私には時間がない。
朝早起きしてバイオリンの練習する時間を作ったとしても
掃除に洗濯、すぐに迫るクラス内テスト、そして校内テストの準備、
手を抜きたくなくなった食事の準備に追われ、
しばしば植木に水をやるのも忘れるほどだ。
なのに・・・!!
この本に出会ってしまったせいで、
わたしは本当に少ない自分のための時間を大いに犠牲にしたと言えるだろう。
私には時間がない。
「朝早起きしたら読む時間がある」が、「学校で休み時間の勉強がわりに読めばいい」になり、
そして「ああ、読み終わるまで読めばいい」に変化していく。
授業中も、そわそわしておちつかないほどに続きが気になる。
自分にここ数年まともに食事を作る時間も、それを食べる時間も与えていなかった自分が、
それこそ食べる間も食べる間を犠牲にして使っているはずの
勉強すらも惜しんで読むことになってしまった森絵都の「DIVE」。
本当に、森絵都さんは、天才としか言いようがない天才だと再び打ちのめされる羽目になったこの本。
この本は、「飛び込み競技」を青春の糧とする少年たちの話である。
正直、この説明を聞いて、「読みたい」と思う人は、日本にほとんど居ないだろう。
そんな競技知らないし、みたこともないし、
観たとしても素通りしている気がするほどに記憶のない存在感がない。
しかし、そんなことはお構いなしに面白いのです!!!
そして、なぜか、ここがいつもの森絵都マジックなのだけれども、
自分とはまったく別世界に住んでいて何の共通点もないだろう飛び込み選手の彼らが、
自分の恋人よりも近くに感じられてくる!!
むしろ自分の分身じゃないかと思われるほどに!!
中2の知季の悩み。
練習。学校。練習。学校。練習。学校。の日々を繰り返す知季は、
飛び込みのために、犠牲にしたと思われるものは計り知れない。
マックのハンバーガー。プリンのカラメル。普通の友達交際。彼女との付き合い。彼女にお弁当の中身をリクエストすること。
要するに飛び込みに出会わなければ、普通に享受できるはずだった普通の人間としての楽しみを、
知季は少ない数かもしれないが、明らかに排除してきたのだった。
うん。
わたしも、勉強。学校。勉強。学校。の日々。
知樹の飛び込み練習やトレーニングがそのまま家での勉強に当てはまるような生活を送り
そしてインドという地で、おしゃれもなくカフェもなく
おいしいレストランもない何もないところで暮らしているわたしには
知樹の払った「犠牲」というものに恐ろしいほど共感できるのだ。
犠牲を払うのをいとわず、何か上の世界をみるために努力を尽くしてきた。
その犠牲が大きいのか、小さいのか分からず、しかし止められない。
そして、
自分はまだまだ小さく、頼りなく、未熟だけれど、
自分にもし、誰にもない何かがあるのなら
それをつかみたいという強欲さ。
そんな知季の取り組み方は、わたしにそのままあてはまる部分がたくさんある。
まだ中学生なのに、こんなに努力してて、それがこの世界では普通なんだけど、
でもすげぇなぁ・・・
と思いつつ共感★
そんな知季の生き方にふけっていたら、もともとない時間を使いすぎて食事を作る時間をなくした。
しかしめげずに作ったら、失敗して焦がして、
貴重な肉を無駄にしたうえにまずい飯を食う羽目になってうんざりすぎな夜を迎えたのに、
そんな自分の存在も愛せるような、何か不思議な支えを得た私だった。
なのに!
はずなのに!
次の瞬間には、そんなわたしの身近にいて、わたしの払っている犠牲の価値を知り、
それでもこの道を選んでいる打たれ強いはずの知季が、
明らかにどこにでもいるただの男になり下がっている!!!
別段好きでもなく、大切にしようとも思っていなかった彼女を弟にとられたのを執拗に恨み続け、
根に持っている奴。
お前、いい加減にしろよっ!どうでもいいだろ!と明らかに突っ込みたくなるほどにしつこい!
そしてそれと同時に!
明らかに自分とはかけ離れた存在であったはずの、周りから「天才」と思われ、
誰もがその貫禄に圧倒されて
何か遠い存在として描かれていた飛沫が、
異様に自分にも似てるところがある普通の存在として近づいてくるのだ。
ああ、目指していた何かが壊れてしまった。
目指していたのかもよく分からないのに、でも現実的にダメになってしまい、
自分を保ち続けるためには何か新しい目標を探さないといけないのにそれもできない。
ここから、一体自分はどうやって立ち直るんだろう?
