかすごい不安なんだけど!!



「あ、でも、うちらならたぶん死んだ後も話せるよね」
「うん、話せるよ大丈夫」



という結論になって終わりました。(笑?)




この世とあの世があること。
この世もあの世もさしてかわりはないということ。
この世からいなくなったあとも私たちは存在するということ。
むしろ、この世はわたしたちの仮の宿ということ。


あの世とこの世の境はものすごくあるようで
ほんとうはないということ。


・・・般若心経みたくなっちゃった(笑)

プレゼント

最近は色々あっていろんなことを書き残したいんだけど、
今はひとつこの話をまとめて書こうと思う。


胎内記憶のドキュメンタリー「かみさまとのやくそく」観てきました。
その中で子供が言ってたんだけど、(ほんと10歳ぐらいの子供たち)

「今まで(前世で)大切だった人とかに恩返しできてないから、
そういう人たちにおみやげ、プレゼントみたいなものをあげて、
自分の悔いがなくなってから、やりたいことができる」

って普通にカルマの法則を語ってた(笑)
子供が(笑)




この、「プレゼント」の意味とはちょっと違うけど、
”気持ち”で人に何かしてあげる、ということって、今のビジネス社会では薄れているのかもしれないけど
何もかもを超越して大切なことだって思う。


マザーテレサ的にいえば「心をこめる」ということ。





私がインドから戻ると自然と行くようになった美容室で、
スタイリング剤買おうと思ったら、
「これは餞別です」って、プレゼントしてくれた。
それで一番嬉しいのはもちろん、タダでいいスタイリング剤がもらえたことなんかじゃなくて
その美容師さんと気持ちと、そして、誰かとそうやって気持ちが通じ合えたということ。
仕事とかビジネスを超えた気持ちが、すっごくすっごく嬉しかった★
心がこもっているプレゼントって、そのあとの自分すら変えてくれる。



私が虫歯の激痛で泣きそうになりながらインドのホメオパシーの先生に電話したら
「分かった」と言ってくれて、忙しい中、わざわざ何度もDHLに通ったり色んな手続きを経て
数日以内にホメオパシーの薬を送ってくれた。
料金も前払いじゃなくて。
そのとき、一番私の中で支えになったのは、薬が手に入るということじゃなくて
やっぱりその先生がそこまでやってくれたという行動と気持ち。
それが、本当に支えになった。
私はやっぱりこういうドクターになりたいって思うw



他にも例を出せばたくさんあるけど、


気持ちからのプレゼント。
人に「心から」何かをしてあげることの大切さ。


前世記憶がある子どもたちに言わせれば「悔いをなくす」ということで
マザーテレサに言わせれば「その行動でなく、どれだけ心をこめたかが大事なのです」ということでもある。





だから私は、心をこめて生きたい。
その心がそして、伝わっていくように。
人の心を動かしていけるように。


なぜか難しいけど、でも、心をこめて生きたいと思う。

胎内記憶

昨日友人と話していて、現代日本での少子化問題を解決するにはどうしたら・・・みたいな話になって
そういえば、この前もらってきたUPLINKのチラシに
今「胎内記憶」についてのドキュメンタリー
「かみさまとのやくそく~胎内記憶を語る子どもたち~」が公開中ということを思い出し、
ちょこちょこネットで、胎内記憶を語った子どもの話を読んでいます。




私も、ちょこっとだけ、生まれる前のことを覚えていたりします。
覚えているのか、ふっとしたときよみがえるのか、よく分からないんですが。




私が覚えているのは、

・お父さんが、お父さんが生まれる前に既に、私を育てることを承諾したということ(お、お母さんは・・・?)

・自分には役割があり、その役割を果たすために自ら志願して生まれてきたこと

・その役割は既に前前から決定されていたことで、メインアイディアを考えた人は別の人(?)だけど
私がそれを実行する役柄ということ

・その後、自分は生まれる立場ではなかったのに、
わざわざ自分から志願して、
乗り物?一人用のカプセルみたいなのに乗って、生まれる人たちの中に混じったこと

・そして何かの計画遂行のために実は前座で何回か、有名な人の弟子になったりして学んでいること・・・


こんな感じで、
おかあさんの中にいたこととかは覚えてないと思うんですが。



今、読んでると、似たようなこと言ってる子供いっぱいいるんじゃん!

「カプセルに乗ってきた」
「人の役に立つために生まれてきた」
「おとうさんおかあさんを選んで生まれてきた」
というコメントがたくさんあり、妙に共感します。


私だけじゃなかった★
というのと同時に、
やっぱり
親を選んで
そして生まれることを選んで
生まれてきたんだ、私たちって・・・
と妙に納得。



でも、私は今一体、自分のいのちを最大限に使っているのかなあ・・・?
そして、私はいったい、その「志願した実行内容」を本当に実現しているのかなあ?
ダメダメに生きてる気がすごいします。

そして、
何気に実は
わたしから生まれてくる子供たちにも会ったことがあるので・・・

その子供たちが生まれてこれるように自分を整えないとダメなんだよな・・・
っていっつも思ってるけど、全然ダメダメだな・・・
煩悩にまみれまくってる生活だよな・・・。


反省どころじゃないなあ。

ずっと続いてるはず

・・・アガスティアナーディリーダのクベランは、15歳のときから修行。
「いや、でも10歳のときから古代タミル語読まされてたよ」と言う。

・・・私15歳のとき何してたっけ・・・?

「うーん、クベランは、もう20年もシッダの道にいるんだね。
私はシッダを知ったのが22歳のときだよ。
比べるのは変だけど、私はそれまでずっとふらふらしてて
やっと22歳でこの世界を知ったって、なんか遅くない・・・?」


なんだか変なコンプレックスを感じ始めた私。



「何言ってるんだ、お前は医学で、こっちはまた別の世界だから比べることもないじゃないか

それに、前世で学んだだろ!」




そうだそういえば、私は前世でこの世界にいたんだ。
というか、
私は、この世界から来たんだ。
もともと、この世界の人間なんだ。



私にとってのシッダは、たった5年間の積み重ねだけじゃなくて
その前の生、
またたぶんそのまた前の生・・・
もしかしたらその前の生も。

と、トータルすれば、もう既に100年以上の蓄積がたぶんどこかにあるんだった。


むしろ、クベランより私が先輩になるかもしれないんだっ。



わたしは、ほんとうは、
5年間しかシッダを知らない訳じゃないというのを、
すでに
すこしずつ思いだし始めている気がする




わたしたちは、たった少ししか生きてないと感じているかもしれないけれど
ほんとうは、わたしたちがかんじているよりずっと長く、生きていて
わたしたちは、わたしたちが思っているよりもずっとずっと大きな存在なんだなあ。

そういうわたしを見つけるということがどれだけ大切なことか
そういうわたしを見つけられたわたしはどれだけ幸せか
だからやっぱり、みんなのために生きなきゃいけないね

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