シッダ哲学では非常に大切な、なんというか・・・私たちがこの地球上で生きる目的、
生まれてきた理由を説明するセオリーがあり、それは「パディ(主)・パス(私たちの魂)・パーサム(主と魂を別々に隔てるもの)」です。
パディ:主・グレートスピリット・Something Great
パス:私たち・魂・生き物すべて
パーサム:覆い・壁・私たちとパディを分ける存在・そして同時にこの世の全てのものはパーサムからできている
創造主が我々を創ったとき、
もともとパディ(主)とパス(私たちの魂)はひとつだったのですが
パーサム(壁)のせいでバラバラになってしまいました。
完璧な姿というのはパディ(主)とパス(私たちの魂)が一緒になること(※注意:”ひとつ”ではなく、”ふたりでひとつ”なイメージ)
パーサムで創り上げられている世界にいる私たちが一生懸命パディ(主)に近づこうとする・・・
(まるで、精子が卵子に向かっていくような感じ)
それが私たちが生きてる「この世」であり、私たちが産まれた理由だとしています。
一体、何が原因でそんなことになってしまったのか。
このヒントは、もう1つ大切なシッダ哲学の要素、「アーナバン(エゴ)」と
キリスト教のアダムとイブの話からヒントを得ることができます。
本来私たちは完璧な存在で、主と一体だったのですが、
ほんのちょびっとの「疑問」を感じたために、
パーサムに隔てられ、主との壁ができてしまいました。
これは、アダムとイブが楽園で幸せに完璧に過ごしていたのに
ヘビにそそのかされてリンゴを食べてしまったために
自分の存在に疑問を感じてしまい、楽園を追われたのが私たちの起源であるということと
重ねて考えることができます。
この、ヘビって何なのだろう?と思うのですが、
これはシッダ哲学での「アーナバン」にあたるんだろうと考えられます。
アーナバンは、現代語でいうと「エゴ」、すべての諸悪の根源であり
「これは私のもの」というコンセプトを与える存在です。これはこの世にたったひとつであり
すべての人たちがこのアーナバンを共有していることになります。
エゴは世界でたったひとつなんですよ!!!!
※ここで知っておいていただきたいのは、エゴは「自意識」とは全く違います。
自意識はいわゆる「自己の認識」「自分という存在の認識」「自分の魂の存在の認識」
=”我想うがゆえに我あり”
というだけであり、全くもってエゴとは別の存在です。ここらへんは、現代心理学でも指摘されていることだったはずですよね。
ヘビがそそのかした。
アーナバンは諸悪の根源で魂にくっついていて取れない。
どちらでも、「ヘビ」は、アダムとイブとは別の存在であり、
アーナバンは魂とは別の存在と言っている。
私たちの中で聖書のストーリーのヘビとこのアーナバンの存在が重なったとき
聖書のいう「私たちの起源」と
シッダ哲学のいう「私たちの起源」は同じことを指しているのだということが分かりました。
わたしたちはむかしは完璧だったのに
それが「何か」によってぶち壊され
本来いるべきところから、隔離されて生きている
だから
また、完璧な世界に戻るために、ここでそれを求めて旅をしている。
それには、様々な道がある。
Some act
Some sail
Some sing
Some dance
生まれてきた理由を説明するセオリーがあり、それは「パディ(主)・パス(私たちの魂)・パーサム(主と魂を別々に隔てるもの)」です。
パディ:主・グレートスピリット・Something Great
パス:私たち・魂・生き物すべて
パーサム:覆い・壁・私たちとパディを分ける存在・そして同時にこの世の全てのものはパーサムからできている
創造主が我々を創ったとき、
もともとパディ(主)とパス(私たちの魂)はひとつだったのですが
パーサム(壁)のせいでバラバラになってしまいました。
完璧な姿というのはパディ(主)とパス(私たちの魂)が一緒になること(※注意:”ひとつ”ではなく、”ふたりでひとつ”なイメージ)
パーサムで創り上げられている世界にいる私たちが一生懸命パディ(主)に近づこうとする・・・
(まるで、精子が卵子に向かっていくような感じ)
それが私たちが生きてる「この世」であり、私たちが産まれた理由だとしています。
一体、何が原因でそんなことになってしまったのか。
このヒントは、もう1つ大切なシッダ哲学の要素、「アーナバン(エゴ)」と
キリスト教のアダムとイブの話からヒントを得ることができます。
本来私たちは完璧な存在で、主と一体だったのですが、
ほんのちょびっとの「疑問」を感じたために、
パーサムに隔てられ、主との壁ができてしまいました。
これは、アダムとイブが楽園で幸せに完璧に過ごしていたのに
ヘビにそそのかされてリンゴを食べてしまったために
自分の存在に疑問を感じてしまい、楽園を追われたのが私たちの起源であるということと
重ねて考えることができます。
この、ヘビって何なのだろう?と思うのですが、
これはシッダ哲学での「アーナバン」にあたるんだろうと考えられます。
アーナバンは、現代語でいうと「エゴ」、すべての諸悪の根源であり
「これは私のもの」というコンセプトを与える存在です。これはこの世にたったひとつであり
すべての人たちがこのアーナバンを共有していることになります。
エゴは世界でたったひとつなんですよ!!!!
※ここで知っておいていただきたいのは、エゴは「自意識」とは全く違います。
自意識はいわゆる「自己の認識」「自分という存在の認識」「自分の魂の存在の認識」
=”我想うがゆえに我あり”
というだけであり、全くもってエゴとは別の存在です。ここらへんは、現代心理学でも指摘されていることだったはずですよね。
ヘビがそそのかした。
アーナバンは諸悪の根源で魂にくっついていて取れない。
どちらでも、「ヘビ」は、アダムとイブとは別の存在であり、
アーナバンは魂とは別の存在と言っている。
私たちの中で聖書のストーリーのヘビとこのアーナバンの存在が重なったとき
聖書のいう「私たちの起源」と
シッダ哲学のいう「私たちの起源」は同じことを指しているのだということが分かりました。
わたしたちはむかしは完璧だったのに
それが「何か」によってぶち壊され
本来いるべきところから、隔離されて生きている
だから
また、完璧な世界に戻るために、ここでそれを求めて旅をしている。
それには、様々な道がある。
Some act
Some sail
Some sing
Some dance