みたいな、
ここまできたのに、また再び第一歩から始めなければいけなくなったそんな機を前にした飛沫の姿は
初心をいつも忘れそうになる私にやっぱりすっぽりと当てはまる!
・・・
こんなふうに、
森絵都の作品はいつもきめ細かく、多様で、入り組んでいる。
凡人の悩みを持つ暇なんてどう考えてもないような生活をしている知樹が、
執拗にフラれた彼女にこだわり続けたり、
遥か遠い彼方にいる天才だと思ってた人は、
実はやはり毎日の密かな積み重ねによって成り立っていたりする。
どんな人間でも、様々な側面を持っていて、その多角さというのは、
常にまるでミラーボールみたいに回転していながら日々をすべりこんでいく・・・・
どいつもこいつも、イイ奴なのか悪い奴なのか分からんし、
全然ダメだったりありえないぐらい天才だったり、
そして、その誰もがとてつもなく遠くに居るときもあれば、
ものすごく自分に似てたりする!!
ああ!
そんな人物描写が!
再び中毒性をもたらせるのです!!!
執拗に、わたしは続きが読みたいッッ!!!
小説の中の彼らの最初の晴れ舞台と言えるだろうものは、
アジア合宿に向けての選考会です。
大会でもなく、選考会。
ただの合宿に向けての、選考会。
それに向かおうと決める彼らの意志の先には、
地区大会など及びもつかぬオリンピックがあるからなのですが、
客など大していないし、誰の目に触れることもないし、
誰も気にも止めないであろうような超地味な合宿の”選考会”を
臨場感あふれる活き活きとした描写で
、まるで本物のオリンピックさながら超エキサイティングに森絵都はつづります!
わたしたち人間の持っている熱い想いや、目標に対する努力は、
それがオリンピックであろうと、学芸会であろうと、地区大会であろうと
選考会であろうと、何だろうと、全く変わらないのですね。
選考会というものに向けて積み重ねる惜しみない努力。
そこで開花される、飛び込みへの熱い想い。
そこで再確認される、彼らの持っている個性と才能。
なぜか何の共通点もないであろう「飛び込みでオリンピックを目指す」彼らと
「インドで伝統医学を学ぶ」自分にあらわれてくる様々な同じシチュエーション、生活状況、想い、目標!!!
◎ ”オリンピックへの道など、思えば奇跡の積みかさねだ。肉体的な適性と精神的な適性。
毎日の練習とそれを許す環境
優れたコーチとの出会い。家族の理解・・・
そのひとつでも欠けていたら奇跡の条件はそろわない。
そして最後に強運という味方を引き入れてこそ、初めて選手はその夢の舞台に立つことができるのだ。”
・・・・・
まさに「インドの大学卒業の道など・・・・」と最初の部分だけ変えてそのままあてはまるだろうこの文章。
そしてもちろん「シッダ医学を学ぶための道など・・・」と変えてもOK。
第一、彼らがオリンピックを目指す動機は成り行きだ。そうなってしまった、と言った方がいい。
わたしが、今院に行くとかほざいたり、この大学で勉強してる理由もかなりの成り行きだ。
勉強だってしなきゃいけないからしてるようなもんだ。
ほんと、成り行きで勉強してるんだよ!
別に、これはわたしの意志ではありません!
彼らが、別段自分の意志とは関わりなくオリンピックを目指す羽目になっているように!
