”ところで、先年、ヨーロッパを旅行中、
 私は一つの興味深い話を聞きました。

どこでしたか町の名は忘れましたが、

 何でも、ドイツとの国境近くにあるフランスの一寒村に、
 今度の大戦中に戦死した、フランスのゲリラ部隊十数名の墓があるのですが、
 その墓に混じって、ひとりの無名のドイツ兵の墓が一つ立っているのです。


そしてすでに、戦争も終って十数年経った今日も、
その無名のドイツ兵の墓の前には、
 だれが供えるのか手向けの花の絶えたことがないとのことです。


いったい、そのドイツ兵とは何者なのかと尋ねると、
村の人々はひとみに涙を光らせながら、 次のように話してくれることでしょう。


 それは第二次世界大戦も末期に近いころのことでした。

 戦争勃発と共に、電光石火のようなドイツ軍の進撃の前に、
 あえなくつぶれたフランスではありましたが、
 祖国再建の意気に燃えるフランスの青年たちの中には、
最後までドイツに対するレジスタンスに生きた勇敢な人々がありまして、
 ここかしこに神出鬼没なゲリラ戦を展開しては、ナチの将校を悩ましておりました。


 が、武運拙くと言いましょうか、 十数名のゲリラ部隊がついに敵の手に捕らえられました。
 残虐なナチの部隊長は、なんの詮議もなく、直ちに全員に銃殺の刑を申し渡しました。


 ゲリラ部隊の隊員の数と同じだけのドイツ兵がずらりと並んでいっせいに銃を構え、
 自分の目の前のフランス兵にねらいを定めて
「撃て!」という号令を待ちました。


 と、間一髪、
ひとりのドイツ兵が、 突然叫び声をあげました。


 「隊長! 私の前のフランス人は重傷を受けて、
完全に戦闘能力を失っています。
こんな重傷 兵を撃ち殺すことはできません!」


  今まで、かつて反抗されたことのないナチの隊長は怒りに目もくらんだように、
 口から泡を吹きながら叫び返しました。


 「撃て! 撃たないなら、お前も、 そいつと一緒に撃ち殺すぞ!」と。


 けれど、そのドイツ兵は二度と銃を取り上げませんでした。


 ソッと銃を足下におくと、静かな足取りで、
ゲリラ部隊の中に割って入り、
重傷を負うて、 うめいているフランス兵をかかえ起こすと、
しっかりと抱き締めました。



 次の瞬間、轟然といっせいに 銃が火を吐いて、
そのドイツ兵とフランス兵とは折り重なるように倒れて息絶えて行ったという のです。




 (中略) そのドイツ兵は撃ちませんでした。
のみならず、自分も殺されて行きました。





ところで なにか得があったかとお尋ねになるなら、 こう答えましょう。


 ひとりのドイツ兵の死はそれを目撃した人々に
忘れ得ぬ思い出を残したのみならず、


ナチの残虐行為の一つはこの思い出によって洗い浄められ、
その話を伝え聞くほどの人々の心に、 ほのぼのとした生きることの希望を与えました。


 ナチの残虐にもかかわらず、
人間の持つ良識と善意とを全世界の人々の心に立証したのです。


このような人がひとりでも人の世にいてくれたということで、
私たちは人生に絶望しないですむ。



今は人々が猜疑と憎しみでいがみ合っていはいても、
人間の心の奥底にこのような生き方をする可能性が残っている限り、
 いつの日にか再びほんとうの心からの平和がやって来ると信ずることができ、
 人間というものに信頼をおくことができる・・・・


これが、このドイツ兵の死がもたらした賜物でした。

 どこの生まれか、名も知らぬ、年もわからぬ
 この無名の敵国の一兵士の墓の前に戦後十数年を経た今日、
未だに手向けの花の絶えることのないという一つの事実こそ、
彼の死の贈物に対する人類の感謝のあらわれでなくて何でありましょう。






(後略) 「生きるに値するいのち」小林有方神父 ユニヴァーサル文庫 昭和35年発行より引用














小林神父はまたこう語っています。


(前略)どんな理由があろうとも、人間の内的生命が、
憎しみや恨みによって成長するものではないことは
はっきりと断言いたします。

人間性を豊かに実らせ、
人の住む世界を地上のパラダイスにする唯一の方法があるとすれば、
それは憎しみではなく愛であり、
闘いではなくて許しであり、
敵の野望をあくまで粉砕することではなくて、
互いに話し合う場を持ちつつ理解しあっていくことです。(後略)