すみません、昔(?)の映画で。
っていうか超おすすめすぎるので
無料サイト!!!
本当に素晴らしい映画です。
これほどの絶望の中でも人は希望を持てる。
絶対悪なんてどこにもない。
http://sockshare.video/watch/Xvj57ogd-himizu/veoh.html
自分を殺して生きるって、自分を押し殺して生きるんじゃないです。
今までの自分を「殺して」
新しく生まれ変わるように生きるってことです。
ヒミズ、、、すごかった。
園子温って本当に「愛のむきだし」から変わりましたよね。
俳優の使い方が半端なく上手いのは相変わらずですが、
この映画を震災の直後に作り、公開したというその度胸に感服です。
私にはワカラナイ
牛乳に混じったハエがどこから白でどこから黒なのか
働き者はどこから怠け者になるのか
殺人者はどこから被害者でどこから加害者に変化するのか
私には分からない。私には判別できない。私には見分けがつかない。
わたしには わからない。
この世界のものも人間も、あまりにもまだらに全てが一緒くたすぎて
身なりが人を語らない時もあれば 金持ちが家なしになるときもあった
崩壊した 震災の 価値観 変わっていくことに適応すること
絶望のその中でも現実に沿うように生きて、夢を持つこと。
学校の先生が子供達に語るような「将来の夢」ではなく、
家庭を持ち慎ましく穏やかに平穏に暮らす普通の生活という夢。
何もかも分からない。絶対だと思っていた善悪も分からない。変わらないものなどない。
どこにも本当は境界線はない。だから自分もどうやって生きればいいのかが分からない。
それでも生きようとする努力の美しさ。たくましさ。強さ。
自分の持ち物が何も無くなった時
それでも
集まった人たちがいれば、何か立て直せるということ。
その人たちがまた別れても、何かは立て直せたということ。
震災直後に園子温監督が感じたのだろう感覚が
うまく原作と重なって溶け合って完成された映画になっていた。
手持ちカメラ映像的映像観
リアルに、だけど映画的に、
一人一人の登場人物の背景もハッキリと描かれ(私が愛のむきだし<以降>の園子温が好きな理由は、これです。「ハッキリしていること」。愛のむきだし以前の園子温は普通に超眠いし気持ち悪い)
一つ一つのセリフやシーンを無駄にせず
うまく最後までまとまっていて、
無駄が一切なく、正直素晴らしい映画でした。。。
えぐられました。
でも、何もかも
何もかも自分の価値観も持ち物も全て崩壊した何も無くなっても
希望を持って、私たちは生きることができるんだよ、
そんな本気のメッセージが、これだけ精神的に陰鬱な映画なのに
爽やかな後味。
不思議。
そして主演の二人すごいっすね。
ぐちゃぐちゃじゃないですか。
表情から、セリフから、
セリフは関係ないことをしゃべりつつも
その時の感情がガンガン伝わってきて
すげーよかったっす。
二階堂ふみすげーかわいいし。
人間が複雑なだけじゃなくて生きてるこの世界も複雑でめちゃめちゃ。
だから震災がめちゃめちゃにしたのではなく、元から本当は普通に見える生活もめちゃくちゃだったとか。
がんばれ。
鬱屈した世界
崩壊した世界
混沌の中にいても
人は集まることができる
そして希望を持つことができる
だから
一人で閉じこもらずに
人を頼って
人と一緒に分かち合って
支えられて生きなさい。
そんなに優しいメッセージが。
ーーー
中学生のすみだ君は、 川辺にあるさびれたボート屋の掘建小屋に、男を作って帰ってこない母親と、
「お前が本当にいらない。死ねばいい」と毎回話しかけてくる父親を持ち、 貧しく住んでいる。
彼の周りには、震災で住む場所をなくしたおじさんたちが段ボールとビニールシートでホームレス小屋を作り、彼の了解を得て暮らしている。
おじさんたちは彼を敬いながら敬語で接しているし、
すみだ君もみんなのためにみんなと協力する生活を本当は好きだったりする。
学校の先生は「夢を持て」という。だけどすみだ君にはそれがわからない。
平々凡々に暮らす「普通最高!」と反発するすみだ君は、学校の中では誰よりも特徴がない奴に見える。
裕福な家に住んでいるが家にまったく居場所がないチャザワさんは、
そんなすみだ君のことが好きだ。
すみだ君のように貧しかろうが
チャザワさんのように裕福だろうが、子供がクズな両親の為に経験する苦痛は同じだ。
だからチャザワさんは人とうまく話せない。演技をしているように、セリフを喋るようにして人との距離を取らないと、人とコミュニケーションが取れない。
すみだ君のいるボート小屋に自分の居場所を見出したチャザワさんは、
両親に棄てられたすみだ君の為に一生懸命健気にボート屋を繁盛させようと
チラシを自分で刷って配ったり、売り子をやったり、健気に頑張る。
そんなチャザワさんを、すみだ君は思い切り邪魔者に扱う。
二人とも二人なりに鬱屈した社会の中(クズ親)で必死に戦っているのだけれども
チャザワさんの見据える未来は明るく、ボート屋の小屋のペンキを塗ったり、お客さんを呼び込んできたり、ボート屋を繁盛させるところにある。
すみだ君の感じる世界はものすごく暗く、絶望と今しかない。
すみだ君の価値観が変わっていくところ。
死を想っていた自分、を、殺して生きるところ。
演出的なみどころがいっぱいありました。
「親がいなくなっても
家がなくなったわけじゃないんですから、あははは」 とか
「600万円なんてのはした金なんて(自分は家も会社もなくした)」とか
親に捨てられた友達のためにスリのテクを学ぼうとするおじさんとか
もう色々ぐちゃぐちゃになって、でもそれでもやれる。
っていうか超おすすめすぎるので
無料サイト!!!