そして、はたから見れば「ハチャメチャ」な決断ともいえる
「オリンピックを目指す」という目標に、
どうやったら対処していけるだろうかという彼らに課された課題は、
日課になりえるぐらい毎日出来て、超現実的なものでなければいけない。
「シッダ医学をインド人の通ってる大学で彼らと同じ条件で学ぶ」というのもはたからみたらめちゃくちゃかもしれないケド
私が現実に生きている毎日の日々は、コツコツとした積み重ねによってそれを可能としている。
思えば、この世界にあるすべてのものっていうのは、けっきょくいえば大したものではない。
スポーツだって「サッカーを見てどうして手をつかわないの?と思う人もいるはずよ」というセリフが出てくるみたいに
ただ単に一方的に決められたルールの中で何かを競う、はたからみたら意味わからん存在といえる。
水銀を無毒化し薬に変えるほどの力をもつシッダ医学だって、どうせ人は死ぬんだから、って考えだしたら
何の役にも立たないだろう。
そんな力ですら、もしこちらが求めなければ、まったく無能なのだ。
しかし一方で、そんな光をかすかでも求める人間にはなぜか試練が与えられる。
その道はいばらで、曲がりくねっていて、すべりやすかったり、雪が降っていたりして、
なぜかものすごく複雑で、地道な日々の積み重ねでの手さぐり以外では到底抜けられる道ではない。
そんな、曲がりくねった道を
その手さぐり感を
一方で、そんなのやめて普通にカフェで一服したいぜ感を
ぜーーーーんぶいっしょくたに
いま、
この本「DIVE」(上巻)
で
経験してしまいました!!!
・・・・ほんと森絵都すばらしすぎるぜ!!
いいかげん、勉強しますね!
************
って、1章だけ残して上の文章書いて、
そして最後の上巻の一章を読んで、覆された・・・。
それは、わたしの読みの浅さを痛いほどに思い知らされ
まったくもって自分は浅いところで満足していたなと思わされる
衝撃の出来ごとであった・・・そのせいで再びこんなコメント書いて勉強時間を削っている自分!
まったくもって、森絵都の描く「飛び込み競技」とは、
「オリンピックを目指すという目標に向かって頑張る!」っていう
ありきたりすぎの普通の物語ではないということがたったの最後の一章で明らかになったからだ。
オリンピックを目指すという目標に向かっていこうとしたまさにそのとき。
自分の存在価値を再び見つけ出し、今の自分の限られた範囲内で
そしてその限られた自分にしかできないことを目指し、そしてその高みの標識となるオリンピックに気がむいた飛沫の目の前で
コーチの夏陽子が受けた電話は・・・
とりあえず、この本は「オリンピック目指すぞ!」っていうありきたりストーリーじゃあ全然なかったって話です。
しかしオリンピックを目指しているようなぐらい高揚しているエネルギー
昼ドラマ並みにぐるぐる展開していくストーリー
ああーん
下巻に手を伸ばしてしまいそう!!!
朝早起きしてバイオリンの練習する時間を作ったとしても
掃除に洗濯、すぐに迫るクラス内テスト、そして校内テストの準備、
手を抜きたくなくなった食事の準備に追われ、
しばしば植木に水をやるのも忘れるほどだ。
なのに・・・!!
この本に出会ってしまったせいで、
わたしは本当に少ない自分のための時間を大いに犠牲にしたと言えるだろう。
私には時間がない。
「朝早起きしたら読む時間がある」が、「学校で休み時間の勉強がわりに読めばいい」になり、
そして「ああ、読み終わるまで読めばいい」に変化していく。
授業中も、そわそわしておちつかないほどに続きが気になる。
自分にここ数年まともに食事を作る時間も、それを食べる時間も与えていなかった自分が、
それこそ食べる間も食べる間を犠牲にして使っているはずの
勉強すらも惜しんで読むことになってしまった森絵都の「DIVE」。
本当に、森絵都さんは、天才としか言いようがない天才だと再び打ちのめされる羽目になったこの本。
この本は、「飛び込み競技」を青春の糧とする少年たちの話である。
正直、この説明を聞いて、「読みたい」と思う人は、日本にほとんど居ないだろう。
そんな競技知らないし、みたこともないし、
観たとしても素通りしている気がするほどに記憶のない存在感がない。
しかし、そんなことはお構いなしに面白いのです!!!
そして、なぜか、ここがいつもの森絵都マジックなのだけれども、
自分とはまったく別世界に住んでいて何の共通点もないだろう飛び込み選手の彼らが、
自分の恋人よりも近くに感じられてくる!!
むしろ自分の分身じゃないかと思われるほどに!!
