旅をする木

生きるという旅をすることは、人と人という繋がりの橋を渡り続けること。 そしてたまに眠りもう会わない人の夢をみて休むの。 伝統医学を 西洋科学のメゾッドで ひとびとに ケララ州トリバンドラムの小さな田舎に7年住み、 南インド伝統医学、外国人女性初のシッダドクター(首席卒業) ブラウン大学公衆衛生大学院修士、 ワシントン大学疫学博士課程在学中・国際臨床研究センターにてPhylogeneticsによるHIV・コロナウイルス感染予防の研究助手 2019−2020年 WHO・インド伝統医学標準化のための国際会議にてのシッダ医学グループのWHO指定報告者(書記)担当 このブログは15年ぐらい前から続けてる日記みたいなもので いわば個人記録みたいなものです。わたしが忘れないための。 三聖病院での森田療法体験記、 彼が死んだときに旅をした話 アメリカのときの話 インドの話 シッダの話 ブラウンでの話 アメリカやインドの生き方 ほかにもいろいろと ずっと書いてます。 きてくれて、ありがとう。

私が考える医療

決めたこと

今日は「足腰がものすごく痛くてあるけないし耐えられません!」という患者さんがいた。
「アーユルヴェーダ施設(病院?)で一ヶ月、四万ルピー払ってトリートメント受けたけど
何も良くなりませんでした」という。(現地人)

我らが整形外科名医先生は、「なんとなくの湿布治療とかじゃなくて、
確実な診断、治療をしなければ効果あるわけないだろが!」と
誰に向かってるかわからんが激怒。


知り合いの日本人の方もアーユルヴェーダで痛み治療のなんかやっても
特に変化なかったという人がいたなあ。。。

知り合いのシッダドクターはアーユルヴェーダを学んで、
整形外科系の治療に主にアーユルヴェーダのメゾッド使ってるけど、
今の整形外科の先生からしたら「なんちゅう遠回りな治療しとるんだ!!」と言われそう。


コストも時間も比較にならないほどに高い。 。。
この整形外科を知ったら、あれらの治療が営利主義だからやってるんじゃと思われても仕方ないかも。。。




アーユルヴェーダの批判をしているんじゃなくて、

きちんと診断して責任もって治療しない上に、金をぼったくってるドクターたちを批判しているのです。
(ここのチーフドクターも、状態によってはアーユルヴェーダ施術を勧めることたくさんあります)


今日は、三ヶ月前に骨折して、どこかのシッダ病院で施術受けたがまったく骨が繋がっていない患者さんもきた。non unionというやつ。
レントゲンみて驚愕。



アーユルヴェーダの批判じゃ全くないです。
(まあ、シッダには、アーユルヴェーダで治らなかったって患者さんがいっぱい来るし
アーユルヴェーダはシッダと比べてコストも時間もずいぶんかかるくさいなあ、という印象は受けてますが)



もっかい言うけど、しっかりした診断や治療もできないのに金をぼったくってるドクターたちが
ごまんといる!!!!ことが許せないのです。
シッダでもアーユルヴェーダでもホメオパシーでも西洋医学でも!!!!


私は、ちゃんとしたドクターを紹介するシステムを絶対つくって、
コストも時間もリスクも一番低い方法で治療して、
こういうヤブ医者に対抗するシステムを絶対作ってやる!!
私自身がいい医者になるにはあと10年ぐらい修行必要なんで、それまではドクターネットワークシステムを作って、こういう悪い医者から人々を守る仕組みを作りたい!!!


今すでに計画中のインドで治療システムに新たな指標ー
打倒やぶぼったくりドクター
ができたかも。


まじで、苦しんでる人に、四万ルピーも払わせて、一ヶ月も入院させて何の効果もなかったとかいって
そんな害悪ありえません。

でも、ケララや南インドでは医療ツーリズム、観光目的のアーユルヴェーダリゾート施設が
かなり蔓延中なので
こういうぼったくり詐欺医者はいっぱいいます。

この問題は、やはり「観光ついでにトリートメントーリラックスー」とかいう遊びでアーユルヴェーダに来る系の外人が増えているという
社会的、世界的、経済的な理由もあるし、
一概にドクターだけを批判できないのですが、



とりあえずこっちとしては打倒ヤブぼったくり医者、です。





どの世界でも、いい医者ほどトリートメントはシンプルです。






 

