ちなみに、無限の世界を教えてくれた人たち。

写真→荒木経惟

文章→森 絵都
絵→ピカソ
音楽→KODO(鼓童) でもバクホンファン10年。

こうみると日本人ばっかしやんけ。

ネイティブアメリカンたち。
そしてシッダ医学も。
もちろんだけどね。

映画→居すぎて困るんだけど… ベルナルドベルトルッチ なんだかんだいって一番好きかなぁ。








2・28・2013 の日記。

荒木さんの写真集をひさびさにめくった。
ぼーっとめくるだけだったはずなのに、いつのまにかひきこまれて世界はそれだけだった。

はたと気づく。

刹那さ。
切なさ。


わたしがゆとりないのは、大学の世界にしか今いないからだと。
わたしには色んな世界が必要であること。


すべてのものは、瞬く間に、消える。

振り返って笑ったひと
めんどくさそうな顔の猫
乱交パーティしてる人たち
タバコやさんのおじさん

すべてのそんな存在は、もう居ないほどに儚い。
なにもかも、たった一瞬光って、そして消え、忘れ去られてしまう。

その、東京の忘却の中の無限の宇宙を、荒木さんの写真は旅させてくれた。

しょうもない演劇や映画が、これまであまたも繰り返し、擦り切れるほどに、
宇宙の星の数と同じぐらい、上演されて、
そして、簡単に忘れ去られていく。

1日に何百回も変わるだろう渋谷交差点の信号を10年前に渡ったひとたちは、
もうこの世に居ないかもしれない。
誰が何人あの交差点を渡ったかなんて、誰も知らないし、気にもとめない。

流れ続ける川の流れのごとく、人々はそのままその流れを止めずに、現れては消え続けるのだ。
まるで、銀河の星のようにそのドラマの数は無限で、あまりにも多すぎて速すぎるために、それはすぐに忘れられていく。

わたしも、生きようとしていた。
わたしも、何かを残そうと必死こいていたかもしれない。

でも、わたしもその銀河の中のひとつで、
100年経てば、この体なんて簡単に灰になって消えているし
未来の話だからお墓なんてないかもしれない。
そんなことをふっと、思い出させられた。


そんなことを荒木さんの写真から悟りだしたとき、
なぜかそれは、虚しいものではなく、
生きるものの運命としてわたしの脳の奥のほうに語りかけた。


忘却という空には果てはなく
はかなくてもろい人間の流れ星みたいな一瞬すらも飲み込んでいく
生命の流れの偉大さみたいなものを
ぐっと、お腹のおくのほうに感じている。


だからもっと、この流れに合わせて生きたいと思う。
だから別に、何かを達成したとか、有名になったとか、
そんなものはもうほんとうにどうでもよくって
わたしも、この、銀河の星の中でただ、またたくのだ。
それだけがたぶん宇宙から私へのリクアイアメント。


わたしも、いつか、消える。
それを知ったとき、なぜかそれは悲しいものではなく
日常をもっと豊かに、そしてもっと楽にしてくれた。







そんなことをただの写真から教えてくれた荒木さんの天才ぶりに感動しつつも
こういうことを生涯を通じて伝えていかなければいけないんだ、と目覚めるのは真夜中の時間。
荒木さん凄すぎ…。













******
いつか消えること。

シッダ医学では

子供(家族)
財産
世界(社会・自分の生れついた社会)

の3つがこの世界へ執着させるものとしています。

確かに、出家するということは、この3つを棄てるということですね。まさに。
(最近の坊さんは、<社会>という点で本当に出家できているか疑問は多いですが。ってか家族もいるし。財産も!?・・・・)


いつか消えてしまう。いつかわたしたちもこの世から居なくなってどこかへ行く。


つまりはこの世にわたしたちみんな「ホームステイ」しているのだというコト。


完全なものなんてないんですよね。
目に見えるものだけみている分には





もっと気楽に、ホームステイのスタンスで、生きてもいい気がします。



この世界で毎日わたしたちは経験をして、
寝ているときにはわたしたちがうまれてきた本来のすみかであるあの世に戻って、
また次の朝から経験をするために戻ってきているのだから。