中2の知季の悩み。
練習。学校。練習。学校。練習。学校。の日々を繰り返す知季は、
飛び込みのために、犠牲にしたと思われるものは計り知れない。
マックのハンバーガー。プリンのカラメル。普通の友達交際。彼女との付き合い。彼女にお弁当の中身をリクエストすること。
要するに飛び込みに出会わなければ、普通に享受できるはずだった普通の人間としての楽しみを、
知季は少ない数かもしれないが、明らかに排除してきたのだった。
うん。
わたしも、勉強。学校。勉強。学校。の日々。
知樹の飛び込み練習やトレーニングがそのまま家での勉強に当てはまるような生活を送り
そしてインドという地で、おしゃれもなくカフェもなく
おいしいレストランもない何もないところで暮らしているわたしには
知樹の払った「犠牲」というものに恐ろしいほど共感できるのだ。
犠牲を払うのをいとわず、何か上の世界をみるために努力を尽くしてきた。
その犠牲が大きいのか、小さいのか分からず、しかし止められない。
そして、
自分はまだまだ小さく、頼りなく、未熟だけれど、
自分にもし、誰にもない何かがあるのなら
それをつかみたいという強欲さ。
そんな知季の取り組み方は、わたしにそのままあてはまる部分がたくさんある。
まだ中学生なのに、こんなに努力してて、それがこの世界では普通なんだけど、
でもすげぇなぁ・・・
と思いつつ共感★
そんな知季の生き方にふけっていたら、もともとない時間を使いすぎて食事を作る時間をなくした。
しかしめげずに作ったら、失敗して焦がして、
貴重な肉を無駄にしたうえにまずい飯を食う羽目になってうんざりすぎな夜を迎えたのに、
そんな自分の存在も愛せるような、何か不思議な支えを得た私だった。
なのに!
はずなのに!
次の瞬間には、そんなわたしの身近にいて、わたしの払っている犠牲の価値を知り、
それでもこの道を選んでいる打たれ強いはずの知季が、
明らかにどこにでもいるただの男になり下がっている!!!
別段好きでもなく、大切にしようとも思っていなかった彼女を弟にとられたのを執拗に恨み続け、
根に持っている奴。
お前、いい加減にしろよっ!どうでもいいだろ!と明らかに突っ込みたくなるほどにしつこい!
そしてそれと同時に!
明らかに自分とはかけ離れた存在であったはずの、周りから「天才」と思われ、
誰もがその貫禄に圧倒されて
何か遠い存在として描かれていた飛沫が、
異様に自分にも似てるところがある普通の存在として近づいてくるのだ。
ああ、目指していた何かが壊れてしまった。
目指していたのかもよく分からないのに、でも現実的にダメになってしまい、
自分を保ち続けるためには何か新しい目標を探さないといけないのにそれもできない。
ここから、一体自分はどうやって立ち直るんだろう?
みたいな、
ここまできたのに、また再び第一歩から始めなければいけなくなったそんな機を前にした飛沫の姿は
初心をいつも忘れそうになる私にやっぱりすっぽりと当てはまる!
・・・
こんなふうに、
森絵都の作品はいつもきめ細かく、多様で、入り組んでいる。
凡人の悩みを持つ暇なんてどう考えてもないような生活をしている知樹が、
執拗にフラれた彼女にこだわり続けたり、
遥か遠い彼方にいる天才だと思ってた人は、
実はやはり毎日の密かな積み重ねによって成り立っていたりする。
どんな人間でも、様々な側面を持っていて、その多角さというのは、
常にまるでミラーボールみたいに回転していながら日々をすべりこんでいく・・・・
どいつもこいつも、イイ奴なのか悪い奴なのか分からんし、
全然ダメだったりありえないぐらい天才だったり、
そして、その誰もがとてつもなく遠くに居るときもあれば、
ものすごく自分に似てたりする!!
ああ!
そんな人物描写が!
再び中毒性をもたらせるのです!!!
執拗に、わたしは続きが読みたいッッ!!!
小説の中の彼らの最初の晴れ舞台と言えるだろうものは、
アジア合宿に向けての選考会です。
大会でもなく、選考会。
ただの合宿に向けての、選考会。
それに向かおうと決める彼らの意志の先には、
地区大会など及びもつかぬオリンピックがあるからなのですが、
客など大していないし、誰の目に触れることもないし、
誰も気にも止めないであろうような超地味な合宿の”選考会”を
臨場感あふれる活き活きとした描写で
、まるで本物のオリンピックさながら超エキサイティングに森絵都はつづります!