死と愛~実存分析入門~

死と愛――実存分析入門
V.E.フランクル
みすず書房
1983-05-30





ヴィクトール・E・フランクルを知ってる人は少なくないと思う。
「夜と霧」でピュリッツアー賞をとった
歴史に残る精神科医だ★

医師としてもともと患者を人間として診ていただけではなく
なんとナチスの収容所で生き延びて…(凄まじいサバイバル経験を乗り越え…でも何気に収容所の状況、命がかかっているという大きな点以外ではけっこうこの土地の生活に似てるんですけど…w)
それだけでなくその経験から著作を残し、ピュリッツアー賞をとっただけでなく
なんと、それらの経験をもとに、「実存分析」「ロゴテラピー」という新しい精神療法を編み出した
超尊敬すべきところがありすぎまくる医者です。
彼のような素晴らしい医者がこの世に存在するということに私はどれだけこの5年間励まされたか・・・
誰も励ましてくれないし、出る意味のない授業、次の日の予定が分からない苦しみ、孤独の中で
こんな医師がいるのか!と光を与えてくれた方です。素晴らしい人です。

そして、今、彼の実存分析入門の「死と愛」を読んでるのですが、素晴らしすぎて、すでに書評みたいなものを書きたくなって今なんか書いても無駄な気もする記事を書いています。


「彼は単にできるだけ助け、必要な時に苦痛を緩和し、癒せる者は癒し、癒せなければできるだけ看護することを人間の社会からゆだねられているのである」

という医者のスタンスについては、もう感服でこれ以上のスタンスは存在しないと思います。




そしてロゴテラピーとは

「責任性を・・・人間の実存の本質的根拠として・・・人間に意識させることに努める」ということです。


医者として、その人たちが生きる人生の本質的なものを目覚めさせるのは非常に必要なことです!!
フランクル素晴らしすぎます。



この本の最初のほうで、彼は特に


●私たちの生は基本的に制約されている(体、文化、社会、家族的な制約=シッダ哲学でいうと”Patru"という存在に当てはまります)
●それに対してしかし私たち自身の人生は自由であり、制約されている中で”いかに”行動するかが本質的なものである(シッダ哲学では”カルマ”に当てはまります)
→「飼いならされた動物にも本能があるように、制約された人間も自由がある」というようなことを言ってます。

●私たちは”喜び”や”幸せ”のために生きているのではない、
なぜなら”喜び”や”幸せ”は、行動に対してついてくる付属品であり結果であり、それ以上でもそれ以下でもない
だから”快””不快”はそれほど大切ではない
(仏陀の教えっぽいですね。対象に対する気持ちに動かされるなという)
→彼はこの著作の中で「観客が劇を観るときに大切なのはそれが悲劇か喜劇かということではなくその内容である」と上手にたとえています。

→だから快楽のために生きる、衣食住足りてこその人間生活だ、というのは本質からずれている。


と指摘しています。



では私たちは制約され、快・不快にもあまり関係がなく、一体いかような存在なのでしょうか?
そして、この考え方はどのように、人生に絶望して苦しんでいる人に光を見出すことができるのでしょうか?

フランクルはこのように答えています。


●私たちが人生に問うのではなく、私たちは人生に問われている存在である
●人にはそれぞれ使命というものがある
●その使命とは根本的に存在している
●そしてそれは生を肯定する世界観である
●人にはその使命を達成する責任というものがあり、それに目覚め、それに気づきそれにおいて行動することにより、人は人生への遥かに超越した希望を見出すことができる
●それは「責任」であり、実存分析とは「使命」を把握することを教えることである


そして

●大衆の中への逃避は責任からの逃避に等しい
(つまり、「みんながやってるから」「みんながそうしてるから」正しいものはなく
それはただの、自分の使命からの”逃避”にすぎない と言っているのです)

●人を評価したり避難するときに、全体主義のモラル(規律)に
当てはまるかどうかで判断することは本来的に正しいことではない


ということを述べています




10代の頃、大ブレイクしてたキムギドクの「社会的に見たら間違ってると評価されるけど本人的には正しい」という映画にはまりまくり、(善悪は非常にプライベートなシチュエーションとそのときの状況で判断されるべきものであり、社会には”これが正しい”というものは存在していない。というのが彼の映画の基本路線)

自分自身も、不倫とか、浮気とか、不登校とか?
・・・社会的にはダメじゃないのっていうことを体験してみて「でもそれって個人からしたら正しいかもしれないし
社会的な物差しで決して善悪は測れない」と思っている私はめっちゃ共感です。

そして特に、日本の社会の仕組みから抜け出し、さらにその中でもシッダ医学というインドですら知られてないマイナーすぎる医学を選んだ私は、
Drフランクルが指摘する「大衆の責任逃避よりも、自分の生命の責任である運命を選んだ」ということなんだろうなあ、と非常に納得します。


