自転車乗ってたら足痛い!とみたらアリが噛み付いてた。

自転車で病院行く途中に薬草が生えてないか探す。

ケララの土地は豊かで、草の成長も早く、野草の中にたくさん薬草が生えているのだ。

トゥラシ Osimum sanctum
ベッティライ Piper betel
アルガンプル Cyanodan ductylon

これらはどこにでも生えているし、虫刺されやアレルギーなどにいい効果を発揮してくれる。

ハイビスカスでもいいかなあ〜と花を睨みながら通り過ぎて

大学にあった Acalypha Indica の草に聞く
「あなたは水銀の浄化にも肌の病気にも使われるけど
この私のアリの噛み跡には効果ありますか?」



最近 カノウユミコさんの「やさいのかみさま」を読んでまさに目からウロコが落ちた。


野菜を食べることは、野菜のいのちを奪いそれを引き継ぐこと。

私という存在と人参という存在が
まな板の上で出会う奇跡。

いつも何かを食べるとき
味や栄養を気にしていて
その野菜の 命をいただいて 引き受けて
私は生かされていくということを
真剣に考えたことがなかった。

食べることは
野菜のいのちと向き合うこと。


その真理を、私は今まできちんと受け止めてきたことがなかったと思う。



私は この食事に関わった人たちや存在に感謝し
私が この食事にふさわしい人間であるか 仕事をしたかを反省し
食事の味や好き嫌いをとやかくいうのではなく
食事のいのちをいただいていくという自覚を持ち
この食事によって精進していくことを目的に
食事を食べる

ということを
心から私は実践しているのだろうか??


食べる前に私は祈るが
それに何かが欠けていたと思うけど
それは

私は この食事によって生かされて
この食事ために犠牲になった命を
たくさんのいのちを引き継いで
それでも生きるという
生きる覚悟

だったのだと思う


今まで 食事に気をつけないと!と思ってたし
みんな食事が大事というのだから
シッダーもそういうのだから大切…なんだよな?
とは頭で思ってたけど
でも真剣にその真理に向き合ったことがなかったと思う。

カノウユミコさんの著書は
それ以外にも、
死ぬことや 生きていくことや
極めることについて悟りとも言えるような話を教えてくれた


だけど



野菜のいのちと真剣に私は向き合っていきたいと思う




食べるためではなく 生きるために食べている


栄養素ではなく
命をいただいている


その自覚。











だから 薬草も同じ。



薬も同じはずなのだ。



よりよく自分が生きるために
この世界の何かを犠牲にして
頂いて
私は
やっとここにいさせてもらえる