わたしたち人間の持っている熱い想いや、目標に対する努力は、
それがオリンピックであろうと、学芸会であろうと、地区大会であろうと
選考会であろうと、何だろうと、全く変わらないのですね。
選考会というものに向けて積み重ねる惜しみない努力。
そこで開花される、飛び込みへの熱い想い。
そこで再確認される、彼らの持っている個性と才能。
なぜか何の共通点もないであろう「飛び込みでオリンピックを目指す」彼らと
「インドで伝統医学を学ぶ」自分にあらわれてくる様々な同じシチュエーション、生活状況、想い、目標!!!
◎ ”オリンピックへの道など、思えば奇跡の積みかさねだ。肉体的な適性と精神的な適性。
毎日の練習とそれを許す環境
優れたコーチとの出会い。家族の理解・・・
そのひとつでも欠けていたら奇跡の条件はそろわない。
そして最後に強運という味方を引き入れてこそ、初めて選手はその夢の舞台に立つことができるのだ。”
・・・・・
まさに「インドの大学卒業の道など・・・・」と最初の部分だけ変えてそのままあてはまるだろうこの文章。
そしてもちろん「シッダ医学を学ぶための道など・・・」と変えてもOK。
第一、彼らがオリンピックを目指す動機は成り行きだ。そうなってしまった、と言った方がいい。
わたしが、今院に行くとかほざいたり、この大学で勉強してる理由もかなりの成り行きだ。
勉強だってしなきゃいけないからしてるようなもんだ。
ほんと、成り行きで勉強してるんだよ!
別に、これはわたしの意志ではありません!
彼らが、別段自分の意志とは関わりなくオリンピックを目指す羽目になっているように!
そして、はたから見れば「ハチャメチャ」な決断ともいえる
「オリンピックを目指す」という目標に、
どうやったら対処していけるだろうかという彼らに課された課題は、
日課になりえるぐらい毎日出来て、超現実的なものでなければいけない。
「シッダ医学をインド人の通ってる大学で彼らと同じ条件で学ぶ」というのもはたからみたらめちゃくちゃかもしれないケド
私が現実に生きている毎日の日々は、コツコツとした積み重ねによってそれを可能としている。
思えば、この世界にあるすべてのものっていうのは、けっきょくいえば大したものではない。
スポーツだって「サッカーを見てどうして手をつかわないの?と思う人もいるはずよ」というセリフが出てくるみたいに
ただ単に一方的に決められたルールの中で何かを競う、はたからみたら意味わからん存在といえる。
水銀を無毒化し薬に変えるほどの力をもつシッダ医学だって、どうせ人は死ぬんだから、って考えだしたら
何の役にも立たないだろう。
そんな力ですら、もしこちらが求めなければ、まったく無能なのだ。
しかし一方で、そんな光をかすかでも求める人間にはなぜか試練が与えられる。
その道はいばらで、曲がりくねっていて、すべりやすかったり、雪が降っていたりして、
なぜかものすごく複雑で、地道な日々の積み重ねでの手さぐり以外では到底抜けられる道ではない。
そんな、曲がりくねった道を
その手さぐり感を
一方で、そんなのやめて普通にカフェで一服したいぜ感を
ぜーーーーんぶいっしょくたに
いま、
この本「DIVE」(上巻)
で
経験してしまいました!!!
・・・・ほんと森絵都すばらしすぎるぜ!!
いいかげん、勉強しますね!
************
って、1章だけ残して上の文章書いて、
そして最後の上巻の一章を読んで、覆された・・・。
それは、わたしの読みの浅さを痛いほどに思い知らされ
まったくもって自分は浅いところで満足していたなと思わされる
衝撃の出来ごとであった・・・そのせいで再びこんなコメント書いて勉強時間を削っている自分!
まったくもって、森絵都の描く「飛び込み競技」とは、
「オリンピックを目指すという目標に向かって頑張る!」っていう
ありきたりすぎの普通の物語ではないということがたったの最後の一章で明らかになったからだ。
オリンピックを目指すという目標に向かっていこうとしたまさにそのとき。
自分の存在価値を再び見つけ出し、今の自分の限られた範囲内で
そしてその限られた自分にしかできないことを目指し、そしてその高みの標識となるオリンピックに気がむいた飛沫の目の前で
コーチの夏陽子が受けた電話は・・・
とりあえず、この本は「オリンピック目指すぞ!」っていうありきたりストーリーじゃあ全然なかったって話です。
しかしオリンピックを目指しているようなぐらい高揚しているエネルギー
昼ドラマ並みにぐるぐる展開していくストーリー
ああーん
下巻に手を伸ばしてしまいそう!!!