病気になっている間、
特に精神的な病気になっている間は、
そのひと自身の転換期であると私はとらえています。
現にわたしがそうだったことが何度もあるからでもあります。

実存分析は、非常に現実的に、そしてインドの哲学にも共通する精神療法なんだろうなあと今から期待です。
(個人的に”与えられている”「使命」を全うすることを気づかせることにより、人が人生を生きることに希望を与えるというのは、
実際に私が生きてきた現実の中でもそうであるし
(彼の本の中でも”少数の人間は、その「使命」が高次元から”託されている””与えられている”と自覚している人たちがおり、その人たちはその高次元への信仰をもっている”というような内容がありました)

私自身の経験を肯定してくれ、
そしてそれだけでなく、
この経験を実際に治療法として他の誰か絶望している人に
光を見出すことができる方法論を創り上げてくれていたフランクルに大感謝★

でも、ロゴテラピーはきっと診療に将来取り入れていくスタンスになるだろうな。
この考え方は、病に苦しむ人、そして社会から疎外された人たち(たとえば、乞食、障がい者、犯罪者など)にも、社会という束縛に制約されることを超越した、生きる意味を与えることができます。



そしてゆっくりと読みすすめます・・・まだまだこれからです。

私の実体験と、さらにインド哲学、仏陀の教えとも繋がっている・・・
つまり非常に彼の考えは、「生きること」についての真実にかなり近いのではないでしょうか。
私はシッダ哲学と微妙に仏教のベースがある(そして自分自身の経験)
フランクルのいわんとすることは非常にわかりやすく
実践するのには時間がかかるだろうけど、やっていきたいです。


いかに、わたしたちは、制約と束縛から自由であり、惑わされずにいられるのか。
いかに、わたしたちは、絶望している人に希望を与えることができるか。
いかに、わたしたちは、人々に使命という名前の「責任」を気づかせることができるのか。


これは、私が医療を通じて一番行っていきたいことです。

インターン4日目・医療のフィールドにいられる幸せ

今日は友人に誘われて、リハビリを手伝っているのに参加させてもらった。
3年前に脳梗塞で半身不随になって、3年間歩けなかった患者さん。
彼女はいろんな家庭問題があったため、3年間病院に行くこともできなくて、
きちんと治療を受けられず、歩けなくなっていた。

その彼女が、やっと3年経った今、入院して、治療を受けている。
そして、歩こうとしている。

肉体的には、足の筋肉は立つのも支えが必要なぐらい衰えているし、
足をうまく動かすこともできないのだけれど、

でも、彼女は、3人のインターン医の支えを借りて、
一歩一歩、ベッドから、部屋を出て、廊下まで歩いた。

私たちが今ふつうに行っている歩くような、呼吸をするような、キーボードを打つようなことって
なんて複雑で奇跡的な仕組みなんだろう。

そして、肉体的には立つにも支えが必要な状況だけど
それでも支えを借りて歩いた彼女の意思はなんて強いんだろう。




わたしは10代のときに色んなところを旅して、
色んな人に助けてもらったから、
今度はその恩返しをしていきたい
たくさんの人を助けたい
そう思って、医者になろうと思ったというのがたぶん私の中のすごく深いところのベースにある。


だけどいっつも患者さんを見るたびに思う。

私はいつも患者さんに励まされている。
患者さんに助けられている。
当たり前と思っていることができるということがどれだけ恵まれているのか。
そして、体の制約をも乗り越えようとする患者さんたちの意思に打ちのめされる。


こういう、いのちの根源に触れる、奇跡に毎日触れることができて
かかわることができるだなんて
医療ってやっぱりなんて素晴らしいんだろう。


人間の源として、哲学やアートだって私は好きだし
(一時は本気でフォトジャーナリストを職業にしようと思っていたし)
人の人生を導いて支えるという意味で宗教や占星術だって大好きだけど

でも、

人の、
「生きたい」
っていう、
魂に触れられる
そして
それを支えることができるだなんて

そして
それよりも
患者さんを支えるつもりが
それに支えられている自分がいるという奇跡。




インターンたった4日目。
でも
本当に私はこのフィールドを選んでよかった。


患者さんは私たちにとっての神様。

おばあちゃんの他界と歯の激痛・・・に最後は感謝

先週、突然、祖母が他界した。
脳梗塞をやって、車いすになると言われたのに、杖なしで歩けるほど回復したほどの根性の持ち主で
猫も飼ってるし、息子(伯父)と家の隣に建物建てることになってたし、毎日植木の世話で忙しくしていて
化粧も欠かさずしてるし、いつも元気なおばあちゃんだったので、
うちの親族誰一人、祖母がこんなに早く他界するなんて思わなかった。

祖母は1日に亡くなり、お通夜は4日。
私はその間、虫歯の痛みが徐々に悪化し、
2日ごろにはもう24時間耐えられないぐらいの激痛になっていた・・・。
今までほぼ飲んだこともない痛みどめロキソニンを1錠じゃ足りないから1.5錠とか2錠とかを
2時間ごととかに飲む羽目に!!!
これでどうやって私、お通夜行くわけ?(しかも歯医者は3日月曜しか空いてない)
つーかこの虫歯、神経に達してるんじゃ・・・?