本当に素晴らしい映画です。
これほどの絶望の中でも人は希望を持てる。
絶対悪なんてどこにもない。
http://sockshare.video/watch/Xvj57ogd-himizu/veoh.html
自分を殺して生きるって、自分を押し殺して生きるんじゃないです。
今までの自分を「殺して」
新しく生まれ変わるように生きるってことです。
ヒミズ、、、すごかった。
園子温って本当に「愛のむきだし」から変わりましたよね。
俳優の使い方が半端なく上手いのは相変わらずですが、
この映画を震災の直後に作り、公開したというその度胸に感服です。
私にはワカラナイ
牛乳に混じったハエがどこから白でどこから黒なのか
働き者はどこから怠け者になるのか
殺人者はどこから被害者でどこから加害者に変化するのか
私には分からない。私には判別できない。私には見分けがつかない。
わたしには わからない。
この世界のものも人間も、あまりにもまだらに全てが一緒くたすぎて
身なりが人を語らない時もあれば 金持ちが家なしになるときもあった
崩壊した 震災の 価値観 変わっていくことに適応すること
絶望のその中でも現実に沿うように生きて、夢を持つこと。
学校の先生が子供達に語るような「将来の夢」ではなく、
家庭を持ち慎ましく穏やかに平穏に暮らす普通の生活という夢。
何もかも分からない。絶対だと思っていた善悪も分からない。変わらないものなどない。
どこにも本当は境界線はない。だから自分もどうやって生きればいいのかが分からない。
それでも生きようとする努力の美しさ。たくましさ。強さ。
自分の持ち物が何も無くなった時
それでも
集まった人たちがいれば、何か立て直せるということ。
その人たちがまた別れても、何かは立て直せたということ。
震災直後に園子温監督が感じたのだろう感覚が
うまく原作と重なって溶け合って完成された映画になっていた。
手持ちカメラ映像的映像観
リアルに、だけど映画的に、
一人一人の登場人物の背景もハッキリと描かれ(私が愛のむきだし<以降>の園子温が好きな理由は、これです。「ハッキリしていること」。愛のむきだし以前の園子温は普通に超眠いし気持ち悪い)
一つ一つのセリフやシーンを無駄にせず
うまく最後までまとまっていて、
無駄が一切なく、正直素晴らしい映画でした。。。
えぐられました。
でも、何もかも
何もかも自分の価値観も持ち物も全て崩壊した何も無くなっても
希望を持って、私たちは生きることができるんだよ、
そんな本気のメッセージが、これだけ精神的に陰鬱な映画なのに
爽やかな後味。
不思議。
そして主演の二人すごいっすね。
ぐちゃぐちゃじゃないですか。
表情から、セリフから、
セリフは関係ないことをしゃべりつつも
その時の感情がガンガン伝わってきて
すげーよかったっす。
二階堂ふみすげーかわいいし。
人間が複雑なだけじゃなくて生きてるこの世界も複雑でめちゃめちゃ。
だから震災がめちゃめちゃにしたのではなく、元から本当は普通に見える生活もめちゃくちゃだったとか。
がんばれ。
鬱屈した世界
崩壊した世界
混沌の中にいても
人は集まることができる
そして希望を持つことができる
だから
一人で閉じこもらずに
人を頼って
人と一緒に分かち合って
支えられて生きなさい。
そんなに優しいメッセージが。
ーーー
中学生のすみだ君は、 川辺にあるさびれたボート屋の掘建小屋に、男を作って帰ってこない母親と、
「お前が本当にいらない。死ねばいい」と毎回話しかけてくる父親を持ち、 貧しく住んでいる。
彼の周りには、震災で住む場所をなくしたおじさんたちが段ボールとビニールシートでホームレス小屋を作り、彼の了解を得て暮らしている。
おじさんたちは彼を敬いながら敬語で接しているし、
すみだ君もみんなのためにみんなと協力する生活を本当は好きだったりする。
学校の先生は「夢を持て」という。だけどすみだ君にはそれがわからない。
平々凡々に暮らす「普通最高!」と反発するすみだ君は、学校の中では誰よりも特徴がない奴に見える。
裕福な家に住んでいるが家にまったく居場所がないチャザワさんは、
そんなすみだ君のことが好きだ。
すみだ君のように貧しかろうが
チャザワさんのように裕福だろうが、子供がクズな両親の為に経験する苦痛は同じだ。
だからチャザワさんは人とうまく話せない。演技をしているように、セリフを喋るようにして人との距離を取らないと、人とコミュニケーションが取れない。
すみだ君のいるボート小屋に自分の居場所を見出したチャザワさんは、
両親に棄てられたすみだ君の為に一生懸命健気にボート屋を繁盛させようと
チラシを自分で刷って配ったり、売り子をやったり、健気に頑張る。
そんなチャザワさんを、すみだ君は思い切り邪魔者に扱う。
二人とも二人なりに鬱屈した社会の中(クズ親)で必死に戦っているのだけれども
チャザワさんの見据える未来は明るく、ボート屋の小屋のペンキを塗ったり、お客さんを呼び込んできたり、ボート屋を繁盛させるところにある。
すみだ君の感じる世界はものすごく暗く、絶望と今しかない。
すみだ君の価値観が変わっていくところ。
死を想っていた自分、を、殺して生きるところ。
演出的なみどころがいっぱいありました。
「親がいなくなっても
家がなくなったわけじゃないんですから、あははは」 とか
「600万円なんてのはした金なんて(自分は家も会社もなくした)」とか
親に捨てられた友達のためにスリのテクを学ぼうとするおじさんとか
もう色々ぐちゃぐちゃになって、でもそれでもやれる。
