私がひとつだけ 
一生変わらない本当のことを言えるとしたのならば

すべての人間はほんとうにスペシャルでユニークだ。
私が今まで会った人間たちに悪い奴はひとりもいなかった。
そしてそれがきっと一番大事なんだ。
やくざも不良もヒッピーも不登校児も優等生も先生も落語家も世界的に有名な平和活動家もフリーターもどこかの社長もサラリーマンも旅人も無職も映画監督も俳優も過食症もライターも作家もテレビディレクターも学生も
全員そういう肩書きのかぶりものを脱ぎ捨てて
すべての人間一人一人は本当に魅力的で
話せる奴なんだ。きっと、一対一で話せば。

だから、そして私は
一生おとななんかにはならない
一生成長しきらない
一生青春に生きてやる
一生悟り続けてやる
一生あきらめないでやる
一生みつめつづけて
一生出会いつづけたい、様々な人たちと
一生そして成長しあうのだ、見つけ続けるのだ、なにかを

最近の人間から離れている死を
どうしたら一体からだの中に引き戻せるのだろうか

ほんとうの意味でのいきることだけを
考えていたのでは
日本では生活を持続していけないのはわかってる
きっと「そんな甘くないよ世の中」って諭されるんだ
そんなんじゃお金なんて手に入らないよ
お金が手に入らなかったらものも食えないから
だけど

にんげん いつか しぬ

しぬ まで いきる

いきる なら よく いきろ

いきている あいだ に

チューインガムを噛みながらいつまでもにらみ続ける奴でいてやる
大人になるとかならないなんて関係がない
一生そんなの見つからない
自分にふさわしいものなんてありゃしない
一生そんなの見つけることなんてできない
もしくは一生かかって見つけるんだろう
やりたいこと、見つからない?
とりあえず今できることは、いきることを愛することだ
そのものに感謝することだ。許容範囲を広げて。
最低だと思うよいと思わないことの中の少しだけのよさを
もしくは存在自体に感謝しようとすることなのだろうか。
やりたいこと見つからないなんて、理想が高すぎる気がしてならないよ。
世の中の人間の5人に1人はごはんが3食なんて絶対食べられないのに
その人たちのごはんを食いつぶしている牛や豚を私たちは食っているのだ
そんな世界のつながりを考えるときわたしは、ここで生活をしていること
ここにただ立っていることにすら、とてもやり場のない恥を感じる。
恥、恥ともつかぬ、やり場のない、痛み、たくさんの人間を無意識に
何の罪の意識もなしに、無邪気に踏みつけるというその罪深さ。悪。
もちろん食えないから100%不幸なわけじゃない
でもこの私の現在の意味不明な不満や生活が
世界中の人々の生活を踏み潰しているような気がしてならない
その人々を踏みつけその上で私たちはぽかーんとしている。くうをながめて。

なんてことを思うが、そして私は
今日もパソコンのメールボックスに何も来ていないことに傷つく
「やっぱり嫌われていた」
結局私自身が、それから逃れることができないでいる
だけど、死ぬときにとりあえず私は世の中周りに感謝して死んでゆきたい
それだけなのだろう、けっきょく。