旅をする木

生きるという旅をすることは、人と人という繋がりの橋を渡り続けること。 そしてたまに眠りもう会わない人の夢をみて休むの。 伝統医学を 西洋科学のメゾッドで ひとびとに ケララ州トリバンドラムの小さな田舎に7年住み、 南インド伝統医学、外国人女性初のシッダドクター(首席卒業) ブラウン大学公衆衛生大学院修士、 ワシントン大学疫学博士課程在学中・国際臨床研究センターにてPhylogeneticsによるHIV・コロナウイルス感染予防の研究助手 2019−2020年 WHO・インド伝統医学標準化のための国際会議にてのシッダ医学グループのWHO指定報告者(書記)担当 このブログは15年ぐらい前から続けてる日記みたいなもので いわば個人記録みたいなものです。わたしが忘れないための。 三聖病院での森田療法体験記、 彼が死んだときに旅をした話 アメリカのときの話 インドの話 シッダの話 ブラウンでの話 アメリカやインドの生き方 ほかにもいろいろと ずっと書いてます。 きてくれて、ありがとう。

2010年08月

生きる2

だれもが
そのひとに見合った理由をもちながら
生きている。

わたしも
どんなに辛くても
どん底でも
最低でも
後悔してても

出会ったひとたちに
できるだけ、
できるだけ、
できることを。

生きる

数日前に来たその男の笑顔はすごく素敵で
きっと誰もが魅了されるだろう。信頼するだろう、一目で。
英語もきちんと話していて、身なりもぴしっとしていて隙がないのだ。
そして必要なことを私に聞き、
レセプションに勝手に座っていた私に「部屋は空いてますか?」だなんて
冗談を言ってここのみんなと笑っている。

そのあと、

彼が経営していたレストランがつぶれたことを知った。
私も一度行ったことがあり、味に定評があるレストランだった。
彼の両親は2人とも自殺でほぼ同時に亡くなり、
彼がずっと付き合っていた彼女も去り、
自分が全力を注いでたレストランも潰れ、
携帯を売り払うほどにお金もなくなったという。

周りのみんなは全力で彼を支えようと
とりあず彼の実家に送りこんでいた。



昨日の夜、3時間立て続けに素晴らしい会話をした
イギリス人の素敵な夫婦は、
私の聴いていたSherbetsのベンジーの音楽を気に入ってたので
私はCDをプレゼントした。
彼らは弱って動けない私にパンを買ってきてくれた。おいしいパンを。

妻の方とはとっても気が合って、気丈で素敵で美人で・・・
薬剤師さんでアーユルヴェーダを1年やってみたが、
まったく実用的でないことを知り辞めたという話で、
色んな話をした。

大学の話をすれば、「そんなの大学じゃないよ・・・」(夫は大学で教えている)
妻は「でも、医者になれるなら、患者に責任とれるからいいカリキュラムね。
環境は劣悪だけど・・・。そしてシッダは本当に面白そうだわ!私やりたいわ!
・・・でも無理ね・・・その環境じゃ生きるなんて思えないわ・・・」

隣の家族が経営してる店屋が、
月いくら家賃を払わなければいけず、
妊娠していて、病院のお金も、食費も払わなければならない上に
高い値段では物を売りたがらないのにツーリストが信用してくれなくて
経営がうまくいっていないという話をしたら、
夫の方が一晩考えて、「こんなことを書いてみたらどうかな」
と「FAIR TRADE」と看板を掲げる提案を私にしてくれた。


一緒に朝食をとり、
ハエがうざったいね、と言いながら、
「今日の11時50分にウーティに行くんだ」と話していた。
私も見送るつもりだった。



10時。


デリーに居るその夫婦の親戚が、
心臓発作を起こした。

彼らは、「とにかくデリーへ行かないと」とホテルから去って行った。


旦那さんが書き残してくれた「FAIR TRADE」 の提案の紙は
わたしのポケットの中。


いま、わたしが、この素敵な夫婦にできることは、


無事彼らがデリーに辿りつくよう祈ることと、




・・・この紙を、あの家族に渡さなきゃ。



こうやってみんなの命は引き継がれていっていて
わたしはその架け橋に過ぎないと痛感する



からだが、弱くても、
そして 何が起きようとも、

わたしたちは、生きている、のか。

果てはどこまで

最悪だと思っていた1カ月前が輝いて見える。

病気で苦しんで学校に無理やり行かされそうになったときが
素晴らしく思える。
病気でも学校になんとか無理やり行かせて、なんとかかんとかしようとした
馬鹿でもその学校側の対応が、ありがたく思える。

