私が代行を始めた理由
まず、ここ数年でナーディの館やナーディリーダーを直接のべ少なくとも10人以上の日本人、外国人、現地人に紹介しました。中には「館にたどり着けなかった」という方もいるような中、館でアポをとって直接リーディングができたラッキーな日本人の半数以上は、タミル語の通訳がうまく訳せないところもあり、はっきり真の意を理解できず、あやふやだった、という方が多く、けっきょくリーディングができてもナーディの意味が伝わっていないとわかりました。
なのでそういった方の中でほとんどはプージャの意味も分からず、プージャも行わないまま、ナーディに書かれていることを理解しないままになっています。
せっかく葉があるし、読めたのに、非常にもったいないです。
私はナーディリーダーと個人的にも非常によい友人関係にあるので、その意味でもコミュニケーションがうまくでき、彼のリーディングを、他の人よりも正確に伝えることができると自負しています。直接本人が行くよりも私を介した方が意味が伝わりやすいし、本人自身の徒労も免れます。
また、私が紹介した人が他の人をつれてきて、その人が代金を値切ってしかも読みに戻らなかった、という非常に失礼なことをした、などということもありました。こんな人はもう連れてこないでくれ、と私は直接ナーディリーダーから叱られました。私はその人を知らないのにも関わらずですが、紹介となると、こういうトラブルを招きかねません。
なので、このようなトラブルに逢わないためにも、もう、ナーディリーダーの紹介は一切やめて、私が代行する形の方がナーディリーダーやナーディの権威も守られると私は結論しました。
希望する方には紹介せず代行のみ、というかたちに変えることにしました。
こんな勝手に色々決めていいのか?という葛藤もありましたが、
ナーディに私が他人のナーディリーディング代行をする、と書かれていたので、
今までの経験を通じた上で決めた私の方向性は間違っていないはずです。
私が代行をすることによって、わざわざインドで必死に場所探しして、タミル語の通訳雇って、それでいて訳がわからなかったということもなくなりますし、
ナーディの格も守られるだけでなく、
ナーディを読みたくても読めなかった人が読めるようになる、という大切なメリットもあります。
ナーディは全人類に向けてかかれたもので、読むべき人が読むべきものです。
ささやかながら、読むべきでいるけれどきっかけがなかった人へのきっかけとなればいいと思っています。
まず、ここ数年でナーディの館やナーディリーダーを直接のべ少なくとも10人以上の日本人、外国人、現地人に紹介しました。中には「館にたどり着けなかった」という方もいるような中、館でアポをとって直接リーディングができたラッキーな日本人の半数以上は、タミル語の通訳がうまく訳せないところもあり、はっきり真の意を理解できず、あやふやだった、という方が多く、けっきょくリーディングができてもナーディの意味が伝わっていないとわかりました。
なのでそういった方の中でほとんどはプージャの意味も分からず、プージャも行わないまま、ナーディに書かれていることを理解しないままになっています。
せっかく葉があるし、読めたのに、非常にもったいないです。
私はナーディリーダーと個人的にも非常によい友人関係にあるので、その意味でもコミュニケーションがうまくでき、彼のリーディングを、他の人よりも正確に伝えることができると自負しています。直接本人が行くよりも私を介した方が意味が伝わりやすいし、本人自身の徒労も免れます。
また、私が紹介した人が他の人をつれてきて、その人が代金を値切ってしかも読みに戻らなかった、という非常に失礼なことをした、などということもありました。こんな人はもう連れてこないでくれ、と私は直接ナーディリーダーから叱られました。私はその人を知らないのにも関わらずですが、紹介となると、こういうトラブルを招きかねません。
なので、このようなトラブルに逢わないためにも、もう、ナーディリーダーの紹介は一切やめて、私が代行する形の方がナーディリーダーやナーディの権威も守られると私は結論しました。
希望する方には紹介せず代行のみ、というかたちに変えることにしました。
こんな勝手に色々決めていいのか?という葛藤もありましたが、
ナーディに私が他人のナーディリーディング代行をする、と書かれていたので、
今までの経験を通じた上で決めた私の方向性は間違っていないはずです。
私が代行をすることによって、わざわざインドで必死に場所探しして、タミル語の通訳雇って、それでいて訳がわからなかったということもなくなりますし、
ナーディの格も守られるだけでなく、
ナーディを読みたくても読めなかった人が読めるようになる、という大切なメリットもあります。
ナーディは全人類に向けてかかれたもので、読むべき人が読むべきものです。
ささやかながら、読むべきでいるけれどきっかけがなかった人へのきっかけとなればいいと思っています。
