旅をする木

生きるという旅をすることは、人と人という繋がりの橋を渡り続けること。 そしてたまに眠りもう会わない人の夢をみて休むの。 伝統医学を 西洋科学のメゾッドで ひとびとに ケララ州トリバンドラムの小さな田舎に7年住み、 南インド伝統医学、外国人女性初のシッダドクター(首席卒業) ブラウン大学公衆衛生大学院修士、 ワシントン大学疫学博士課程在学中・国際臨床研究センターにてPhylogeneticsによるHIV・コロナウイルス感染予防の研究助手 2019−2020年 WHO・インド伝統医学標準化のための国際会議にてのシッダ医学グループのWHO指定報告者(書記)担当 このブログは15年ぐらい前から続けてる日記みたいなもので いわば個人記録みたいなものです。わたしが忘れないための。 三聖病院での森田療法体験記、 彼が死んだときに旅をした話 アメリカのときの話 インドの話 シッダの話 ブラウンでの話 アメリカやインドの生き方 ほかにもいろいろと ずっと書いてます。 きてくれて、ありがとう。

散文

波のこころ

ぼおっと
ヤシの木を自由に行き交う雲をみながらかんがえていた

心の中に波があれば
その波はまわりにもひろがっていく
荒れ狂う波の心の持ち主は
荒波に襲われる航海の日々
静かに水一滴も感じ取る大海原の心の持ち主は
まるで凪風のように穏やかに生きゆくのだろう

わたしのこころの中の波を
じっとゆっくり
沈めてください

ならば
少し
きっと
ゆるやかに
なれる

こどものころ2

もう全然気にしません。過激発言とか言われても(笑)
うん私はどMですよ。それが何か?

**

よく

母にいわれた

わたしは
話していない言葉に応えると。

たまにわたしは
人が考えていることが
自然と分かることがあって
自分の考えと混同することがある

それも

わたしが本来もっている
他人と繋がりたいという強い魂の
ちからだからなのだろうか

抱かれ たい

こどものころをおもいだすために

想う

抱かれ たい

大地の片隅の自分を見つけるために

想う

あえぎながらきっと
横たわる自分は
たぶん
じぶんでも
そのひとのものでもなく

たぶんどこかに広がり続ける深い海のような
宇宙のものなのだろうと
どこかの広がる世界の海の中の
片鱗であるんだろうと、こんなわたしですら

つくづく想うのだから

こどものころ

なんだか、最近のブログが随分と過激宣言ですねと言われてるこの頃ですが、
あまり気づかず、それに基づきつつ書いていこうと思います。今日も。

そう

最近、

こどものころ

いや

うまれるまえを

思い出すの

胎内に居た頃


それよりも

その前に居た頃を

そこはどこかを
忘れてしまったことを
最近知ったけれど
わたしはうごかず
眠りに入ろうとする


目をつむらずに歩き続ければ、

いつか

あのときに居た

あの大きな
どこともつかない
羊の海には

いつか
孵れるの
だろうか

卵が
割れる
ように

悲 夢

散文だけ。
**

ねむり、
かなしい
ゆめを
みる、
かなわない、
そして、
脳の底で想いつめているほんとうのことを
夢にだけ
みる、
だけど、
それすらも、
そしてねむることすらも、
ゆるさず、
じぶんさえも殺そうとしながら

ゆめをあきらめる、
という
こと
自体から、

ゆめからさめるのです。

悪い夢

わたしを象徴する動物は トカゲ
トカゲが象徴するものは 夢

だからなのか

をよくみる

怖い 夢
眠い 夢

悪い 夢

トリバンドラムが意味するものは
「聖なる眠りびとがいるところ」
だという

ヴィシュヌの夢
のなかの現実で
わたしはたまに
どれがほんとか分からなくなる。

そんな夢のなかで
わたしはあがいているのかと
じゃあ起きる意味はあるのかと
たまにわたしは分からなくなる。

目覚めの悪い夢 が
頭痛となってまとわりつくと
現実の中でねむくなってくるのだ

そして
今ほんとうは寝ているのか
それとも起きているのか
それとも起きているけど寝ているのか
ほんとうに現実の中にわたしは

”生きて” 

いるのだろうか

そう 悪い夢でもみてるんじゃないかと
こわくなる ときがある
それなら早く覚めて
次の夢では生き抜くからとヴィシュヌの後ろ姿にせがんでいる

だけど
どうしても
分からなくなってきて
ふたたび 
わたしは
嫌になって眼を閉じるのだろうか

その先は 悪い夢
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