最悪だと思っていたことがなんでもなく思える。

これ以上どれだけ悪くなるのだろうか。

学校から、放り出されたら、私はそれこそ何もない。

チロが去っても
男が去っても

私には、シッダだけがあった、
・・・かもしれないのに、


それすらも失おうとしている。


学校、お願いだから、私を放り出さないで。
辞めさせないで。

今まで努力してきた2年間、これからあと3年間、頑張るって決めたのに。


どん底だと思っていたときが輝いて見えるほどに
このタイミングで、
すべてが私の元から去ってゆく。


このタイミングで。


どれだけ これ以上 悪くなるんだろう。


どれだけ これ以上 失えるのだろうか。
もし、学校に戻れるとしても、売女だ、と言われるほど生活めちゃくちゃにされて
わたしはこれからどうやって生きていくんだろう?

どこをどうやってどんなふうに?






それでもなんとか
新しい人生を見つけてやっていくんだ。


今までのものに全力投球しても駄目ならば、
「新しい町で新しい仕事で新しい男とやり直すのだ」


何もかもが去って、

わたしの中に残るものだけが
きっと本物だ。


さよなら、
さよなら、みんな、
歩くことができる限り歩き続けるだけ。

政府経営病院

友達になった医者の薦めで

1)H1N1専用大部屋
2)基本大部屋
3)個室

・・・・全て体験した、この2カ月の中で。
・・・・・この体験は、西洋医学の医学部を目指して浪人中の彼女にも
素晴らしい体験となっただろうと、願う・・・。


まず、

政府経営の病院では食事が出ない。

病人に食事が出ない・・・
=家族が必ず付き添わなければいけない、
どこかから食べ物を持ってくるために・・・

現実には、食べ物を調達することすらも難しい人々ばかりが
ここに入院しているというのに・・・。

H1N1の部屋では、約10個のベッドがあり、病人と付き添いの家族が寝ていた。
大抵は付き添いの人はベッドで寝ることを許されず、
床で寝ているというが、
運良く私たちはなぜか4つのベッドを占領していた。。

「虫とか変な病気があるかもしれないから危険だよ!」と
ベッドのマットレスを恐れる友人。


病人にベッドシーツは支給されるが、
付き添いには支給されない。

もう駄目!と思ったのが5日目。やっと解放された・・・




と思ったら、


60人の大部屋に入院する羽目に・・・・。

いくら、インド在住の外国人でも、
流石にこの部屋に入院したのは・・・私ぐらいなんじゃないかなあ・・・


「アユミ、地獄を観たことがある?」
・・・今、まさに、目の前に広がっています。


24時間、それは続いていた。朝も昼も夜も関係なしに、
泣き叫ぶ人々、
嗚咽の音、

ベッドの枠はあるがベッドのマットレスはない・・・。


・・・・。


H1N1の部屋のどこが、いけなかったんだろう?!
ベッドのマットレスは新品も在庫があって、
シーツまで支給された!!
さらには卵・牛乳・パンの配給まで!!


「枕買ってくるね」
と、すばやく状況を察した友人2。


そう、H1N1の部屋では枕も支給されていたのに!


まさに、60人の患者が、24時間、苦しんでいた。
ベッドのマットレスはなく、ベッドの空きがあること自体がすごいことであり、
床に病人が寝ることも少なくないという。


夜中じゅう、うめき声を聞きながら私は睡眠薬のおかげで眠った。


水をくれ、と
歩きまわり、
願う老人の女性。


「普通だよ」


普通じゃないから。
っていうかこれが普通じゃ駄目だって。


病気なのに、ただでさえ苦しいのに
ど、どうしてこの環境にぶち込まれなければいけないの?!


トイレは、内側のドアのノブ(?)がなく、閉めたら開けられず、
一瞬、一晩中自分はトイレで過ごすかと思った・・・
水の出ないトイレで。

そしてトイレを出たら、床につばを吐いている人が。
・・・病人じゃないことを祈ります。


「政府総合病院行ったら、みんな病気になるよ!」

それでも、腕利きの、ケーララでトップを争う名医しか雇われないそうです。



しかし、その名医たちが、患者のケアをするのは・・・

患者が、個人的に賄賂を渡した時のみ!!!!!