3日に歯医者にかけ込むと、神経に達してるかもしれないので神経抜くけど
神経抜く治療は時間かかるので日本滞在期間にやれないから治療できないと治療断られ、
一体どうすればいいわけ!?とめちゃくちゃ絶望的だった。

おばあちゃんのいなくなった悲しみすら上回る激痛は、
とにかく痛み止めを手放さないことでなんとか、
新幹線で名古屋に行き、お通夜と葬儀を乗り切った。
その間、やわらかいものしか食べれなかったり、ほとんど何も口にしない日もあったり・・・。

(おばあちゃんについては、また別記事書きます★
うちはけっこう霊感家系?みたいで、おばあちゃんの存在をまだまだ感じるんで
寂しいけど、おばあちゃんは他の世界に移っただけなんだって分かってるので、苦しくはありません)


つーか、これ、どうすりゃいいの!?
葬儀の次の日は1日中部屋から出れないほどの激痛と、それによる鬱に悩まされ
絶望と死ぬほどの苦しみだった。

たかが歯・・・って、歯ってもう死ぬほど痛いんです!



そして日本の歯医者には治療を断られた・・・・・・
名古屋でも何気に歯医者に聞いてみたら治療を断られた・・・・・受診する前から・・・・


うちの病院にも、痛みで寝れない、とか痛みで苦しむ患者さんっていっぱいいるんだけど、
患者さんの痛みの苦しみを実体験で痛感させられた。
痛いって本当に苦しいんだ・・・。


そして、医者に、「治療できない」と断られることの絶望感。




泣きながら頼りにしてるナーディリーダーに電話したら向こうもつらかったみたいで嫌がられるし、
助けがないって、こんなに孤独なんだ・・・・



こういうことの絶望感て、どれほどのものなのか・・・自分の体験自身で痛感したと思う。





そんなとき、ホメオパシーの先生に電話して訴えたら、
「私は絶対に治療が不可能だと言わない」と言ってくれて
しかも薬を緊急でインドから送ってくれるという。
私がこれでどれだけ救われたか、ここに書く必要もないと思う。




痛みどめ効かない。
神経まで達してるっぽい。
たぶん神経抜く。
そしたら日本じゃできない。インドで歯医者行くのマジこわい。
治療がないということへの絶望感。
痛みの恐ろしさ。



もう、ホメオパシーで歯の再生することに懸けるしかない(涙)
そして先生の心遣いに感謝×1000000000!!!!!!




でも、私にはまだまだ課題が残っている。



一体、
ホメオパシーの薬が届くまで、
それまでこの痛みどうすればいいわけ・・・!?



今ロキソニンを1錠から2錠、1~2時間ごとに飲んでも痛いんです。
もし、痛みどめを飲み続けたら、胃は荒れまくるだろうし、効かなくなってくるし!
っていうか、痛みどめのんだって痛い!!!






そんなとき、突如タイミングよく、なぜか豊橋の知り合いの方に、
「じゃあ僕が行ってる整体行きますか」と言われた。




なんでもどうでもいいので、とにかく即時予約して、行ってみたら・・・




あれほどの激痛が、1回の施術でとれた。




という奇跡が起きました。




歯医者で神経とると言われた激痛が・・・
ただ遠くから見つめて、なんかやってるだけの意味わかんない整体だったのに(笑)
一回でとれました。


詳しく言うと、10時の予約で、11時に終わって、
お昼御飯はやわらかいものしか食べられない(豆腐とか)し、痛みどめが命綱みたいな感じだったのに、
夕方5時ぐらいには、痛みどめ必要なくなって、
夜のごはんはめっちゃフツーのごはん食べてました(笑)



しかも痛みとおばあちゃんの葬儀というダブルショックで、うつみたいになってた状態まで、
いきなし、思考もはっきりすっきりして、これから将来どういう道を歩めばいいのか、とか
そんなことがいきなりクリアになりました。