友人2人の必死の助けにより、60人の地獄部屋を抜け出した私は、
個室に移されました。
天の助けにより、一番新しい部屋が与えられました。
ベッドのマットレスも、綺麗なトイレも存在しています!


前の晩、大部屋のうめき声によって一晩中眠れなかった友人は
やっとこさシャワーを浴びれる、と喜んでいました。

彼女が言うには、夜中の2時に、目の前に突然老婆が現れ、
パンを食べており、水をくれないか、今は何時なのか、と聞いてきたそうです・・・
彼女はその老婆が、幽霊だったのか人間だったのか、
今でもよく分からないと言っていました。



とりあえずは何とかなった個室。


しかし!!!!


1日中ドクターが来なかった!!!!


・・・入院している意味があるのだろうか?



一応、大部屋の回診は1日2回。一応存在していた。
個室は、1日1回。
しかも、超てきとう。
インターン生の場合もある。医者じゃなくて。


治療?

下痢止めとかいう注射を、1日3回も打たれ、
点滴を2本、それも、しまいにはなくなっていた。
しかも、注射自分で買わないと、誰もしてくれないから、
薬局まで買いに行かないとナースも点滴も注射も打ってくれない。

ナースが友人に、医者に個人的な賄賂のお金を渡すようにアドバイスしていた。
そうでなければ、何もしてくれないらしい。

「ここではとってもノーマルで、当たり前のことなんだよ!
お金渡さなきゃ、医者が患者診てくれないのは当然なの!」




金、金、金がなければ地獄に生きる。
60人地獄部屋の人たちの人生を想像する。
水さえも手に入らない。食べ物さえも手に入らない。
病気になれば地獄部屋行き。


そ、それでもなんとかかんとかみんなやっている・・・?
そんなことないと思うのです。
やっていくしかないからだけどどうにかなるものではないのです、彼らには。


わたしは「みたもの」しか知らず、知識も何もないけれど
その光景は、一生忘れられないほどのものでした。

あんな中で人間が健康になるはずがないと思う。
少なくとも、病人に水を。飲める水を。

権利

ここ数カ月で特に学んだことは、
この国には「人権」など存在していないということだろう。

人の、権利。

狂犬病の死亡率世界一のインドでは、
野犬の駆除が法律で禁止されている。
「お犬様」政策。
「政策を作る人間は狂犬病の危険にさらされないからね」と友人。

それでも近所の人たちは
25歳
30歳
26歳
19歳
若い人々が普通に、
毎日、
当たり前のように、
たたき殺される蚊や踏みつぶされるアリと同じレベルで死んでゆく。
家族を残して。

感染、自殺、他殺、事故死。

私と同い年の友人は「今俺が家に帰ったら途中で死ぬかもしれないよね。
それはでも神の意思で普通のことだ」と当たり前に言う。


政府の病院にベッドのマットレスすらなく
転がっていた病人たちは
あえぎ声を24時間あげながら
あたりまえに死んでゆく。

誰も 何も 感じない。

此処では、命は、あまりにも軽いが、
よく考えたら、戦前の日本も似たようなもので、
生まれた子が生き抜くなど誰も期待していなかった。

戦後の日本が頑張ってきたからこそ
今の若者たちは未来を選ぶことができ、
病気で死んでゆくこともないのじゃないか。

それでも何か道を取り違えて今の日本は病んで苦しみ
ほとんどの「苦しみ」は魂の奥底から来るものではなく
何か物凄く軽いもので、表面的なものでしかなく
根本的なものでは決してないが、

この世界は変えられるはずだ、

長い歴史の中、
病気で国のほとんどの人間が死んだり、
死刑や拷問を受けなくても良い時代が
やっと 現代社会には 来ているのに。


インドでは命があまりにも軽く、
生きることには限界があることを誰もが知り、
誰もが諦めながら日々を過ごし、
希望もなく、病にかかっても治す人もおらず、
結婚しても離婚することはできず
与えられた環境の中でのみ生かされることを許されている


だけど もっと 自由になれるのではないのか
今すぐじゃなくても、

と、インド人の友人と話していた。



人間の権利というものはここには存在せず、
西洋的な考えによって一部の人間は救われている、
人間の権利がある国では権利ゆえに苦しむ人や
生きているのか死んでいるのか分からない人間だっている、

どうにか 変えられるはずだって。

常に何が起きても傍観者でいられるインドの人たちを観ながら

わたしは インド と 日本
両方の苦しみを変える道を探さなければならないと感じる。


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