ちなみにそのときの感想は超汚い字だけどこの整体院さんのブログにUPされてます。



試行錯誤で、ずっと腕一本で、真摯にやってきた先生の姿勢のおかげ・・・?
あまりにも良くなりすぎて、意味わかんない(笑)



・私が来たのはとてもタイミングが良く、先生が最近発見した技術で治ったそうです。

・しかも、事故の後遺症で悩んでいた伯母に、この整体院を紹介することができました。
私の体調がいまいちだったせいで、2回しか行けなかったはずの整体に3回行くことになり
伯母と一緒にいけた、というのもなんかの恩恵な気がします。

・しかも、伯母は、私が歯が痛くて苦しんでいたのに、それが整体行っていきなし良くなった、
というのを目の当たりにしたので(笑)
おかげでものすごい希望を持って、通う覚悟が出来たみたいで・・・



おばあちゃんが死ななかったら、
お通夜のために名古屋に行かず、
この整体院に出会わず、
虫歯の痛みに絶望してたかもしれません。
さらにいえば伯母も後遺症の治療に希望が持てなかったかも。
でも、豊橋の方と知り合いじゃなかったら知ることができなかったし、
豊橋の方も最近この整体院を知ったわけで・・・




もっと言えば、

この体験のおかげで、


・痛みということのくるしみ
・支えてくれない人がいるということの孤独
・治療がないということへの絶望

・治療があるということの希望!!!!!
・治療がないと思っている人に可能性を指し示すことができることの素晴らしさ!!!

また

・共時性がやっぱり存在している
・おばあちゃんの死や、自分の虫歯の激痛という、
一見ものすごい悲劇に見えることが、本当はなんかの転換期である。


ということを一気に学びました。


もっと言えば、この整体院の平野先生との出会いは、
今の私がちょうど必要としているものでした。
先生は色々試行錯誤でやってきた結果、
「昔のやり方は通用せず、新しいやり方を編み出さなければいけない」という結論に至ったそうです。

私も、シッダ医学をリニューアルしないと。

って本気で想いました。


シッダのリニューアル。
治療法がない人を助ける。



前々から口では言ってたけど、今回の実体験により、本気の実感が持てたのです。




一体、何に感謝すればいいのか分からないんだけど、
とりあえず、一連の繋がりと、
天に感謝。

ありがとう!!


ちなみに
助けていただけたのは、ありがとう整体院




虫歯は物理的にあるけど、ホメオパシーでとりあえず歯の再生治療をしてみます・・・。
それで歯が戻るといいんですけど。

私のフィールド



先生に3日間付き添って講義してもらっただけだけれど
私の中でマルマの芽が育ち始めている。

先生がマルマについて教えてくれた内容は、まさに私が信じていきたいことそのもの。
これほどに素晴らしいものがこの世にあるんだろうか。
これ以上私に合う知識はこの世界にあるんだろうか…。
たぶん、これが、私のフィールドなんじゃないだろうか。

そして、この先生こそが、私の師匠なんじゃないのか?
この先生の言うこと全てが私の感性にピッタリときてしまい
ひとつも私の感覚と矛盾することがなかった。
この先生から私は学びたい。この先生に着いていきたい。
「もっとすごい先生いるよ」って周りは言うけど、
私はこの先生からもっと学びたい。



そんな風に勝手に思ってきている。…だから忘れないようにメモっておこう。




わたし、たぶんきっと、これをやりたい。
マルマと一緒に生きていきたい!!
これほどに私の感性に合う存在って他にあるのかな?
そしてこれほどに信頼できる先生も。

マルマと切って切り離せないシッダと一緒に生きていきたい。
この哲学と、この科学と共に生きていきたい。


こう実感させてくれた先生。
私とシッダーたちの繋がりをはっきり教えてくれるアガスティアナーディリーダー。
そしてこういう私の気持ちを全部受け止めてくれて分かってくれるやっとできた友人。



みんなに感謝しつつも、これからこの科学をこの先生と学びたい。
日本から戻った後の目標として書いておきます。

というのも、マルマを学ぶのは大学ではムリで、
私がたぶん毎週とか先生のところに泊まり込んで教えてもらうしかないから
かなりのモチベーションが要求される仕事なのです。




そしてシッダーたちにお願いしよう。


マルマを学びたいです!
・・・ついでにいうと、カーヤカルパ(若返り)の研究と
占星術も学びたいです!!
だから、この3つと私は生きていきたいです!

とお願いしまくろうっと!!



そしたらきっと道は開けて、私が日本から帰ってきたころには
きっとすべてが用意されているはずで
そうじゃなくとも何かしらの形でそれが可能になるはず。
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